第7話 幽霊の噂

———少しくつろぎすぎてしまった。

空は気づいたら茜空に染まっていて、靴も乾いていた。

慌てて待ち合わせの場所へ走っていくと、ちょうど今日の依頼主がやってきていたところだった。


「今日もなかなか売れたよ」


笑顔で袋の中を見せる。

中には売りに持ってきた現世ごみの代わりに、様々な品物が入っていた。


「それはよかったです」


彼女が満足そうな顔を見せたので、私も笑顔で返した。

でも彼女は私の顔を見て何か、つまらなそうな表情をしたのだった。


「では、帰りましょう」


故郷に向かって足を進ませる。

相変わらず不安定な歩き道だった。

足元が、という意味ではなく、距離も方向も変化してしまうという意味で。

こんな世界を自由に行き来しようと思う人は、大抵がこの仕組みを理解した上でさらに最短の時間で行けるよう応用できるほど慣れている人と、一部例外的な直観だけを頼りにして突き進むような人だけだった。

私の場合は、先生の仕事の同行で自然とこの仕組みを扱えるようになっていた。

長年この仕事をやっているから、あまり外に出たことのない人が他所に何か用があるときに私を頼ったりする。

その点で言えば……私の仕事は護衛というより、道案内の側面が強い。

実際、そう思ってる人も多いのだろう。

この人だって、商売を始めたのは最近だったから私を頼ったのだと思う。


「……あ」

「ん?どうしたの?」


そんなことを考えながら歩いているとあるものを見つけて足を止めてしまった。

彼女も同時に足を止める。


「ふわふわ、ですね」


霧のように朧気な人体の輪郭が、目線の先の木々の中に存在していた。


「ああ、あれね」


彼女は特段驚いた素振りも見せない。

まあ、当然だろう。

この世界で生きれば生きるほど、あの幽霊(ふわふわ)は見えるようになっていく。

一々驚くような人はそれこそこの世界に昇ってきたばかりの人だろう。


「また立ってる……あ」


ふわふわが森の奥深くへと当然走り出し、消えてしまった。

多くの人は様々なふわふわを見てきている。

しかし中でもあのふわふわは、この辺の近くにいる人なら誰でも知っている有名な存在だった。


「奥に行っても水場しかないし、どこに行こうとしているのだろうね」


彼女が不思議そうに眺めているとふわふわは奥へ奥へと急ぐように走っていき、いずれ見えなくなってしまった。


あのふわふわは、私の住む村の周辺……森林の中に現れる。

道を歩いているといきなり現れては、そのままどこかへ走り去ってしまう。

それが基本的な行動だった。

それのどこがどうで有名になったのかと言うと、まあ一言で言えば、他のふわふわとは違う奇妙さがあるからだ。

まず、同じ行動を何度も繰り返す……というのがある。

ほかのふわふわにもこのような特徴があるものもいるらしいが、それなりに稀だ。

二つに、誰も正面から見たことがない、というのもある。

一定の場所に現れるわけではなく、ランダムな位置に、しかも頻繁に現れるため目撃者は多いのだが、誰もその顔を真正面から見たことがないのだった。

まあ正直、見ていて気持ちのいいものではないのですぐその場を立ち去ってしまう、という人も多いのだが。

中には好奇心でその御尊顔を拝めてやろうと考える人もいる。

その人たちはふわふわの前に行こうとするのだが、なぜかその瞬間にふわふわが走り去ってしまうか、どれほどぐるりと回って見ようとしてもなぜかふわふわの背中しか見えないということで、結局誰もその顔を見ることはできないのだった。

こういうことがあって都市伝説のように気味悪がられているのだが。

私にとって一番不気味なのは、他のふわふわと比べてもその姿がはっきりと見ることができないところだった。


「気味が悪いと言えば」


歩きながらふと彼女が思い出したように話し出した。


「さっき村で聞いた噂なんだけど」


噂。

何の変化も訪れないこの世界に生きる人々にとって、噂ほど関心を惹きつけられる娯楽はなかった。


「歌う災害……この辺りに近づいているらしいよ」


歌う災害。

話に聞いたことがある。

確か、ずっと笑顔で歌い踊りながら花園各所を渡り歩いている少女なんだとか。

身長も低く声も幼げなためか、一見すれば可愛らしい小さな歌姫に見えるが、彼女を見た者はたちまち不幸な目に逢ってしまう……と言われている。

私はそれ以上のことは知らなかった。


「さっきの町で話してたんだけどね。それっぽい歌声を聞いたやつがいる、みたいな」

「どんな歌なんですか」

「それはそれは可愛らしい、少女の歌だよ。ただ……明るすぎて、逆にこっちが怖くなってくるらしいよ」


怖くなるほどに明るい。

よくわからない。

明るいのに怖いというのは、どういうことなのだろう。


「明るいのに怖い……というのは、具体的には?」


すると彼女は釣り針がかかったようににやにやし始めた。


「なに?興味あるの?こんなただの噂に?」

「……仕事柄です。危険と判断できるものには注意しなければ」


なーんだ、とつまらなそうにそっぽを向く彼女。

……私とて、そう言った手合いの話に興味がないわけではない。

仕事としてではなく、ただの普通の人として。

ただそれを素直に表に出すのは憚られた。


「詳しくは知らないけどね、聞くと狂って死ぬ、とか言われてるよ」

「死ぬ……?」

「そう、死ぬの。ま、清潔な騎士様にはこんな阿保みたいな噂知っても仕方ないんじゃない?」

「そうですね。無粋な問いでした」


この花園で、簡単に人が死ぬなんていうのは余程のことがない限りあり得ない。

根の葉のない噂にはよくある定型文だ。

死、という言葉は。

この世界で死は自然と訪れるはずがなかった。

それこそ、誰かが殺めたり、自分からその道を選ばない限りは。

私たちは、ずっと生きていくだけなのだ。

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