第4話 楷書と草書

 宇曽利うそりの夏は短い。葉月(旧歴八月、新暦九月)になれば、山は色づきはじめる。平均気温も二〇度を下回り、朝は寒さに震える。


「若がお考えになられた足踏み式脱穀機ですが、これは凄いですな。これまでの脱穀が遥かに楽になりました。領民も喜んでおります。ご指示通り、空いた時間は狩りや炭薪作りに充てております。冬支度がかなり早くできることから、この冬は無事に越せるかもしれません」


「かもしれません、ではダメだ。必ず無事に越させなければならん。雪かき用の円匙えんしも作らせろ。それと煉瓦による壁の補強も忘れるな」


 この時代、一石でだいたい領民一人である。つまり田名部領の領民はおよそ三〇〇〇人となる。この生産性は明治時代まで続く。その結果、東北地方では身売りや姥捨てが当たり前に存在する。陸奥の自然はそれだけ厳しい。二一世紀でも出稼ぎ労働者がいたほどだ。


(まずは一人当たりの生産性を向上させる。そして空いた時間に保存食を生産し、煉瓦や石鹸を使って住環境や衛生環境を整える。貨幣経済が遅れているため物々交換となっているが、それは経済が座に支配されていないという利点もある。いずれ貿易船も作らせて、越後の長尾氏や越前朝倉氏との交易も行おう)


「御爺、文官が足りん。何とかならないだろうか」


 一通りの指示を終えた吉松は、祖父である新田盛政に相談した。やりたいことは山ほどあるのに、とにかく人手が足りない。だが増やせばそれだけ禄を出さなければならない。根城の八戸氏には父である新田行政がいる。そのツテで文官を借りたいところだが、情報が流れる恐れもある。悩みどころであった。


「吉右衛門は読み書きに算術までできるが、身体は一つしかない。吉右衛門と同程度の人間が欲しい」


「吉松よ、焦るでない。そなたが新田を継いでからまだ幾月も経っておらぬではないか。もうすぐ冬に入る。正月には行政も戻ってくる。その時に相談してはどうじゃ?」


 吉松は腕を組んでしばし瞑目し、そして頷いた。




 陸奥乃海は豊かである。ホタテは日干しにすれば長く保存できるし、貝殻は焼いて石鹸の材料になる。日干ししたスルメイカは、風味が落ちることを無視するならば、ほぼ永久に保存できる。イワシは肥料になるし、煮干しにすれば二年以上は保つ。真鯛、真鱈、平目なども獲れる。


「冬場は網の用意をさせるか。また文官養成のために文字や計算を教えるのも良いな。どうせ皆、暇をしているのだ。時間を有効に使うべきだろう」


 雪かきと並行して道を整備する。領民三〇〇〇人の戸籍を整える。歪な田畑を整え、正条植えができるようにするなど、やりたいことは山ほどある。だが一つずつ整えていくしかない。まずはこの冬でやりたいことは「文字の統一」であった。


「今後は新田家では、公式文書では崩し文字を禁じ、すべてを楷書にしたいと思う。また仮名や片仮名なども文字を統一する。具体的にはこれだ」


 孫が渡してきた紙を見た盛政は瞠目した。目の前にあるのはいわゆる、五十音一覧表である。これまで崩し文字が当たり前で「何となく」で読んでいた書状をすべて楷書に統一する。これには反発する者も多いだろう。


「なぜ楷書なのじゃ? 草書のほうが書き易く、三戸や八戸のみならず多くの家で使っておるが?」


「草書とは略式文字であろう。だが略し方が人それぞれで、読み手は解読せねばならん。例えば安東が攻めてきたという火急の知らせをいちいち解読して、何となくこう言いたのだろうで良しとするのか? 私的な日記や個人間の手紙のやり取りならば草書でも良いだろうが、物事を正確に伝える必要がある公式文書では、誰もが同じ文字を使うべきだ。御爺、これは絶対に譲れぬ。たとえ父上と殴り合いになろうとも、必ず押し通すぞ」


 孫の真剣な表情に、盛政は苦笑した。新田家当主である新田行政は、妻まで連れて根城に入っている。つまり実質的には八戸家の当主なのだ。父親が八戸家を乗っ取り、息子である吉松が新田家を乗っ取る。下剋上とは違うが、新田家は既に吉松が当主となっていた。


