第68話 デビュー それはほろ苦きものなり その6

「うわわっ、来ないでえ!!」


 えげつないレース振りに悲鳴を上げずにはいられないマライソム。


「こんなに幅寄せするだなんてええ。ボクが危うくなるところだったじゃないか!!」


 当時、日本国内よりもレベルが高かったと言われる東南アジアのレースでもさすがにここまでじゃなかった。しかし、それは世界からの強烈な洗礼に他ならない。


 すっかり囲まれており、抜き所も見出せない。その上、周囲は自分と互角かそれ以上のレベルがゴロゴロいるし、マシンの性能も比較にならない。実は今大会で唯一のダンロップスリックを履いていることが救いと言えば救いだったかもしれない。というのも、これのお陰で走行ラインをある程度逸脱しても何とか速さと安定性を保っていられたから。


 スリックタイヤは、思った以上にコントローラブルだった。尤も、スリックタイヤの性能を引き出すには、当時独自ノウハウが必要で、SSDでもこの習得には苦労した。


 加入したばかりのエイミーがある程度ノウハウを持ってはいたが、扱いは面倒であった。


 タイヤはゴムを溶かして成形する関係上、型に粘りつかないよう離型剤を使うのだが、これが表面に残るため滑りやすく、温めておいて所謂皮むきをする必要があった。大体20㎞くらい走らないと本来のグリップは発揮されない。このためエイミーは、浅間ではレース距離の短さから、表面のツルツルした部分だけを薄く削ってレースに臨んだくらいだ。しかも二輪用のタイヤは湾曲しているため、表面を削り取るのは技術がいる点でも面倒だった。当人もこのために何本もダメにしており、最終的にタイヤを象った木型に紙やすりをあてがう方法を用いた。これは溝付タイヤが主流だった当時、一部のチームで行われていたのを情報で知った。


 その後メーカー側の技術の進歩により10㎞程度まで緩和されるが、もう少し先の話である。


 因みに1948年(昭和23年)にはラジアルタイヤがミシュランによって実用化され、当時市販車に於いて普及前夜にあたっていたが、レース用は70年代後半までバイアスが主流であった。そして、二輪に至ってはラジアル普及は80年代まで待たなければならない。


 ラジアルになると耐久性が高い分性能を発揮する温度までなかなか上がらないという問題があったが、この頃にはそうした問題はタイやウォーマーの普及など技術の進歩により然程問題にはならなかった。


 しかし、二輪にもラジアルタイヤが普及したことにより、高速コーナリングでカウンターを当てながらパワースライドさせていく走りは徐々に見られなくなっていく。というのもラジアルは限界域でのグリップ変化が急で変化を把握しずらいことやコントロールしずらいのも一因だった。


 加えて、皮肉にも技術の進歩によりトラクションコントロールなどの電子デバイスが追加されるに従い、ライダーがそうしたテクニックを発揮できる余地も減っていくことになるのだが、それはまだ先の話。




 その頃、英梨花も別の悩みに直面していた。


「思ったようにバンクできないわ。その上大きく円を描かないと曲がれない!!」


 マシンの設計に問題があり、深くバンクするとマフラーが擦ってしまう。サンパウロでの教訓は活かされていた筈だが、やはりまだ見直しの余地があった。


 その上、サスの剛性もかなり向上しているのだが、全体がフニャフニャしているように思え、腰砕けになって鋭いコーナリングが儘ならない。


 それでも絵面的には何とかコントロールしているように見えるのは、英梨花の腕と才能が並外れていることの証明でもあったと言える。


 少なくとも、ライディングに関して英梨花は世界のライダーと比較しても遜色なかった。




 一方、トップを走り順調に周回を重ねるコゼットは、相変わらず流れるような、まさにプリンシパルに相応しい美しい走りを見せ周囲を魅了していた。全てが淀みなく滑らかに繋がる走りには破綻が全くない。


 因みに後にSSDへ移籍してもトップレーサーとなった彼女たちを相手にハングオフが主流となっていた中、リーンウィズで遜色ない走りを見せている辺り、当人の才能もまた並外れていることを証明していると言えよう。


「今年こそ、今年こそ頂点に立って見せるわ」


 実は時折各所に散らばるスタッフからもう少しペースを落せと指示されているのだが、去年と比べ大幅に改良されたマシンに確かな手応えを感じており、その必要はないとばかりにペースを維持したまま1コーナー毎に差を広げていく。


 コゼットは、今回単にマン島に勝利するだけで終わらせるつもりなど微塵もなかった。マン島勝利の後、トラブルに泣かされ不運にもチャンピオンを逃した悔しさを吹っ切るべく、去年を上回る走りで勝利することを欲していた。そうしなければチャンピオンにはなれないとばかりに。


 そのためにはポールポジションのみならずファステストラップホルダーをも維持してのパーフェクトな勝利をマン島に刻む。そう心に誓っていた。


 意外かもしれないが、コゼットも基本的にはポールポジションに執着するより決勝でのセッティングを重視するタイプである。実際、去年コゼットがポールを獲ったのは18戦中4回だけ。だが、その認識が甘さとなって去年チャンピオンを逃がすハメになったんじゃないのか?コゼットは自省的にそう感じていた。


 チャンピオンを逃した時、コゼットは気付いた。自分はまだ挑戦者であり、挑戦者たる者、同じリタイアする運命なら全力投球してリタイアした方がいいじゃないかということに。


 だから今年、去年までとは打って変わって美しさの中にもアグレッシブになろうと決意していたのである。それは開幕からの5戦連続ポールにも表れていた。また、ここまでの4勝の内、ファステストラップホルダーも2度記録している。




「来たっ!!」 


 コゼットが来る度羽矢も青きミストラルに素早くピントを合わせシャッターを切る。その度にモータードライブの駆動音が響き渡る。


 因みに当時、モータードライブの騒音はかなりのもので、静粛さを求める場所では不適であった他、フィルムと並んでモータードライブも高価でほぼプロ向け製品と認識され、後に若干性能を落としたワインダーが発売されることに。


 カメラを降ろすと、羽矢は独白する。


「相変わらず滑らかな走りね。さすがは世界のトップだわ」


 そう独白する羽矢もまた、コゼットの走りに見惚れているようだった。隣の拳は声さえ出ない。それでもカメラの受け渡しは怠らない。


 少しして、SSDのメンバーが来た。赤いシルエットは離れた所からでも目立つため、ピントを合わせるのは容易であった。


 連写の後、羽矢はため息をつく。


「はあ、これが世界との差なのかしら」


 


 果たして、羽矢の言葉の真相とは……

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