第63話 デビュー それはほろ苦きものなり その2

 それは小さな一歩だが、後の栄光への偉大なる第一歩である……




 後の日本の二輪メーカーの無敵とも言える活躍ぶりに、ある作家がそう言った。


 その偉大なる一歩を最初に踏みしめたのは、スズキというのが後世の定説となっている。サイドカーでもメグロのエンジンを積んで完走しているのだから、こちらだろうという声もない訳ではないが、後もカワサキはそれについて特に見解を述べてはいない。




 さて、多くのメーカーが力を入れる125~350㏄。即ち、グループB、C、Dの苛烈な戦いが始まろうとしていた。四輪に喩えるなら大衆車クラスだけにエントリーも多く、平均して50台は下らない。


 一日目の午後、そんなレッドオ―シャンにこれから挑もうとしていたのは、ホンダであった。尚、ホンダは翌日午前に行われるグループCこと250㏄にもエントリーする。


 


 シルバーをベースに稲妻を意匠化したと思われる黄色のアクセントに赤のタンクが特徴的であったが、それ以外は極めてオーソドックスに纏められているように見える。しかし……


「テレスコを急遽採用したのはいいけど、何だか頼りなく見えるわね。これでコーナリングは大丈夫かしら?」


 傍らで見ていた久恵夫人は心配そうであった。技術者としての長年の勘が、そう告げていた。フロントフォークの見た目は欧州のマシンと然程変わらないように見えるのだが、性能的に追随できないだろうと判断していたのである。


 尚、そんなホンダであったが、唯一大きく異なっていたのがエンジンで、当時小排気量で主流だった2バルブではなく4バルブを採用していた。目標とされていた18馬力をやっとクリアし、18.2馬力に達していたのだが、それだけで勝てる程レースは甘くない。それでも4年前のサンパウロと比べると格段の進歩には違いない。




 やがて、レーススタート。


 後方からスタートしたホンダ勢4台は、右コーナーへ向かう際のマシンの群れにもみくちゃにされながらも無事クリアしていった。50台ものマシンが犇めき合う中、最初の難関をどうにかクリアした。レースはスタートから1コーナーまでのポジション争いが非常に苛烈なために最も事故が多く、スタート時の事故でこの世を去ったレーサーも少なくない。


 取り敢えず最初の難関を無事クリアしたことに誰もが安堵。それは久恵夫人以外も同じだった。




 だが、案の定というか、ホンダに乗るライダーは久恵夫人が危惧した通り苦戦していた。性能差は無論、コーナリング時のサスペンションの剛性の低さのため、特に高速コーナーでの不安定さが他のマシンと比べ際立つ。


 加えて、マウンテンコースの持つ全ての要素を凝縮したようなコースとも言われるクリプスコースでは、マン島特有の難関が短い間隔で訪れることも不安定さに拍車を掛ける。


 更に問題はサスペンションだけではなかった。


 クリプスコースには途中長い上り坂があるのだが(マウンテンコースではR18と呼ばれる長い下り坂セクションを逆走する)、思ったように回転が上がらない。確かにベンチテストの時は出力に問題はなかった。だが、吹け上がりが遅い。


 後に判明したことだが、4バルブ自体が問題だったのではなく、4つのバルブがきちんと同調していないことにあった。4バルブは部品点数が嵩み構造も複雑になる分これを寸分の狂いもなく同調させるには高度な技術が要求される。




 また、コーナリング時の不安定さの原因には、フレームの剛性の低さも関わっていた。当時フレームはクロームモリブデン鋼のパイプを組み合わせて作るクレードル式が一般的だったのだが、浅間では問題なかったのがマン島にて一気に問題が噴出してしまった。フレーム一つとて当時欧州のメーカーとはノウハウの差は否めない。


