第6話 師

———私が花園に来たのは数十年前。

来たというよりは、起きたというのかな。

肌寒いなかで一人震えて過ごしていたところを、先生に拾ってもらった。

右も左もわからなかった私の手を取ってくれた先生は、そのまま暖かいところへ連れて行ってくれた。

そこは木で建てられた小さな小屋だった。

暖簾の中でオレンジ色の炎がぼうぼうと浮かんでいて、寒かった私はすぐに傍によって丸まった。

先生は暖かい飲み物をごちそうしてくれた。

暖かいものにようやくありつけた私を先生は黙って見つめていた。

そして私に、「ファルコン」という名前を授けてくれた。


先生は村で護衛の仕事をしていた。

他の所にものを売りに行く商人と一緒に出掛けて行って、基本日中は家にいなかった。

私は当時、すごく引っ込み思案で、家の窓から先生が出かけていくところを毎日のように見ていた。

そして先生がいない間はずっと家の中で先生の帰りを待っていた。

ずっとベッドの上でぼーっとして待つ。

外は、何故かわからないけど怖いような気がして出ようとは思わなかった。

そして夕方くらいになって先生が帰ってくると、私の一日がやっと始まったような気がした。


先生は、無口な人だった。

私と一緒にいるときも、ご飯を食べている時も、基本話さない。

その日仕事で何があったのかさえ、私に教えてくれることはなかった。

私の方からも……特段話すようなことはなかった。

でも一緒にいるだけでも当時の私には十分だった。

ただ一緒にいる人がいる。

それだけで私は嬉しかったし、十分だった。


先生に護衛の依頼がくるときは大抵、依頼主が家に直接訪ねてくるのだった。

私はその度にどこかに隠れて、ひっそりと先生が依頼主の相談を聞いている様子を隙間から見ていた。

そのときの先生は私といるときと違って、積極的に話をしているようだった。

普段は見れない先生の側面を見られてラッキーだと思ったりもした。

先生の仕事に……着いていきたいと思ったときもあるけど、自分から言い出すことはできなかった。


先生との生活が始まって、何年か経った。

その中で変わったことは……特に何もなかった。

先生は護衛の仕事をしに出掛けて、私は家で待つ。

先生が家に帰れば、静かに黙々と夕飯を頂く。

そんな毎日がずーっと続いていたし、これからもそうだと思っていた。

別にそれでもいいと思っていた。

でも、先生が自分からそんな毎日を変えた。


「護衛の仕事を引き継いでもらう」


初めて先生がまともに話しかけてくれた。

そして私は初めて、家の外に出て、初めて先生の護衛の仕事に同行した。

ただ同行するだけじゃなく、護衛の仕事をこなすための訓練をさせられた。

依頼主が戻ってくるまでの間、今も私がしているように色々な鍛錬をさせられた。

まずは木を相手に見立てて剣を振るったりとか。

広い上に障害物の多い森の中を早く移動する訓練とか。

特に剣の扱いには先生は特に厳しかった。

少しでもずれていたりすると、その度に喝がとんだり……と。

私に対して無口だった先生がいきなり大声で怒鳴るものだから、私の方も我慢できずに泣いてしまうことがしょっちゅうあった。

でもそれも何か月も続けば、自然と体も技術を覚えていった。

そのころには先生と簡単な打ち合いをするようになっていた。

お互いに使うのは、剣先を丸めた木の棒。

流石に先生も仕事で使うレイピアを使うことはなかった。

打ち合いの勝敗は相手の心臓に当たる部分に棒を突きつけられた方が勝ち、といったものだった。

そのときの空気感は、本当の殺し合いのようにぴりついていたけれど。

先生に勝つようなことはほとんどなかったけれど。

それでもまあ、数十分は打ち合えるくらいには私も技量を上げていた。


ある日、打ち合いを終えた後に、先生と歩きながら聞いたことがある。


「先生は、どうして護衛の仕事をしているの?」


思えばこれが、初めて私が先生に向かって言葉を発した瞬間だったかもしれない。

先生は驚いたような顔をして、しばらく唸り声を上げて思案した。

そして一言。


「わからない」


と言った。

何か理由があるから仕事をするものだと思っていたから、こんな風に時間をかけて理由を模索するというのもおかしな話だった。

仕事をする理由がわからないという先生を不思議に思ってその横顔を眺めていると、先生は何か思いついたように続きを口にした。


「でも強いて言うなら、自分のためかもしれない」


そのときは、あの言葉の意味はわからなかったけど。


今となっては、私なりにその意味を理解できるようになったかもしれない。

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