第3話 発展への仕込み
父親の新田行政は、八戸氏本拠である根城(現在の八戸市)で暮らしている。そして新田家の嫡男である吉松(後の新田政盛)は、陸奥湾に面する田名部領(現在のむつ市)において、祖父である新田盛政を傅役とし、嫡男としての教育を受けることになった。
田名部領は三〇〇〇石だが、これは「禄高」でありすべてが領主のモノになるわけではない。新田家では代々「五公五民」の徴税をしているため、半分の一五〇〇石が新田家に入る。この中から侍や足軽の俸給を出さなければならないし、日々の生活費も賄う必要がある。
「つまり貧しいのだな?」
吉松の返答に、盛政は思わず失笑した。確かに豊かではない。だが新田家はかなり恵まれている。津軽から陸奥を領する南部家の一門であるばかりか、鎌倉から続く南部氏の「宗家」から分かれた家柄なのだ。今でこそ三戸南部氏が宗家となっているが八戸家も新田家も、この陸奥においては隠然たる勢力を持っており、三戸南部家に次ぐと言ってもいいだろう。その分、戦においては兵を出さなければならないが、それは家を大きくする機会でもあるのだ。
盛政がそう答えると、吉松は首を振った。
「そういう意味ではない。田名部の民を見ろ。皆、痩せておる。着る物も貧相で家も襤褸ではないか。冬になれば家に寒風も入ってこよう。娘を売りに出す家すらあると聞く。これのどこが豊かなのだ? 御爺には申し訳ない言い方になるが、我が新田家の歴代当主は、何をしていたのだ?」
二歳児が真剣な眼差しを向けてくる。盛政は思わずカッとなった。童に何が判るのか。蠣崎の乱が起きる前までは、この田名部には北部王家が御座し、それなりに華やかであった。だがあの乱によって大きく衰退した。それを立て直したのは自分であり、倅の行政なのだ。
だが吉松の言うことに間違いはなかった。新田家は恵まれている。しかし田名部の民は決して豊かとはいえない。ここは
「言い過ぎた。済まぬ。御爺、俺は田名部を豊かにするぞ。三年だ。三年だけ、俺のやることを見守ってくれ」
「……わかった。お前の好きにするがよい」
これが本当に二歳児の言葉なのか。盛政は背中に汗が流れるのを感じていた。
「若様、鍛師の善助と番匠の佐助が参りました」
吉松に側仕えしている吉右衛門が、田名部で鍛冶師として働いている善助と大工の佐助を連れてきた。田名部館は「館」といっても所詮は「北端の砦」に過ぎない。畳などあろうはずもなく、板張りの床に胡坐で座るのが普通だ。
「二人ともよく来てくれた。俺が
「「ははっ」」
齢二歳の子供に、中年の男二人が頭を下げる。内心では迷惑と感じているのは、側仕えの吉右衛門でさえ感じていた。当然、中身だけは人生経験豊かな老人の吉松も、二人の心情はとっくに察している。だがそれは
「二人に作って貰いたいものがある。吉右衛門」
吉右衛門がススッと前に出て紙を差し出す。希少品だが、他者に指示するには紙が一番であった。二人は紙に眼を落とし、互いの顔を見て、そして吉松に視線を向けた。説明を待っているのである。
「善助と佐助には、それぞれ三つを作って貰いたい。期限は年内だ」
それは農具や建材、そして武器であった。「足踏み式脱穀機」「搾油機」「井戸用手押しポンプ」「煉瓦」「コンクリート」「クロスボウ」である。紙にはそれぞれの作り方や設計図が描かれている。
「最優先は足踏み式脱穀機と煉瓦だ。脱穀機があれば刈入れ時に人手が余る。彼らは煉瓦造りに参加してもらいたい」
「若君のご指示とあれば取り掛かりますが、これは一体……」
善助と佐助、さらにはこの紙を代筆した吉右衛門まで首を傾げている。この質問は予想していたので、吉松に焦りはなかった。
