第64話 デビュー それはほろ苦きものなり その3
二日目の午後、グループEのマシン34台がスタートと同時に最初のコーナーへ飛び込んでいく。
案の定、一台がここでレースを終える。幸いにしてライダーは無事なようだ。少なくともメグロのマシンではない。ライムグリーンで目立つために識別は容易なので、こういう時はすぐに分かる。
観客の多くがライムグリーンのメグロを指差しているが、それが嘲笑を意味するのは明らかだった。しかし、既にレースに入っているサッコーにそんなことへ構っている暇はない。
マン島は去年に続き二度目とはいえ、クラブマンとGPでは訳が違った。それでも、一度走っている分だけまだ精神的な余裕があった。
「くそっ、何処にも隙がないっ!!」
抜き所を探してキョロキョロするサッコー。予選後方からスタートしたサッコーであったが、スタート時の混乱に便乗して中団グループの後方にいる。意外にも自分より遅いマシンも結構いるのだが、500㏄でさえ48台にも上っていること、更に公道を利用するマン島はコース幅も狭く、集団で固まっているといくら性能的にこちらが優越していてもなかなか抜けるものではない。
ミドルクラスも競争熾烈なことに変わりはなかった。
マン島、それもGPレースに初出場した者なら誰もが経験することであったが、クラブマンとはレースのリズムも大きく異なるし、心理的にも余裕がなく視野が狭く感じることも珍しくないという。
旗から見ればサッコーも抜き所はいくらでもあるように見えるのだが、当人には冷静に抜き所を探す余裕はなかった。
日本国内では公道レースなんて何度もやって来たし、狭い道でのオーバーテイクも鳴れていた筈なのだが。
「これが、GPレースなんだ」
世界は、国内とは何もかもが規格外だった。サッコーに限らず当時出場したメンバーは例外なくそう証言している。頭では分かっていたつもりだったが、実際に肌で体験した偽らざる感想である。
唯一の救いは、メカニズムにヘタれの兆候が今のところ見当たらないことだろうか。出走前、技術者からも耐久性については信頼してくれていいと言われており、時折感覚を研ぎ澄ませてマシンの調子を探ったりもするが、その言葉に偽りはないようだ。
しかし、メグロのマシンは別の問題に悩まされていた。
「クソッ、思うように踏ん張りが利かない!!」
メグロもまた、コーナリングの度にその不安定さが顔を覗かせていたのだ。どう考えてもサスペンションの剛性が甘い。サッコーの偽らざる感想であった。
前を走っているMVアグスタは難なくコーナーを抜けていく。このMVアグスタは所謂プライベーター向けだったのであるが、それでさえ彼我の差は大きい。ましてやサッコーは嘗てMVに乗っていた身である。ハンドリングの素晴らしさはよく分かっていた。
それだけではない。こちらは4気筒だが、MVは2年前から6気筒を持ち込んでいる。メグロもMVに対抗するため当初は6気筒を予定していた。だが、オーバーヒート問題がなかなか解決せず、結局保険として開発していた4気筒を選択したのである。その上、セミモノコックを採用している分軽量に仕上がっている筈が、MV6気筒と車重はそんなに変わらない。
これがノウハウの差だったのである。
型落ちの市販車にさえ及ばないワークスマシン。それでもサッコーは目一杯踏ん張り何とか言うことを聞かせてクリプスコースを走り抜ける。マウンテンコースと異なりコーナーが短い間隔で次から次へと来るので、サッコーは目が回るような思いだ。
「サッコー……」
クリプスコースでは長い上り坂となってマシン及びライダーを苦しめるR-18セクションをやや離れたところから双眼鏡で観ているのは翔馬。嘗て同じ学校の同級生でもあり、部活に於けるライバルでもあり、仲間でもあった。
翔馬には、マン島、そしてGPがどんなものかを身を以て教えてくれているように見えていた。
レース後半、上位を走るマシンからも徐々に脱落が出始め、更にサッコーの目前でなかなか抜けないMVがコントロールを誤り路外へ逸脱、クラッシュ。ライダーは大きく投げ出される。その下を何とサッコーが通過しようとしていた。
『危ないっ!!』
観客の誰もが叫んだ。が、サッコーは紙一重のところで通り抜けた。しかし、路面に叩きつけられたライダーはその後亡くなった。口から盛大に吐血しており、更に四肢が思わぬ方向に曲がっていたことから、誰の目にも絶望的であったという。
そして、チェッカーを受けたのはグループDに続きMNアグスタ。MVワークスは3台で挑むも、エンジントラブルやクラッシュに巻き込まれ3位を走っていたのが棚ぼた的勝利であった。
2位はノートン、3位はAJSであり、今大会に於いて地元勢としての面目を辛うじて保った。
メグロに乗るサッコーも何とか完走し、9位に入賞。僚機も10位入賞で、何とか全車完走に漕ぎつけメグロに貴重なデータを持ち帰った。
ピットに帰還したメグロ、そしてサッコーたちは、マシンもライダーもヨレヨレになっていた。
「ハアハア……」
ヘルメットを脱ぐと、サッコーは息も絶え絶え。だが、チェッカーを受けたMVのライダーの表情は涼し気であった。こんな所にも世界の差が出てしまう。
マシンをチェックすると、フレームは一部歪みが発見された他、エンジンもピストンに穴が明く寸前で、もう一周続いていたらエンジンブローでリタイアしていたレベルだった。
よくまあこんな状態で完走できたものだと、メカニックは涙がこぼれる。サッコーも申し訳ない気持ちで一杯だった。何しろついていくのに精一杯でマシンを労わるどころではなかったし。無論、そのことについてサッコーに責任などある筈もない。
寧ろ、サッコーはよくぞこれで9位入賞を果たしたと高く評価すべきだろう。
メグロの初挑戦は、スズキ、ホンダと並び世界との差をまざまざと見せつけられた苦いものに終わった。それは、労いのアイスコーヒーと共に記憶される。
だが、これが後のライムグリーン伝説の最初の一歩となるのである……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます