第7話 悪徳商人来訪
あまり知られていないが、戦国時代の南部氏に御用商人は存在していない。盛岡市の城下町などは豊臣秀吉が天下を統一してから発達した。本州最北端の地であるため、戦国時代では日本の物流網からも孤立していたのである。南部氏はもっぱら、蝦夷地と取引をしており、ごく稀に現在の仙台市あたりから、商人が来たりしていた。つまり「閉鎖経済」だったのである。
(考えてみれば、奥州全体が閉鎖経済と言えるだろうな。大崎氏や高水寺斯波氏などの名門家が、豊臣秀吉の時代まで残っていたのだ。関東まで戦国時代だったが、奥州だけは室町時代のままだった。真の意味で戦国大名だった奥州人など、伊達政宗と津軽為信くらいだろう)
吉松は意識を目の前の男に戻した。本来、商人などこの宇曽利には来ないはずである。だが現実に、船に乗って商人がやってきた。この男は一体、何者だ?
「ヘヘヘッ、あっしは金崎屋善衛門というしがない商人です。深浦という地で北にいったり南にいったりしております。徳山館(※北海道松前町)からの帰りだったのですが、田名部には行ったことがないなと思いまして、つい寄り道したわけです、ハイ」
「金崎屋善衛門…… 聞いたことがないの。御爺、知っておるか?」
「金崎屋というと、確か安東と蠣崎とを繋いでおる商人であろう? それが新田になんの用じゃ?」
「ヘヘッ、まぁあっしも商売ですから、銭になるならなんでも扱います。別に安東様の家来というわけでもありませんし、新田様の商品も見たいなと……」
吉松は顎を引いて上目遣いで、目の前の怪しい男を見つめた。睨んでいるようにも見えるが、所詮は齢三歳の幼児である。善衛門は気にすることなくヘラヘラと笑みを浮かべている。
(金崎屋善衛門、どこかで聞いたような。深浦というと南津軽の深浦町か? あの十二湖がある……あっ、ひょっとして深浦埋蔵金伝説を残した「
「面白いっ!」
胡坐をかいていた吉松は、パンッと自分の膝を叩いた。善衛門は目をパチクリとさせた。どう見ても幼児なのに、反応や言葉遣いが大人じみているからである。
「のう銭衛門、この田名部新田と商いをせぬか?」
「善衛門でございます。もちろん商いは嬉しゅうございますが、どのような商品を?」
吉松が二度手を叩くと、吉右衛門が小姓の子供二人を連れて入ってきた。口減らしによって田名部に送られてきた子供だが、一人ひとりと話をして比較的利発そうな子供二人を小姓としたのである。
「田名部で作られている特産品だ。向かって左から石鹸、煉瓦、炭団という」
最初は首を傾げていた善衛門であったが、吉松の話を聞くうちに真顔となり、そして黙り込んだ。
「越前では和紙を、越後では芋麻の苗と職人を連れてきて欲しい。奴隷として売られている者がおるやもしれぬ。難しければ苗だけでも頼む」
「はぁ…… まぁ越前なら一向宗との争いで捕らえた奴隷が多いと聞きますので、買うことは可能でしょう。ですが職人となると……」
「構わぬ。いま田名部では人手が足りぬ。俺のような幼児では困るが、一〇歳程度の子供でも良い。働けそうな者がおれば買ってきてほしい」
「へぇ、承りました。それにしても、こんな特産品が田名部にあったとは…… これは高く売れそうですなぁ~ ウヒヒヒッ」
伝説にたがわぬ悪徳商人のような笑みを浮かべる男を見て、盛政は止めようかどうか迷った。だが吉松が自分に視線を向けて微かに首を振ったため、思いとどまる。
「クククッ、その意気よ。新田と共に儲けよ、銭衛門!」
幼児は左手の掌を上に向け、親指と人差し指で輪を作った。それがなにを意味するのか、善衛門には理解できなかったが、なんとなく卑猥で、それでいて良いものに感じた。
「旦那、本当に良かったんですかい? 安東様にバレたら……」
「なにを言ってる。アッシらはただ交易をしただけ、疚しいことなどなにもしとらんわ。それよりも、もっと船足が早うならんかの! 陸奥の冬は早い。今年中に二度は田名部に行きたいぞ!」
津軽半島を回る船の上で、金崎屋善衛門は新たな出会いを仏に感謝していた。
(知らなんだ。まさか田名部にあのような神童がいたとは。おっと、これは口にはできぬ。どこで仕入れたかは決して言わぬという約束だからの。グヘヘッ、大いに儲けられそうじゃ!)
