第69話 デビュー それはほろ苦きものなり その7

 レースは3周を消化し、後半に突入していく。




 トップを走るコゼットを筆頭に、青きミストラルの疾走振りは相変わらずの中、SSDの苦闘も相変わらず。


「くっ、曲がれ、曲がれ!!」


 捻じ伏せるようにマシンをコーナリングさせる紗代。マシンの剛性の低さから来る不安定なハンドリングが紗代を始め、メンバーを苦しめる。


 しかし、紗代はそれだけではないと感じていた。


「周回を重ねる程サスがヘタってくる。その上さっき給油を済ませたばかりで重量も増してる中でコレはキツいわ。でも、それだけじゃないような気がする」


 マン島はクラスによっては通常の3倍にも上る距離を走る関係上、大容量のタンクに換装し、且つ特別ルールにより最低一回は給油せねばならないことになっているのだが、これは同時に走行距離が長い分各部の消耗も激しいため、安全確認の時間を取らせる意味もあった。因みに給油に掛かる時間は大体平均して3秒前後。タンクを高い場所に置き、重力で一気に流し込む。


 なので安全確認は大雑把にしか行えないが、それでも異常が発見され、そこでリタイアを余儀なくされるケースも少なくない。現に、レースが半分を消化した時点でコース上に残っているのは半分以下の17台。その多くは所謂サテライトチームと呼ばれる万一ワークスがコース上から消えた時に上位入賞してメーカーの面目を保つためのセミワークス、或いはプライベーターと呼ばれる個人資格で参戦しているチームであった。


 無論転倒によって消えたケースも少なくなかったが、マシントラブルで消えたケースも半分近くに上っていたことからも、マン島の過酷さが伺える。


 


 紗代はそれだけじゃないと脳裏で反芻しながらも、冷静に状況を分析していた。それに、今回何としても完走だけは果たし、今後に繋げるためのデータを持ち帰らねばならない。


 紗代は、地道に完走を果たすことの価値を理解していた。とにかく、マシンが動く限り、ゴールまで何としても導く。そう決意していた。何しろマン島はこれまでとは比べ物にならない、全てが未知の領域なのである。それだけにマン島での完走で得るものは大きい。完走すれば、SSDにとって大いなる飛躍に繋がる。紗代はそう確信していた。


「コーナーの度、サスがヘタってくるのもだけど、動きも固いような気がする。特に後輪が思ったように踏ん張ってくれない。スリックタイヤでなければとっくにすっ飛んでるわ」


 スリックタイヤのグリップ力に助けられていたのは確かであり、そして今回唯一スリックタイヤでレースに臨めたことを心中で感謝するのであった。


 


 一方、佳奈はその走りのためか、立ち上がりを極度に重視するスタイルで早くからエンジン回転を上げていく繰り返しの中、トンデモな症状に見舞われていた。


「くっ、エンジン回転が上がらない。もしかしてパワーが落ちてるのかしら!?」


 ゴール後に判明することだが、ベンチテストに掛けるとエンジンパワーが何と85hpまで落ちていた。マン島という特殊な条件を加味しても、たった1レースで30%も落ちるようでは世界では戦えない。


 佳奈のライディングスタイルに由来するエンジンの酷使振りにも一因はあるだろうが、エンジンが必要な時に必要なだけ吹け上がらないようでは佳奈に責任を問う以前の問題だった。


 


「ぜえっ、ぜえっ、はあっ、はあっ」


 英梨花はマシンとは別の問題にも直面していた。無論当人もマシンと格闘しているのだが、予想もしなかったスタミナ問題に直面していたのである。確かに国内、特に関東では敵なしだったし、マシンを操る腕もレースに於けるペースコントロールも超一級であることはメンバーでさえ認めていた。


 また、常に考えて理性で走ることをモットーとしている彼女は、無論普段から体調管理には人一倍気を遣ってるし、これまで心地好い疲労感はあったが、クタクタになったことはない。


 その彼女が、息切れを起こしてしまった。それは、彼女がこれまで直面したことのなかった、世界の壁だったのかもしれない。


 また、それまで彼女が乗って来たのは当代一流のマシンばかりであり、それ故余計な気を遣う必要もなかったのだが、それと比べ、SSDのマシンは、あらゆる意味で未完成。英梨花も気付かぬ内に別の意味で未知の領域に入っていた可能性は大いにあり得る。何しろ彼女もまたマシンと格闘していたのだ。


