第5話 鷹の足取り

「夕方までには全部売ってくるよ。そしたらまたここに集合ということで」


そう言って彼女は意気揚々とステップしながら村の中に入っていった。

とても楽しそうだ。

物を売るというのは、そんなにも楽しいことなのだろうか。


村の中へ入っていった彼女とは正反対の道を行く。

ある程度の文明がある村とは違う、生きたままの緑生い茂る木々の中へ入っていく。

何か、適当な木はないだろうか。

こう、細すぎず、太すぎず、人と見間違えてしまうような。

……あ。


———見つけた。

今日はこれにしよう。

一本、仁王立ちしている木の皮に触れる。

ざらざらでごつごつ。

うん、まあこれでいいだろう。

木の皮の手触りなんて正直どうでもいいのだけれど。

一歩下がって、腰の帯に納められた木製のレイピアに手をかける。

すっ、と引き抜き、体勢を整え、目の前の木を人と思うことにして構える。

肺の中に森林が放出する澄んだ空気を取り込んでいく。

そして小刻みに跳躍する。

聞こえもしない音楽の旋律に体を乗らせていくように。

動きもしない木を自分と同じように構えをとっている人に見立て、その行動を脳内でシミュレートする。

今、相手が殴りかかってきた。

この旋律に身を委ねたまま、立ち位置を少しずらす。

大げさにではなく、最小限に。

たん、たんと軽快に。

自分のすぐ真横を、狙いを外した拳が通り過ぎた。

そして隙を見せた相手の胸を狙い、足を踏み込んでレイピアを突き刺す。

芯を貫かれた想像上の敵は刺された途端に動きを止め、霧のように消えていった。

そしてもう一度静かに構え直す。

また木の前で待ち構える。

また新しい対戦相手が脳のフィルターに映される。

今度はさっきとは違う動きで襲い掛かってくる。

それに伴って自分も動きを変える。

どの位置からも、どの構えからも的確に相手の弱点を突いて鎮める。

この鍛錬を依頼主が用事を終えるまでの間に行うのが習慣だ。

そして対人戦の訓練はここまでにして、感覚の鍛錬に移行する。

レイピアを帯に納め、木を強めに蹴りつける。

そして目を閉じて5秒のカウントを口の中で転がす。

5、同時に感覚を研ぎ澄ます。

4、肌を撫でる風の向き、勢い。

3、音、匂い、気配。

2、視覚に頼らずとも、身体に降りかかるあらゆる情報を演算する。

1、この間は確かに5秒間という僅かな時間しか経っていないが、精神的には何度も間延びしたような、底知れぬほど延ばされた時間が身に纏わりついているように思えた。

0、片足を前に踏み込むと同時に抜刀。目を瞑ったまま、暗闇の中の一点に剣先は迸った。

目を開ければ、木の枝から降りてきた一枚の燻ぶったような色の枯れ葉の中心を貫いていたことがわかった。

「ふう」

剣を振るって枯れ葉を落とす。

一先ず、休憩にしよう。


しばらく降りていくと河原を見つけた。

緩慢とした水の流れが目に入る。

近づいて顔を覗かせるとガラスのように透き通っていて、自分の身体がそのまま映し出されていた。

同時に履いていた靴に目が移る。

砂がそれなりに引っ付いて汚れが気になった。

持参のタオルを川に浸して絞る。

靴をしっかり拭いていく。

すぐに靴は綺麗になったが、水自体がひんやりとしていたため生足にその冷たさが移ってしまった。

少し不快に感じて、裸足になった。

常に変わり映えしない天候ではあったが、陽が出ているのだけは助かった。

靴を日光のよく当たるところに置いておいて、温まるまで少し待とうと思った。

岩場に腰を降ろす。

川を見ていると、ふと足を入れてみたいと思って、恐る恐る忍ばせた。

清涼でゆっくりな流れがそのまま足を包んでいく。

冷たい感触が嫌で靴を脱いだのに自分からこの低温の泉に浸ろうとするのは、自分でもおかしいと思った。

でも特段、不快とは感じなかった。

そのままぼーっとしては、時々足をばたばたさせてみたりする。

ゆっくりと流れる水面の上に白い水飛沫が打ちあがる。

そうやって過ごしながら、頭の中では色んなことを考えるのだった。

物思いに耽る、とでも言うような———

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