第一章 宇曽利乃郷

第2話 陸奥乃海

「どうじゃ。吉松よしまつの様子は……」


 闇の中で声が聞こえた。話し方が前時代的すぎると思いながら、瞼を少し上げる。額に冷たいものが押し当てられた。それが手だと気づくまで、数瞬を要した。


「お熱は下がり、脈も落ち着き始めています。峠は越えたかと」


「そうか、そうか」


 髭面の男が覗き込んでくる。誰だお前は? 思わず声を出しそうになったが、うぅと呻くだけで精いっぱいであった。自分の記憶では、新型ウィルスに感染して自宅待機中だったはずだが……

 身体が疲弊しているのだろうか。手すら動かせない。再び瞼を閉じる。意識はそこで途切れた。




 夢を見ていた。ある男の一生だ。その男は若い頃から反骨精神が旺盛で、他人の言うことを唯々諾々と受け入れることができない男だった。手に職を付けて自分で会社を立ち上げる。そのために建築会社に入った。厳しい親方に扱かれながらも、男は確実に技術を修得し、一〇年の実務経験を経て専任技術者の資格を得て独立した。「列島改造論」なる本が売れていた時代だった。建築の仕事は山ほどあった。男は技術のみならず、経営にも優れていた。やがて地元でも有数の住宅メーカーとなっていった。

 息子に会社を継がせて会長に退くと、暇な時間を見つけては小説を貪り読み、そして自分で書き始めた。歴史モノが好きだった男は、やがて地元である「陸奥」の歴史に眼を付けた。「三日月の丸くなるまで南部領」といわれたほどに広大な領土を成した南部晴政などは、男にとって格好のネタであった。自分がこの時代を生きたらどう生きるか。そうしたことを夢想しながら、ライトノベルと本格歴史小説の中間のような小説を書いたりしていた。

 やがて八〇歳近くになり、会長職も辞して地元を散策する日々を送る。そんな中、男は世界的な流行病に罹患してしまう。


(そして気が付いたら、戦国時代に転生していました。ハハハ……)


 数え年で二歳、つまり満一歳の吉松は、ヨタヨタと屋敷内を歩いた。この屋敷は、後世においては焼失している。むつ市田名部川沿いの代官山公園に跡地があった「田名部館」である。偶然、田名部川という名前を聞いたので、おそらくはそうだろうと推測している。


(兄の名は幼名で久松。いまは養子に出ているそうだ。おそらくは八戸政栄まさよし。一七代当主の八戸勝義が死んで政栄が一八代になるのが一五四八年だから、つまり俺は……)


 考え事をしているとドンドンと足音が響く。父親が帰ってきたのだ。だが足音が複数ある。母親である「春」や乳母たちが出迎える。


「いま戻ったぞ。大勝利じゃ!」


 真っ白な髭を生やした老人が入ってくる。それに父親が続いた。母親に引っ張られる形で、吉松は床に手をついた。


「殿、御義父上様、おめでとうございます」


「お、おめでとうごじゃいましゅ」


 噛み噛みながら挨拶する。すると二人はピタリと止まった。母親も吉松をまじまじと見ている。


「おぉぉっ! 喋ったぞ! 吉松が喋りおった!」


「しかも最初の言葉が“おめでとうございます”じゃ! なんと目出度い! 宴じゃ。今宵は大いに飲むぞ!」


 一五四七年、嫡男のいなかった第一七代八戸氏当主の勝義は、庶流であった新田行政にいだゆきまさの長男、新田政栄まさよしを養子に迎える。そしてその翌年、勝義は死去する。政栄は齢五歳で第一八代八戸氏当主となった。無論、これには裏がある。

 南部氏は鎌倉時代から続く清和源氏の一家系だが、第四代当主の南部師行もろゆきが、南朝の公家である北畠顕家あきいえに従って「根城南部氏」を立てたところから、八戸氏は始まる。やがて三戸南部氏も支流として誕生するが、南朝の衰退とともに根城南部氏の力も相対的に弱まり、三戸南部氏が台頭する。


 歴史の定説では、第二三代三戸南部氏当主南部安信が津軽地方を平定し、弟の石川高信に統治を任せると、五戸地方(現在の八戸の西部)、柏崎館(現在の秋田県鹿角市)などに弟たちを配置し、津軽と陸奥の完全平定を目指したとなっている。石川高信については異説もあるが、安信は三戸南部氏の「戦国大名化」を成し遂げたと言っても過言ではない。

 第二四代三戸南部氏当主南部右馬助晴政は、父親の意志を受け継ぎ、陸奥に残された目の上のたん瘤を除去しようと画策した。それが「八戸南部氏の乗っ取り」である。衰えたとはいえ、八戸南部氏は南部師行から続く南部氏宗家である。その力は決して侮れるものではなかった。

 そこで晴政は、八戸南部氏の庶流に眼をつけた。蠣崎蔵人の乱以降、田名部湊を中心に三〇〇〇石を領していた「新田氏」に調略を仕掛けたのである。一五四七年、八戸南部氏の居城である「根城」において、南部晴政、新田盛政、新田行政ゆきまさの三者は、嫡男のいなかった八戸勝義を排除し、行政の長男である新田政栄を「八戸政栄」としてしまったのだ。


(これについては史料も少なく、当時の情勢からの憶測でしかなかったが、話を聞く限りはやはりといったところか……)


