第5話 厳冬

 戦国時代は世界的に「小氷河期」であった。二一世紀と比べると、平均気温が二度近く低い。そのため作物が育ちにくく、庶民たちは常に飢えていた。宇曽利は本州最北の地である。冬の厳しさは尾張や相模とは比べものにならない。


炭団たどんが間に合ったのは幸いだったな。各家でも十分に暖が取れるだろう」


 一八世紀、江戸時代に商品化した「炭団」は、木炭製造時に大量に出る「炭の欠片」を海藻から採れる「フノリ」で固めたものだ。木炭と比べると火力こそ弱いが、一日中でも燃え続けるため屋内で暖を取るには最適である。毎日使用することを想定し、各家に一五〇個の炭団を用意することができた。


「春になれば大型船の建造し、その船で越後や敦賀と交易を行う。こちらからは石鹸や炭団などを売り、苧麻からむしや紙を買う。特に苧麻は重要だ。種や苗があれば必ず手に入れるぞ」


 魚の干物、山ウドとワラビの漬物、海藻とホタテの吸い物、雑穀米という食事をしながら、吉松は春以降の構想について語った。盛政はただ頷いて目の前の幼児を見つめる。


(なんという童じゃ。敦賀など儂ですら名前程度しか知らぬ。吉松には物ノ怪が取り憑いておるのか? それにしても、飯が美味いの。これも吉松が考えたそうじゃが、干した昆布でこんな旨味がでるのか。出汁と言ったかの。公家の料理で使うそうじゃが、なるほど美味いわ)


 鰹節や昆布は、奈良時代から食材として存在している。昆布は朝廷にも献上され、出汁として料理に使われていた。だが京都を中心に発達した「出汁料理」は、遥か北の地までは浸透しておらず、食事といえば雑穀と塩、そして獲物が取れれば魚や鹿や猪などの肉であった。


「御爺、来年からは大きく動くぞ。だが炭団の作り方などはできるだけ秘匿したい。我が領の特産品として交易に使いたいからだ」


「田名部はある意味、孤立しておる。ここに来るには野辺地から船で渡るか、吹越の峠を越えるしかないからの。それに新田は南部一族の端に位置しているとはいえ、一個の国人じゃ。お前の好きにすれば良い」


 六つに分かれた南部氏は、その後さらに細分化し、それぞれに独立した領地を持っている。南部晴政はそれらを統合して戦国大名化を図ったが、結局のところは「南部一族の頭領」どまりであった。各国人がそれなりに発言権を持っていたため、幼い息子への家督継承すら苦労する羽目になる。やがて津軽為信の登場で南部は分裂してしまう。


(分国法すら無かったからな。南部晴政が一代の傑物であることは確かだが、情報というインプットが無ければアウトプットは無い。この地では決定的に情報量が不足しているのだ。産業振興という発想が無かった。温暖な地ならそれでもよい。だがこの陸奥は「計画的産業振興」が不可欠だ)


「この地の北には、大畑という海に面した地があるらしい。聚覚和尚の話ではほとんど人も住んでいないそうだが、煉瓦や炭団づくりを隠す場所としては最適だろう。人が増え次第、大畑にも集落を作るつもりだ」


 そう言って、幼児が美味そうに吸い物を啜る。老人は、その姿を眩しそうに見つめた。




 深々と雪が降る。二一世紀になっても、下北半島では二メートルを超える雪が積もる。まして小氷河期の戦国時代では、その降雪量は尋常ではない。田名部の民たちは朝から雪かきに追われている。スコップや車輪付き手押しカッセルなど新たに開発した道具を使うことで、雪かきの効率は劇的に向上した。


「雪かきで汗を掻いた後は、必ず手拭いで拭くようにしろ。そのままでは体が冷えて病に罹るぞ」


 吉松の細かい指示により、午前中には雪かきが終わり、午後は冬の仕事が始まる。新しく建てた「煉瓦倉庫」では、春に向けて材木を加工している。雪解けと共に船を建造する。また実用化した石弓(※クロスボウ)の量産も行っている。石鹸や炭薪も並行して作っている。


「煉瓦倉庫は温かいですからな。村人たちも暖を取るために集まっています。子供の世話をしたり荷運びを手伝ったりすることはできますからな」


 吉右衛門の仕事は吉松の手伝いである。春以降の新しい計画を吉松が立て、それを吉右衛門が紙に落とす。時には盛政も加わり、政治的な判断をしてもらう。吉松には南部一族の情報が不足していた。そのため正しい判断ができない恐れがある。武力があれば無視もできるが、かき集めても数十人の兵士かいない新田家では強者に目を付けられないように振る舞うことが重要であった。


