第2話 黒羽の名前

 しばらく歩いているとさっきの草原とは打って変わった、朽ち果てた機械や建物が散らばる場所に出た。空もほんの少し曇っている。

暖かな風が吹いていた草原とは違って、ここは少し、冷たいと思った。

 寂しいと思った。


「ここにあるのは全部がらくただよ」


 彼女の横顔も少し寂しそうだった。


「私たちがいた、前の世界。現世ともいう。ふとした拍子に、その世界のものがこっちに流れてくるんだ。予兆もなく突然ね」


 自分たちはそのがらくたの中でも一際高い、ぼろぼろになって藁が巻き付いているビルに近寄り、そして見上げた。


「がらくたにも色々ある。そこらに転がってる石ころみたいな大きさのものもあるし、このビルみたいな、すごく大きいものも流れてくる。それら全部含めて、このがらくたたちは「現世ごみ」って言われてる」


 すると彼女はお、と声をあげて地面に落ちていたものを拾った。

 それは小さな石粒だったが、赤くきらめいていた。なにかの宝石の欠片だろうか。


「これは珍しい!ルビーみたい。現世ごみと言っても、そのどれもが使い物にならないわけじゃないんだ。こっちの世界にはないレアなものも流れ着いてくることも多い。住人の中には、そういうものを売ったりして生活してる子もいるからね」


 そういって彼女はその石を衣服の中にしまった。

 売るの?と聞く。


「いや?私の場合はコレクションする。お宝探しは趣味なんだー」


 うきうきしながら彼女は話す。

 彼女を羨ましそうに見ていた。


「この宝石はあげないよ。私はけちんぼだからね。自分のお宝は自分で見つけるものだよ」


 彼女はにやりと微笑みを見せる。私たちはこの都市のようなゴミ捨て場を後にした。

 歩きながら彼女がふと立ち止まる。そしてゆっくりと後ろを振り向いて、またあの現世ごみたちを見た。

 彼女はどこか、物悲し気な顔をしている。さっきはあんなに嬉しそうな顔をしていたのに。

 どうしたの?と聞くと、彼女は横に顔を振り、


「なんでもない」

と答えた。


 そのまま小さなゴミくずがあちらこちらに散らかっている道を歩いていると、彼女が

「あ」

と声をあげて立ち止まった。


「あれを見て」


 彼女の指を差す方を見ると、そこには山が見えていた。しかし山は蜃気楼のように、熱気のように輪郭がぶれていた。

 不思議に眺めていると、山は空気のように透明になっていき、消えてしまった。

 つい、え、と声が出る。彼女を見上げる。


「あれは、よくないものだよ」


 すると彼女は自分の手を引っ張り、急ぎ足で山の方角と逆の方向へ進み始めた。


「近くにいたら危ない」


 道から外れて、舗装されていない獣道を行く。しばらく走ったから、すごく疲れる。

 いずれ視界が開けた。そこは日の光が差し込み、また黄緑の草が広がる場所だった。


「ここなら安全だ」


 二人とも膝をついて、肩で呼吸していた。

 その場に座り込む。

 あれは何?と聞く。

 彼女は息を落ち着かせると、さっきの現象について説明してくれた。


「あれは、「ゆらゆら」だよ」


 ゆらゆら?


「うん。花園でごくたまに発生する災害。ある場所が突然、なんの前触れもなく消えてしまう。さっきの山みたいに。あそこにいた人たちも消えてしまう」


 どうして起こるの?と聞く。


「さあ、誰にもわからない。いきなり出てきてすぐ消えるから、誰も調べようがないんだ。まあ、自分から近づいて調べようって思うような人もいないしね」


 あそこで消えた人はどうなるの?と聞く。


「……」


 彼女は何も答えない。でも疑問は拭えなかった。


「……どうにもならないよ。ただ消えていく。それだけ。その後は、「ふわふわ」になって、意味もなくその場に止まり続けるだけ」


 ふわふわ?


「亡霊のことだよ。長生きな私たちにも、ちゃんと死はあるからさ。死んだら幽霊になる」


 あそこにいた人はみんなふわふわになるの?


「うん」


 ゆらゆらからは逃げられないの?


「無理無理。いつ、どこにゆらゆらが出るのかわからないし、一瞬で終わってしまうんだ。逃げる余裕も、自分の死を自覚する暇もないよ」


 ……それはとても悲しい。こんなに暖かな世界で生きていたのに、いきなり全てが奪われてしまうなんて。悲しすぎる。


「悲しいと感じるの?」


 自分は首を縦に振った。

 すると彼女は安堵した表情を見せた。


「それはよかった。君は優しいんだね」


 彼女が頭を撫でてくる。


「その優しさがあるだけで、ふわふわになった人たちは報われるよ。それに、どこの村に行ったってきっと歓迎される。君はすぐに他のみんなと仲良くなれるさ」


 そうか、自分は、優しいのか。そう言ってくれて、自分は嬉しいと感じた。

 彼女は自分の手を取った。


「さて、そろそろ君は自分の住処に行かないといけない」


 自分の住処? それはどこ?


「偶然にも、ここにとても近い村があるのさ。そこでこれからの人生を歩んでいくといいよ」


 うまくやっていけるだろうか。


「大丈夫だって。私がこれから、村の人がすぐ見つけてくれるような場所に連れていく。そこで誰かが通りかかるまでじっと待つんだ。花園の民の中で、迷子を見逃す人なんていないよ」


 彼女は自分を連れてそのまま歩いていく。


「誰かが見つけたら、きっと村まで連れて行ってくれる。そしてその人の家で寝泊まりして……ああそうそう、名前もその人につけてもらえばいいよ。花園には、一番最初に迷子を見つけた人が、その子に名前をつけてあげるっていう習慣があるんだ」


 そういえば、名前。

 言われるまで気づかなかった。自分にはまだ、この世界での名前がなかった。

 あなたは自分に名前をつけてくれないの?と聞いた。


「私は……いや、誰かに名前をつけることはしないよ」


 どうして?


「私はね、誰も見つけてくれないような場所で生まれた子を探して、案内をしてあげるってことをしてるんだ。そういう子、案外多いんだよ。誰にも見つけられずに一人で過ごすなんて淋しいからね。みんなが他の誰かと過ごせるようにしてあげる。それが私の望み。まあ、趣味で勝手にやってるだけなんだけどね。名前をつけてあげるのは、これから一緒にいてくれる人の方がいい」


 そうか、自分は誰にも見つけられないような場所で生まれたんだ。そんな自分をこの人は見つけてくれたんだ。感謝の思いが積もって、せっかくならこの人に名前をつけてほしいと思ってそう口にした。


「だーめ。君につけた名前の責任を私は背負えないよ」


 ちょっとだけ残念。でも、仕方がないかな。


「名前は大切だよ。特に、誰が名付けてくれたのか。そこが一番大切だって、私は思うな」


 彼女はそう呟いた。


「いい名前、つけてもらえるといいね」


 そういえば、彼女の名前を聞いていなかった。名前という話題が出るまで、全く気にしていなかったけど今になって興味が出てきた。


「私の名前?」


 彼女に名前を尋ねた。彼女はしばらく押し黙ってから、話した。


「私は、コルボー。迷える鳥たちの案内役。普段は向こうの遠いところにある村に住んでるけど、基本は君を見つけた場所の近くをうろうろしてるよ。もしかしたらまた会うこともあるかもしれないね」

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