第16話 フーベット

瞼越しに淡い光が見える。

柔らかな輝きではあるが、眠るのにはちょっとだけ邪魔な光だった。


「……うーん」

片腕を顔の上に乗せるとある程度光は軽減できた。


「……ふう」

幾分かはマシだろう。

さて。しばらく怠けた生活を送ってしまっても構わないだろう。

……。

…………。

………………。

トントン。

叩くような音がどこからか聞こえる。

トントン。

どこから聞こえてくるのだろう。

トントン。

何度も叩いてくる。

これは……扉の方から鳴っているらしい。

扉……扉……



「———依頼!?」



ベッドからつい転げ落ちてしまう。


「いて……」

すぐに起き上がって扉の方へ向かう。

相変わらずトントンという音は扉の方から聞こえてくる。

慌てて扉を開けると、一人の少女がそこに立っていた。


「———」

目を疑った。

こんなに綺麗な人、この村にいただろうか。

何の変哲もないこの村の住人とは思えないほどに可憐な少女だった。

どこか遠いところから迷い込んできたお嬢様……のような雰囲気。


「突然の来訪、お許しください」

彼女はスカートの裾をわずかに上げてお辞儀をした。

つられて私も頭を下げる。


「ここに護衛の仕事を受けてくださるという……ファルコンさん、という方に会いに来たのですが」


真っすぐな目線に射抜かれた気がして胸の辺りがどきりとする。

彼女の姿に惚れ惚れとしてしまって自分の中の時間が止まったような感覚に陥る。


「……?」

固まる私を彼女は不思議そうに見つめた。


「……あ、ああ」

そこではっとしてすぐに返答しようとする。


「ファルコンさんはいらっしゃいますか?」

「ファルコンは、私の……」


そこでまたはっとした。

つい慌てて出てきてしまったために、自分の今の状態に気づいていなかった。

恐る恐る顔を下に向けるとだらしない部屋着が目に入る。

そして自分の頭に手を触れると髪の毛がはねていることに気づいた。


「ちょ……ちょっと待って……!」



扉を閉めて一旦不思議そうに見つめてくる彼女の姿を遮断する。

少し散らかっていた部屋を簡単に掃除して、吊るしてある仕事着を取り出しすぐに着替える。

着替えている途中でしわを見つけて、すぐに叩いて伸ばしていった。

はねている髪の毛もすぐに解かし、後ろ髪を結いでいく。

顔もさっと洗い、だらけきっていた目をきりっとさせた。


「……よし」

小さな鏡の中の自分を注意深く確認する。

仕事用の姿に成り代わるのにかかった時間は数分。

そのぶん彼女を待たせてしまっている。

扉の前で一息つく。

そして扉を適切なスピードで開いた。




彼女は数分前とちっとも変わらない様子で待っていた。


「お待たせして申し訳ございません。私が護衛の仕事を承っている、ファルコンです」

仕事時と同じように礼儀正しく挨拶をする。


「フーベットです」

彼女は再びスカートをつまんでわずかに上げた。


「では、中で依頼の詳細を伺います」


普段通り、依頼主を家の中に通した。




彼女を向かいに座らせて、紅茶を用意する。

今度こそお湯を用意して淹れたものだ。


「いただきます」

そう言って彼女はカップをゆっくりと持ち上げ、紅茶に口をつけた。

その一連の些細な動きでさえも優雅に見えてしまう。


「とても美味しいです。この紅茶はどこのものですか?」

「……」


どこだ。

いつもイロンデルがくれるから何の紅茶なのか考えたことがなかった。

イロンデルはこの紅茶のことなんて言ってたっけ……





「これ私のオススメ。#%$?><$って言うんだけどね。滅多に手に入んないんだけどこの間患者さんからたくさん貰ったんだよ。飲むといい感じにリラックスできる」




「#%$?><$、という紅茶です」

「……」

「……」


イロンデルの呼んでいた名前の音だけを苦し紛れに思い出し、そのまま彼女に伝えた。

……詳しくないとバレてしまっただろうか。


「聞いたことがあります。初めていただきました」


……通った。


「用意した甲斐がありました」


まるで通のような振りをした。


「それで、今回のご依頼は」

彼女がカップから口を離したところを見計らって声をかけた。


「はい。〇〇という場所はご存じですか?」