「田名部を豊かにするための道具だ。実は夢の中に
「さる方?」
「これ以上は聞くな。いずれにしても、その紙があれば作れるだろう。まずは騙されたと思って試作してみてくれ。たとえ出来なくても、責を問うことはせん」
二歳児とは思えない言葉遣いに眼を白黒とさせながら、二人の匠は頷いた。
「鍛師と番匠を呼んで、なんぞ指示したそうじゃの?」
「うむ。今年は既に田植えも終わっている。実際に動くのは来年からだ。だが出来ることはある。まずは冬をどう超すかだ。そのための道具を作って貰っている」
当主である新田行政が根城にいる以上、この田名部は自分が切り盛りしなければならない。新田家嫡男の祖父である盛政はそう思っていた。だが嫡男吉松は神童と呼べるほどの切れ味を見せている。己で判断し、動いている。必要なときに口を出せば良いと考え始めていた。
「御爺、聞きたいことがある。これはここだけの話にしてほしい。父上にも内緒だ」
「なんじゃ? 悪巧みか?」
「似たようなものだがな。もし、新田家が八戸、そして南部より強くなったら、どうする?」
そう問われ、盛政は吹き出しそうになり、そしてゾッとした。これが、二歳児が問い掛けることであろうか。顔を見ると、吉松の瞳には強い力が込められている。本気だと感じた。
「……南部家はもともと、南部三郎光行様を祖とする。一戸から九戸、石川、さらには北氏、南氏、東氏、津軽の大浦や大光寺まで皆、根は同じなのじゃ。三郎様が平良ヶ崎館を建てられてより三〇〇年、多少の変化はあれど、南部の家は三戸を宗家、根城を分家筆頭として津軽と陸奥を治めてきた。無論、三戸と根城の対立もあった。だが根は同じなのだ。同じ南部家として纏まってきた」
「なるほど。つまり新田が南部に取って代わることは難しいということだな?」
「………」
滅多なことを口にするな、とは言えない。なぜなら目の前の二歳児は、自分が口にしている言葉の危険性を十分に理解しているからだ。だから「ここだけの話」なのだ。そしてそれは、子供の戯言よりも遥かに恐ろしかった。
祖父の表情に気づいたのか、吉松はフッと笑った。
「ハッハッハッ! 御爺、
話題が変わった。盛政はフッと息を吐いて、そして笑顔になった。
「この煉瓦というのは面白いですな。陸奥漆喰(コンクリート)と組み合わせれば、より頑丈な壁を作れまする」
「うむ。家を建てる際の新たな建材となろう。それにこれは熱に強い。炭焼きの窯を作る際にも役立つ」
刈入れまで間もなくという頃、吉松が指示していた「新技術」が田名部館の庭に運ばれてきた。道具の使い方、作り方の手順、図面まで渡したのだ。たとえ戦国時代の職人でも作れるはずであった。
「搾油機はもう少し掛かりますが、若様が仰られていた石鹸とやらは、熊の脂身から作ることができましたぞ。確かに汚れは落ちますが、些か臭いが強うございますな」
「それについては案がある。夏泊に椿の森がある。この椿から油を取ることができる」
「ほう、椿か。そういえば聞いたことがあるのう。その昔、
「御爺、あるぞ。だがなぜ俺が知っているかは聞くな。夢に出てきたと思っておいてくれ」
万葉集にも出てくる日本固有種である椿は、本州夏泊半島の「椿山」が自生北限地である。一万本を超える椿の森は、初夏になれば一斉に花開き、中々に見ごたえがある。
「夏泊の海岸近くのはずだ。どうせ誰も使っておるまい。ならば田名部が有効利用させてもらおう」
この時代に「自然保護」という考え方はない。後世に椿山の名所を残すためにも、椿植林も進めるべきだろう。指示を出しながら、吉松はそう思った。
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