第14話 その後
「……コン、おーい」
瞼の裏の真っ黒なスクリーンがほんのりと白くなる。
「うーん、もう起きてもいいころなんだけどな」
耳に声が入ってくる。
「ま、も少し経ったら勝手に起きるでしょう」
体全体が柔らかなシーツで覆われていることに気づく。
同時にここで寝ていたことにも気づいた。
さっきまであんなに蝕まれていた体も今はなんともない。
がさごそと音を立てながら、私は起き上がった。
「あ!起きたじゃんね!」
真っ先に目に入ったのはイロンデルの嬉しそうな顔。
そしてここは……イロンデルの医院であるらしかった。
「もー、すっごい恰好で運ばれてきたからびっくりしたんだよ?」
「……?」
自分の体を見てみると、入院する患者用の薄い色の衣服が着せられていた。
「仕事用の服、すっごい汚れてたから」
「……」
……なんで寝てたんだろう。
「私、なんでここに……?」
イロンデルはきょとんとした顔をする。
「えっ。覚えてないの?コルボーが二人を運んできたんだけど……」
「コルボーが……?」
「うん。ただ連れてきて面倒みてくれーって。それだけ言ってまたどこかに行っちゃった」
……コルボーが私たちをここまで連れてきてくれた。
「……あの」
私は周囲を見渡す。
「ん?……ああ、ピックさん?あの人ならすぐに起きて帰ってったよ。私はもう少し休んでいきなって言ったんだけど。まるで死んだようにに寝ていたのに、起きてみたらすごい元気でピンピンしててさ」
イロンデルが不思議そうに首を傾げる。
「そっか……それならよかった」
依頼主が無事であることに安堵する。
するとイロンデルがむすっとした顔で迫ってきた。
「ねえねえ。本当に何も覚えてないの?コルボーもピックさんも説明しないで帰ってくし……何があって二人とも泥まみれで気絶した状態で運び込まれてきたの?」
……自分の頭からつい最近の出来事の記憶を引っ張り出す。
私はあのとき……。
「はぁっ……はぁっ……!」
そうだ、あの少女に対して剣を引き抜いた私は。
結局、何もなしえなかった。
一心秘めて踏み込む勇気が、ここぞというところで出なかった。
私は……
あの少女の囲いに隙間をたまたま見つけて、そこを通り抜けた。
この剣で貫こうと思えば、動きさえできればきっと刺し殺せたのだろう。
ただ、本当に偶然、あの隙間を見つけたから、そっちの道を選んだ。
違う。決して剣を使うことから逃げたわけじゃない。
たまたまもう一つの突破口があったからそれを選んだだけで……。
そして振り返ることなく必死に走った。
走って走って、走りに走って。
なぜか雨もだんだん弱まっていって……。
そして、果てた。
少女は追いかけては来なかった。
だんだんと小さくなっていく歌声が、少女がまだ自分だけの舞台に夢想していることを伝えていた。
その声が決して聞こえなくなるところまで走った末に、私は気を失った。
私は、ただ逃げただけだった。
先生と何度も打ち合って剣の使い方は熟知しているはずなのに。
もしもの時、相手が立ちはだかったときの対処の仕方も教えてもらったのに。
ただ必死に逃げただけだった。
体の不調も、少女に対する恐怖も、焦燥感もあったから……というのは言い訳だろう。
ただただ私自身の問題だ。
唯一剣を持つ私が打って出なければならなかったのに。
その一歩を逃げるために使ったんだ。
「そんなに気を病むことないんじゃない?」
私の体の傷を診察しながらイロンデルが不可思議そうに言う。
「だって結局どっちも助かったんだし。逃げるって選択肢を取ったのが間違いのわけないよ。むしろ戦って大けがしてたらどうしたのさ」
「それは、そうだけど」
俯き続ける私を見てイロンデルは呆れたようにため息をつく。
「……ファルコンは責任感がそれなりにある方だし、気持ちもわかるけどさ」
机の上のカルテに色々と書きながらも私を諭す。
「私は、危険なものを見たらすぐ逃げるのが一番だと思うよ?歌う災害然りゆらゆら然り」
「……」
イロンデルがイロンデルなりに助言してくれていることはわかる。
でもそれ以上に自分の不甲斐なさに対する悔やみの方が強く、イロンデルの言葉は壁に反射されたみたいに私の脳には届かなかった。
「んー……」
イロンデルは困ったように唸る。
「……なんか、ごめんなさい」
小さな声で謝罪をするとイロンデルが立ち上がった。
「ま、人の性は変わらないし仕方がないね!」
私の肩をぽんと叩くとそそくさとカルテを片づけてしまった。
「今日はなんか作るよ」
「え……?」
私の仕事着を袋につめ、何やら外出の準備をしている。
「今日は私が特別に御馳走をふるまってしんぜよう」
今日のイロンデル医院は少し早めに閉まったのだった。
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