 それでも英梨花は息も絶え絶えになりながらマシンを気力で必死にコントロールしていた。とにかく完走を果たさねばと。英梨花もまた、完走し続けることの価値を知る一人である。




「うわわっ、またブレーキが利かない~」


 マライソムは、ブレーキトラブルに見舞われていた。後輪がすっかり擦り磨り減ってるような感触があるし、前輪のダブルディスクも片利きしているように思えた。そのお陰で何度もコースアウトしそうになる。マン島での消耗は想像以上で、それはブレーキとて例外ではなかった。ありとあらゆる部位が、試練に曝されていた。


 そんな中、マライソムは意識朦朧とする中で目の醒めるような事態に遭遇した。


 目前でやや先行していた二台がデッドヒートの果てに、どちらかにマシントラブルが生じたか、それとも長丁場のレースで集中力が切れてしまいミスったか、或いは双方の要素が絡み合ったか、文字通り絡み合いコースアウト。ライダーは激しく投げ出された。あの様子だと運が良くても重傷だろう。だが、マライソムは言い聞かせるように飛ばされていった二台ではなくコースの方を見つめる。こういう時、そっちえを見て吸い寄せられるようにクラッシュの巻添えとなることが少なくないことを、当人もよく分かっていた。


「危ない危ない。ボクももう少しで巻添えになるところだった」


 完走後、マライソムのマシンを調べると、ブレーキシステムが予想以上の酷使によってあらゆる部分が疲弊していることが判明。もう一周続いていたら、マライソムの命がなかっただろうと言われる程際どかったという。




 そして、コースを6周後、青きミストラルがチェッカーを受けた。優勝はビュガティに乗るコゼット。去年に続き快心の勝利であった。ガッツポーズで喜びを全身に表す。


 ポールポジションからスタート、その間一度もトップを譲ることなく、更にファステストラップホルダーでもあったという、全てに於いて完璧な勝利だった。コゼットは、去年の雪辱を果たしたかのように全てを吹っ切ったのである。


「これが……世界のトップなのね。いい勉強になったわ」


 久恵夫人もそう独白する程、圧倒されてしまった。


 尚、二位はロメックス、三位はビュガティ。ビュガティも一台がピットインした所でブレーキに異常が発見されリタイアとなった。


 


 やがて、SSDの三台がヨレヨレになりながらも無事帰還した。紗代は何と最終的に5位。佳奈が7位、マライソムが途中英梨花を最終ラップで抜き去り10位、英梨花が11位であった。とにかく、全車完走を果たしたのである。初出場でのミッションは無事完遂した。


 そして、ヘルメットを脱いだメンバーは皆疲労困憊。これまで経験したことのない程のハイレベルなバトル、異例の長距離、公道とは思えないハイスピード。全てが国内とは異次元であった。


 英梨花に至っては失神寸前。メカニックは敢えてコーヒーではなくカルピスを手渡す。それをしゃくり取ると一気に飲み干した。お嬢様らしからぬ振舞からも、マン島の過酷さが伺えた。


 最終的に完走したのは37台の内15台。有力チームにもトラブルや転倒による脱落が相次いだ中、粘り強く走り抜いた価値はあった。初出場で5位を得たばかりか全車が入賞したのである。予想以上の順位は完走したからこそ得られた結果と言えよう。


 また、ダンロップにとってもスリックタイヤがマン島のような長期戦でも使えることが証明され、貴重なデータを得ることになった。実際、何度もテストを繰り返し確かめていたとはいえ、テストと実戦では大きく異なるため、300㎞以上の距離は未知数だった中、SSDの傍らで見守っていたダンロップの技術者も胸を撫で下ろし安堵の表情を浮かべていた。これによって自信を深め、更なる開発に弾みがつくことになる。その意味でもSSDが粘って完走した価値は、価千金と言えよう。


 ダンロップが回収したタイヤは、まさに黄金に等しい。




 しかし……その一方で世界との差を見せつけられたことも確かであった。表彰台で自国から持ち込んだアップルタイザーで祝うコゼット。その頂点は、まだまだ遠い。しかし、必ず頂点に立って見せると、メンバーはその頂点に立つコゼットを見つめながら、改めて勝利を誓う。そんな時、落ち着いたのを見計らったようにメカニックがアイスコーヒーを持ってきてくれた。


 完走後に味わうアイスコーヒーの苦さが、全身に染み渡る……

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