 加えて、マフラーの設計がマズかったようで、深くバンクするとガリガリと擦ってしまう。




 それでも何とか粘る中、上位陣を走る有力チームのトラブルや転倒といった脱落にも助けられ、何と6位でゴール。更に7、9、11位と全車完走を果たす。


 初挑戦での全車入賞は、上々の出来と言えよう。


 尚、優勝は東ドイツのMZ、2位MVアグスタ、3位もMZであった。




 翌日、同じくレッドオーシャンであるグループCこと250㏄クラスのレースがスタート。グループCには最多となる65台がエントリーしていた。内ホンダは3台。


 世界中のメーカーが力を入れるだけに競争も苛烈だったのだが、案の定スタートと共に4台が1コーナーで弾き出されてしまう。幸いその中にホンダはいなかったが、一人がケガを負った。


 競争も苛烈なクラスだけにライダーも荒く、隙あらばその僅かな間隙さえも縫ってこようとするなど、油断も隙も無い。


 前にも後ろにも敵だらけでライダーは戸惑うばかり。この中には125㏄のグループAにエントリーしていた者もいるため、クラスが違うだけでこうも異なるものなのかと世界との差に愕然としてしまう。


 浅間などの国内レースとは、何もかもが大きく違った。


 それでも125㏄と同様、どうにか粘りの走りで完走、7、8、9位に入り入賞したばかりかホンダに貴重なデータを持ち帰ることに成功した。


 ゴール後、完走を労うかのように手渡されたアイスコーヒーのほろ苦さが五臓六腑に染み渡る。


 優勝はMVアグスタ。2位はMZ、3位にもMVアグスタが入り、先のレースとは逆となった。


 多くのメーカーがトラブルで脱落する中、初挑戦で全車完走は、驚異的であった。一部欧州メーカーの技術者がホンダのマシンを指差しながらざわついている。この時、先見の明ある技術者は気付きつつあった。この先、日本のメーカーはヘタをすると大きな脅威になり得ると。




 更に午前に行われたグループDこと350㏄クラスに日本からのエントリーはなかったが、MVアグスタが1-2を決め、3位にベロセットが入賞した。今年、イギリス勢はどうも調子が悪い。


 日本ではやや馴染みの薄いミドルクラスに属する350㏄だが、欧州では激戦区の一つで、寧ろこのクラスに力を入れているメーカーも少なくない。グループEには48台がエントリーしていた。




 そして午後、グループEこと500㏄クラスにはカワサキがメグロの名で2台をエントリーさせていた。その内の一人は去年クラブマンで500㏄クラスにエントリー、9位入賞と予想外の活躍を見せたことにより、正式にマグロワークスのライダーとなったサッコーこと広瀬紗智子である。


 ライムグリーンに白のラインはシンプルながらも目立ち、カウルの下には親会社であるカワサキのロゴも書かれていた。


 メグロは今回のためにセミモノコック構造を採用しており、見た目はなかなかに斬新だった。SSDと同じことを考えていたようだ。


 しかし、写真を撮る観客は単なる物珍しさでシャッターを切っているだけであり、この時点でジャップのマシンが健闘するなどとは思っていない。コーディネートしたライムグリーンの出で立ちもカメラの恰好の的だった。


 しかし、そんな嘲笑をよそに、紗智子のモチベーションは高い。それもそうで、日本のメーカーが何だかんだで相次いで完走を果たしており、ここで自分も完走を果たそうと闘志を燃やしていたのである。


「さて、日本選手団の一員として無様なマネは絶対出来ないわね。例えビリでも完走してみせるわ」


 そう独白し、紗智子は当時まだ少数派であったフルフェイスのバイザーを降ろす。尚、紗智子のヘルメットはアライ製であった。当時、日本のメーカーは欧米が相次いで導入していたのに倣い、追随するように史実よりも早くフルフェイスタイプを開発していたのである。


 


 フラッグが振り降ろされると同時に、爆音を轟かせながら34台 がスタート直後の右コーナーへ飛び込んでいく……


 

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