「ええ、何度も足を運んでいるので。この村からはそれなりに距離はありますが」

「そこに行きたいのです」

「了解しました。目的地での予定と出発の日時も教えてください」

「明後日……予定は、観光、です」

「……観光?」

「はい」

もう一度紅茶をいただく彼女。

護衛は何度もしてきたが、他の村に観光しに行きたい、というような依頼は珍しかった。

珍しい……というより、一度もなかった。


「明後日……というのも、早急すぎるでしょうか……?」


不安げに彼女は聞いてくる。


「……あ、いえいえ!そんなことはありませんよ」


明後日、というのもまた珍しい。

他の依頼主は基本的に出発の前日に依頼してくるのが多かったからだ。

特に夕方時にやってくることが多いので、何の予定も入っていない日は夕方近くに仕事着に着替えて依頼を待つ……というのが日常だった。


「何を見に行く予定なのですか?」

観光が目的とのことで、気になってそんなことを聞いた。

あの村には特段珍しいものもなかった気がするけれど。


「何か特別なものを見に行く……というわけではないのです。なんというのでしょう……自分でもよくわからない何かを探しに行く、というような」


なおさら珍しい。

特に明確な理由がないのにそこに行きたい。

そう考えるような人がまだいるなんて。


「……やはり、このような理由ではダメでしょうか」

「いえ。そんなことはありませんよ。どのような理由であれ、私が責任を持って護衛させていただきます」


小さく頭を下げると彼女は安堵の表情を見せた。

本当に珍しい人だ。

みんな自分主体でどんどん話を進めていくのに、この人はどこか謙虚なところがある。

結構久しぶりに護衛のしがいがあるな、なんて思ったのだった。


「この紅茶ですけど」

「え、はい」


唐突に彼女が話を変えてきた。


「どなたからいただいたものですか?」

「……」


彼女の目線が妙に突き刺さる。

まさかとは思うけれど、紅茶に詳しくないのがバレたり……?


「こ……これは自分で」

「……?」

「……イロンデル、という知り合いから貰いました」


見た目相応に振る舞おうと嘘をつきかけたが、結局本当のことを吐露してしまった。


「イロンデル……ですか。私もよくお世話になっています」

「ああ、知っていらしたのですね」

「はい。あの方からは色んなことを教えてもらっています」


イロンデルのことを知っている……となるとやっぱり彼女はこの村の住人ということになる。

でもこれくらい綺麗な人がいるなんて、何年もこの村にいる私でも知らなかった。

きっとこの姿を見ればたちまち村の話題になるけれど、そんな話も知らない。

最近やってきたのか、それとも普段は外に出ないような人なのか。


「ところで、先ほどから気になっていたのですが」

「はい?」

「先に応対されていたあの方はどちらに……?」

「……」


別人だと思われてる。

仕方のないことだけれど。


「奥の方で色々と……私の弟子、みたいなもので」


咄嗟に出てくる嘘。

まだ弟子を取れるほどの器量じゃないでしょ私。


「そうなのですね。お名前はなんと言うのですか?」

「なま……ファ……ファーコ……と言います」


どうやら素の私はファーコとか言うらしい。

ちなみに今決まった。


「ファーコさん。では彼女にも、よろしくお伝えください」


カップの中はいつのまにか空になっていた。

そして彼女はゆったりと立ち上がる。

彼女は最後まで動作の一つ一つが気品にあふれていた。

そんな彼女に見咎められるような動きをしないように、私自身もなるべく礼儀正しく見送ろうとする。


「それでは明後日の朝に、もう一度訪問させていただきます」

麗しい、という言葉が似あう笑顔を向け、彼女は去ろうとした。


「……」

背を向けて歩き始める彼女を眺める。


「……あの!」


大きな声を上げて彼女を呼び止めた。

すると彼女はまた不思議そうに振り返った。

どうして彼女を呼び止めたのか、わからない。

彼女にそうさせるだけの珍しさが、魅力があったからだろうか。

でも、妙にそれだけではないような気がした。


「もう一度お名前を伺っても、いいですか?」


どうして彼女……フーベットが気になってしまうのだろう。

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