「久松(政栄の幼名)は根城にて八戸当主となる。儂も後見として根城に入る」


 父親である行政が、自分たちの謀略を自慢げに話す。エゲツナイものだと思いながらも、この時代ならその程度は当たり前かと納得する吉松であった。


「喰うか、喰われるか……」


 ボソッと呟いた言葉を祖父である盛政は聞き逃さなかった。


「ほう。齢二歳にしてそのような言葉を口にするか。誰から教わった?」


「自然と出てきました」


 吉松としてはそう答えるしかない。胡蝶の夢と返しても良かったが、気が狂ったと思われるのが怖かった。盛政は二度頷いて破顔した。


「そうじゃ。その通りじゃ! 新田家は八戸家を喰らった。北の蠣崎、南の斯波、安東。右馬助うまのすけ様(南部晴政のこと)はさらに喰らうであろう。吉松は今日より、新田家嫡男じゃ。立派に成長して、父を支え、兄を支えるのじゃぞ?」


 盛政の言葉に頷くのを確認し、父親の行政は妻に顔を向けた。


「吉松は父上が後見する。そなたも、この田名部に残るがよい。来年の春には、久松にも会えよう」


「はい……」


 少し表情を暗くしながら、母親は頷いた。兄である政栄は五歳である。まだまだ母親に甘えたい盛りであろう。その点、自分は大丈夫だ。肉体的にも乳離れはしており、精神的には祖父よりも上の年齢である。


「父上。私は大丈夫です。母上と共に、根城に入られては如何でしょうか?」


「……母は不要と言うか?」


「いいえ。ですが私は新田家嫡男。母にはいつでも会えます。ですが兄上は……」


「うむ、考えておこう。それにしても吉松はさかしいな。子供とは思えぬ」


「……病の中で、誰かに会ったような気がします。それ以来、不思議と知恵が、言葉が湧いてくるのです」


 適当な言い訳をする。この時代の人々は迷信深い。不可思議なことでも適当な言い訳で、案外納得してしまうものだ。案の定、目の前の中年と老人は頷いた。


「それは、あるいは三郎様(※南部氏開祖)やもしれぬな。六家に分かれしお家が、再び一つに纏まろうとしておる。その力になれと仰せなのやもしれぬ」


 そう呟き、父は盃を呷った。




 天文一七年(西暦一五四八年)、本州最北端の宇曽利(※現在の下北半島)にある新田領田名部館では、短い夏を迎えていた。吉松は新田氏嫡男となったが、傅役もりやくはいない。兄である新田政栄が八戸政栄となったため、父親や主だった重臣は、根城(現在の八戸市)に遷った。田名部館からは直線距離でも一〇〇キロ近くあり、道が整備されていないこの時代では、移動に最低でも五日を要する。


(大湊から野辺地まで船で陸奥湾を縦断し、小川原湖を左手に見ながら南下するルートでおよそ四日…‥万一にも陸奥湾で船が沈んだら確実に死ぬな。夏は良いが、冬になればこの田名部は完全に閉ざされる。なるほど。蠣崎蔵人の乱以降、この地が平穏だったわけだ)


 新田氏は田名部三〇〇〇石を領しているが、その領地は曖昧だ。北西にすでに廃れている天台宗恐山菩提寺の領があるが、逆を言えば勢力はそれくらいである。野山と森林、原野が広がるだけだ。

 恐山菩提寺は、比叡山とは違って腐敗はまったくしていない。というよりも天台宗の菩提寺としては廃れてしまっており、田名部にある曹洞宗の寺が菩提寺の代わりとなっている。いずれにしても、本州最北端の木もロクに生えていないような山に籠って修行するなど、並の覚悟ではできない。比叡山や本願寺の生臭坊主どもとは出来が違う。宇曽利は、冬になれば屋根に届くほどに雪が積もる過酷な環境だ。あまりにも過酷すぎて、野盗すら出ないほどだ。


(だがそれだけに、開拓に成功すれば途方もない利益を生み出す。まずは衣食住を整えることだ。なにをさておいても「食」だな)


「何を考えておるのじゃ、吉松よ」


 田名部館から陸奥湾を眺めていると、祖父である新田盛政が声をかけてきた。盛政は、蠣崎蔵人の乱で活躍した八戸政経まさつねの子である。八戸政経はもともと新田清政の子で、第一三代八戸当主となった。つまり新田家が八戸家を継ぐことは、今回が初めてではない。南部氏は鎌倉時代から、糠部ぬかのぶ(※青森県東部)に深く根付いてきたのだ。


御爺おじい。俺は田名部を豊かにしたい。そのためには手足となって動いてくれる者が必要だ。俺はまだ二歳、とても力仕事はできぬ。誰か付けてくれぬか? できれば文字が読める者を……」


「であれば、吉右衛門が良かろう。槍も太刀も駄目な男だが、頭は良い奴よ。それで、なにをするのじゃ?」


「まずは米だ。この田名部でも稲作は行われているが、ロクに収穫できぬ。夏であっても寒いからな。ならばこの地に相応しい米作りをせねばならぬ。だがもう夏だ。まずは今年の収穫に向けた準備をするとしようか。そのために、鍛師かなちと番匠(※大工)に会いたい」


 この時代の人間は保守的である。先駆的な取り組みを嫌がり、昔からのやり方に固執する。だが効果があると解ればすぐに乗り換える。鉄砲が爆発的に普及したのはそのためだ。


(まず三年だな。三年でこの田名部を劇的に成長させる。その後は……)


 外見はどう見ても幼児なのに、陸奥乃海を見つめるその瞳には、凄まじい野望が渦巻いていた。

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