「深浦に着いたらすぐに越後、そして越前に向かうぞ。儲けは確実じゃ!」
善衛門は吉松を真似て左手の親指と人差し指をくっつけてヒラヒラとさせた。そして小さく呟く。
「それにしても若様は結局、アッシの名前を最後まで銭衛門と呼ばれておったのぉ。次は覚えてくれるかのぉ」
これが、後に奥州最大の大商人となる「金崎屋銭衛門」と吉松との、最初の邂逅であった。
口減らしの犠牲になるのは、百姓の次男、三男である。そうした子供は売り出されたり、あるいは放逐されたりする。そして奴隷となり働かされる立場になった子供は、大抵は逃げる。
「またか。追わなくても良い。どうせ三日もすれば戻ってくる」
田名部にきた五〇名の中から逃亡者が出た。普通なら探して捕らえ、折檻するのだろうが、吉松はあえて放っておいた。田名部領は三方向を海で囲まれており、子供の足で三戸や根城に行くのは不可能だ。そして夜になると寒い。野山にはニホンオオカミなどもいる。結局は諦めて戻ってくるのだ。
「戻ってきたらしっかり食わせてやれ。田名部では飢えぬ、震えぬ、怯えぬ生活ができるのだと身体で理解させればよい」
執務室で書付と向き合う。田名部は徐々に発展している。田畑の整地後は、家々の移転を開始した。
「粘土の場所は解っている。いずれ瓦の生産も始めたいな。だがその前に農作物だ。大根、牛蒡、山芋、茄子、ニンニク、ネギあたりは既に存在するからな。あとは大豆だ。大豆があれば味噌や醤油を作れる」
米が増産されれば、清酒造りもできる。そうなれば越後あたりでは高く売れるだろう。その金で人を買う。職人を連れてくる。そして彼らが新しい田畑を拓き、さらに増産する。
「まずは大畑と川内を開拓するか。道を整備し、砕石舗装を行う。田名部を中心とした物流網を形成し、それぞれに特産品を置く。川内は粘土が取れるから焼き物だな。大畑は人目に付きにくいから、特殊品だ。石鹸、和紙、酒、そして硝石……」
恐山山系からは良質な硫黄を取ることができる。硝石があれば黒色火薬を製造することができる。だが吉松は鉄砲を作るつもりはなかった。あまりにも手間とカネが掛かりすぎるのだ。
「灰吹き法も試すか。南蛮商人や明に儲けさせるのは癪だからな」
「なにが癪なのじゃ?」
独り言を呟いていたら、いつの間にか傅役の新田盛政がいた。吉松は咳払いして居住まいを正す。
「なんでもない。田名部をもっと豊かにしたいと考えておったところだ。ところで御爺、用件は?」
どう見てもただの言い繕いだが、盛政はあえて無視した。目の前にいるのは孫という立場の得体の知れない怪物であり、それに期待している自分がいる。老い先短い自分にとって、それは幸福なことだと盛政は思っていた。
「石川の街からじゃ。口減らしの人を送ってきおった。どんどん人が増えておるが、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。というかまだまだ足りん。稲の育ちが思いのほか良い。人手を増やし、さらなる領地発展を目指す。まずは北と西を開拓するが、その次は東だ」
南へは行くのかと問いかけたい自分がいることを盛政は自覚していた。だがたとえ問いかけても、目の前の幼児は「今は」目指さぬと回答するだろう。田畑に適した土地をいくつも見つけているのだ。それらの開拓に成功すれば、田名部新田家は数万石の国人になるかもしれない。
そしてもしそうなった場合、目の前の幼児が八戸氏、そして南部氏にどのように出るか。老練の盛政にさえ、見通せないでいた。
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