「その必要はあるまい。儂からも楷書を使うことを伝えておこう。じゃが吉松よ。正しき文字で統一するならば、そなたはまず漢字を覚えねばならぬぞ?」


 喋り方は大人びていても、齢二歳の幼児である。盛政は、この冬から吉松に手習いをさせようと決意した。




(やれやれ、麒麟児というのも困ったものだ)


 新田家前当主の盛政は、息子への手紙を書きながら首を振った。理屈は理解できる。確かに文字を統一することで、相手の意図を正確に読み取ることができる。この田名部では、少し前まで「みやび」が重んじられていた。陸奥の海に船を浮かべ、酒を飲みながら短歌を謳う。当時であれば、楷書による統一など不可能だろう。


(馬之助様(※南部晴政のこと)は新進気鋭の御方じゃ。楷書に統一すると言えば、面白いとお笑いになるやもしれぬ。むしろ倅のほうが反対するであろうな)


 父上は八戸を切り盛りすればよい。新田家のことは俺に任せれば良いのだと吉松は言った。確かに、まだ一〇歳にも満たない長男が八戸家を継いだのだ。支える者が必要であろう。根城八戸家は、新田家より遥かに大きい。そして田名部と根城では大分距離がある。両方を見るのは無理だ。だから自分がここにいるのだが、次期当主は吉松なのだ。道を外さない限り、好きにさせてやればよい。


「こうしてみると、楷書の手紙も悪くないの。これならば誰でも読めよう……」


 書き上げた手紙を見返して頷く。私信ならともかく、先代が当主に対して報告する書状である。誤解が無いようにしなければならない。この書状で、当主である行政も楷書の利点を認めるだろう。


「吉松に手習いをさせねばならぬな。圓通寺えんつうじ聚覚じゅかく和尚に頼むとするかの……」


 そして再び筆を手にした。




 青森県下北半島の名所といえば、やはり「恐山」が有名であろう。高野山、比叡山に並ぶ日本三大霊場の一つだがその開山は古く、八六二年に天台宗の慈覚大師によって地蔵菩薩の本尊が置かれた。坂上田村麻呂による蝦夷討伐があったとはいえ、平安時代の東北地方は「蝦夷の地」である。道なき野山をかき分けながら進み、最果ての下北半島に硫黄が噴き出る温泉地帯を見つけたとき、慈覚大師は何を感じたのだろうか。血のように赤い池を見れば、ここが地獄かと思っても不思議ではない。

 だが、そんな最果ての山で一生を過ごすには、余程の覚悟が必要である。結局、恐山天台宗は長続きせず、数百年に渡って「恐山信仰」のみが残った。

 一五二二年、この地に再び「仏教」がやってくる。曹洞宗の高僧「聚覚」は、南部家の支援を受けて田名部館の近くに「圓通寺」を創建し、恐山菩提寺を再建する。だが乱世の中で本州最北端の霊場を保つことは容易ではない。恐山菩提寺が本格的に機能し始めるのは、江戸時代に入ってからである。


「ヒョヒョヒョッ! なるほど、確かに麒麟児じゃのぉ」


 吉松の目の前には、真っ白な眉毛をした老人が座っている。年齢は七〇を過ぎているだろう。圓通寺住職の聚覚和尚は、その名前こそ曹洞宗内でも知られているが、実際には僅かな布施と南部や新田からの支援で細々と暮らしている坊主に過ぎない。


(だからこそ「真の貴人」と考えることもできるか。この最果ての地にやってきて寺を建てようなど、並の覚悟ではできない。ザビエルやフロイスと同等だろう)


「和尚。俺は算術は得意だが、読み書きが苦手だ。ぜひ教えてくれ」


「これっ! 教えてください、じゃっ! 読み書きのみならず言葉遣いや礼儀作法も叩き込まねばならんのう。それではとても新田家の当主になどなれんわっ」


 パシンと頭を叩かれる。俺はまだ二歳だぞと内心で毒づきながら、素直に頭を下げる。吉松は決めた。この冬ですべての文字を覚えて、さっさと卒業してしまおうと……


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