「御爺の助言に従い、まずは五〇〇石の船から始める。だが問題は人だ。とにかく人が不足している。できれば安東あたりから人を引っ張ってきたいが……」


「無理であろうな。安東は遠い。そして蝦夷徳山館の蠣崎は、南部を憎んでおる。人を集めたところで裏切られるのがオチよ。まだ三戸や根城から人手を借りたほうが良い」


「ですがそれでは、若様のご活躍が知られてしまいます。若様はできるだけ、田名部の繁栄を隠したいのでございますよね?」


「父上に伝わるくらいなら良い。だが三戸には知られたくない。下手したら攻められるぞ」


「さすがにそれはなかろうが……」


 盛政は否定するが、吉松にとって現在最も怖いのが南部晴政であった。戦国大名化を目指す晴政にとって、力のある国人など目障りそのものだろう。取り込まれるか取り潰すか、いずれにしてもロクな結果にはならない。


「あと五年、できれば一〇年は戦に巻き込まれることなく、田名部の繁栄に尽力したい。だが無理であろうな。できて三年といったところか……」


 あと三年でどこまで力をつけられるか。それによって自分の野望の限界が見える。吉松の内心にはジリジリとした焦りがあった。





 宇曽利の冬は厳しい。豪雪地帯であるため、家に閉じ込められることになる。吉松は冬の間に、文字の練習を練習したり、田名部を今後どのように発展させていくかなどを考えたりしていた。


「甘味を得るために干し柿をと考えていたんだが、そういえばこの時代に南部柿が無いんだよな。イタヤカエデは下北半島にも自生しているから、それでメープルシロップを作るか。あとはヒエを使った酒造りだな。アイヌ民族のトノトは稗から作られているから、この時代でも生産は可能なはずだ」


 温暖な近畿圏などでは米から日本酒を作っているが、北限の陸奥では米の生産量が少ない。田名部でも稗や粟などを混ぜた雑穀米が主流だ。それでも、吉松は創意工夫をしてそれなりに美味い料理に仕上げているが、本音では米が食べたかった。


「水田の整地と正条植え、そして苗代栽培によって、米はある程度の増産が見込めるだろう。一人あたりの生産量が増えれば、余剰生産力を別のものに当てられる。まずは炭団や石鹸などの小さなものだが、いずれは鉱山を開発したいな」


 吉松の構想は、まずは衣食住の拡充であった。新田家の次期当主はまだ二歳、とても戦に出られるものではない。田名部三〇〇〇石といっても、出せる農民兵など限られている。さらには戦となれば下北半島を超えていかなければならない。当面は、田名部が戦に巻き込まれることはないはずであった。


「親父には悪いが、戦は根城八戸家でやってくれ。その間に俺は宇曽利を完全制圧し、南部を超える経済力と軍事力を手に入れる。いずれ野辺地を制圧して陸奥乃海を内海化し、そして津軽に進出する……」


 木板に描いた地図の上に石を乗せる。北海道から東北地方の地図であり、記憶を頼りに描いた簡単なものだ。だが自分ひとりが構想するには充分であった。


「三戸、根城、浪岡なみおかあたりから人を引っ張れないだろうか。特に浪岡北畠氏は邪魔だ。安東とも繋がっていることから、南部氏にとっても目障りだろう。浪岡弾正具永ともながは希代の内政家だが、現当主の具統ともむねは愚鈍だからな。そろそろ陰りが出始めてくるか?」


 浪岡氏は陸奥の名族であり、その源流は南北朝時代に奥州に下向した北畠氏にある。だがこれは諸説があり、鎮守府将軍北畠顕家の子孫というのは江戸時代に書かれた家系図だ。北畠顕家といえば、陸奥将軍府を開いた南朝最大の武人である。信じがたいことに齢一四歳、つまり現代的には満一二歳で参議になり、建武の乱では、陸奥国から足利尊氏を倒すために京都まで出陣してこれを撃破、南北朝の内乱では再び陸奥国から出陣して鎌倉を陥落させ、美濃の青野原で北朝方である美濃守護土岐頼遠と戦い、これを撃破した。このとき、齢二〇歳(満一九歳)だ。

 だがやはり若者だったためか、戦には強かったが政治には弱かった。一所懸命の武士たちを動かすには後方の権威が必要だったのだが、土地を恩賞とする仕組みが整っていなかったため、より統治システムが優れていた室町幕府に敗れてしまう。二一歳という若さで命を落とすのだが、日本最果ての地である陸奥国から、京都まで攻め上ったという事実は、後世においても奥州人たちの誇りとなっている。そのため南部氏も、敵対勢力である浪岡氏を最後まで滅ぼさなかった。浪岡氏を滅ぼしたのは、津軽為信である。


「だが俺は違う。俺にとっては過去の栄光など米一粒の価値もない。蠣崎も安東も浪岡も、南部も八戸も九戸も、すべて俺が支配してやる。そして俺が、天下を獲る」


 天文一七年(西暦一五四八年)冬。新田吉松、このとき齢二歳。その瞳は、遥か彼方を見据えていた。

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