第62話 デビュー それはほろ苦きものなり その1

 6月の第一週、マッド・ジューンが始まり、マン島に於いてGPの開幕となる。


 GPが行われるWMGPとは、正式名称World Motorcycle Grand Prixと言う。日本では世界二輪選手権もしくはロードレース世界選手権という名称が一般的となる。


 尚、今回参加する日本のメーカーの内訳は、以下の通り。

 ホンダ(グループB・C)、スズキ(グループA)、メグロ(グループD・E)、SSD(グループS・X)。

 改めてGPに於けるグループ別の排気量は、以下の通り。


 サイドカー:今年からレギュレーション改訂により4スト750㏄以下

 グループA:4スト50㏄以下

 グループB:4スト125㏄以下

 グループC:4スト250㏄以下

 グループD:4スト350㏄以下

 グループE:4スト500㏄以下

 グループS:4スト750㏄以下

 グループX:4スト1015㏄まで


 一日目の午前、まずスタートしたのはサイドカー。意外にもメグロのエンジンを入手し、挑んだのが2台程。チェコスロバキアのチームであったが、日本製エンジンを使用しているということでつい応援したくなる。

 因みに当時はチェコスロバキアであり、チェコとスロバキアに分離するのは1992年(平成4年)(正式には1993年1月1日)であり、別名ビロード離婚とも呼ばれる。

 普通、このテの分離独立には流血がつきものなのだが、比較的穏やか且つ正式な立法・行政手続きに基いていることが由来となっている。

 意外に思うかもしれないが、チェコは東欧にあってなかなかの先進工業国の一つであり、チェコ製のマシンが時折上位を脅かすことがあった。

 そんなチェコのチームがどのような経緯でメグロのエンジンを手に入れたのかは不明だが、冷戦当時にあって東側に属しながらも比較的西側との交易も盛んだったこと、何より隠れ親日国の一つであったことも無関係だったとは思えない。

 ほぼ最後尾付近からのスタートであったが、メグロのエンジンの耐久性が大いに発揮されたのか、操縦に苦心している様子が伺えながらも何とか粘る内に徐々に順位を上げ、途中一台はリタイアするも(原因はタイヤバースト)、残る一台が10位に入り、ポイントを獲得した。有力チームにもトラブルが多く、完走したのは22台中11台というサバイバルレースとなった。

 少なくともトラブルの原因がエンジンでなかったことから、図らずも日本製エンジンの耐久性の高さを証明することとなってしまった。

 尚、優勝したのはBMWエンジン搭載車。二位はBSA、三位はこれもBMWで、サイドカーではBMWの強さが目立った。


 すかさず午前にもう一レースが行われる。それはグループAで、日本からエントリーしているのはスズキのみ。だが、何故かホンダのエンジニアも熱い視線を送っていた。

「もしかしたらホンダも来年辺り50㏄に出場するつもりなのかもね」

 久恵夫人はその様子を見て独白する。因みにSSDの一行も熱い視線を送っているが、それは同胞だから応援したいという想いからであった。

 スズキ勢4台は40台ものエントリーの中で予選はほぼ20位台後半から30位台にいた。やはり、トップチームといか世界との差は厚い。

 そしてフラッグが振られスタート。コーヒーカップ程のシリンダーしかない小さなエンジンから搾り上げているかのような悲鳴にも似たサウンドを響かせつつクリプスコースならではのスタート間もない右コーナーへと一斉に消えて行く。

 案の定と言うか、二台が弾きだされそのままリタイアとなった。内一人は意識がないようで、そのまま病院送り。

 まさかスズキのマシンか!?だが、幸いにして無事コースへと進入したようだ。スズキは青と銀に金の稲妻と日の丸を重ねたシンプルなカラーリングを施しており、そのコントラストで意外と目立つため、識別は容易であった。

 しかし、ライダーは案の定四苦八苦していた。何しろ性能追及の結果、パワーバンドが300rpm程度と極端に狭く、それを維持するためにミッションは当時で既に8段か9段が当たり前、中には10段以上のマシンもおり、ライダーは非常に忙しない。

 加えてライディングにも制約が多く、ハングオフが主流となって後もコーナリング時の抵抗を最小限度に抑えるため、リーンウィズが基本であり、こうした一連の制約のために乗りこなすには超人的な操縦技術が要求され、グレート・ベビーと一目置かれる所以であった。

「思った以上にふらついてるなあ」

 スズキも既にテレスコをフロントサスに採用していたとはいえ、コーナリング時にふらついているように見えることから剛性が弱いのではないかと思われる。双眼鏡を覗く佳奈も心配になってしまう。

 尤も、日本のメーカーにとってはこれが世界への初挑戦なのだから止むを得ない部分だろう。

 それでも途中転倒、クラッシュ、マシントラブルにより上位陣からも徐々に脱落が出始め、何とか粘りに粘って完走してみせた。

 スズキは、8位、11、13位、14位と全車見事に完走を果たす。更に初挑戦で二台が見事に入賞した。優勝は西ドイツのクライドラー、更に表彰台を独占し、このクラスで本命通りの強さを見せつけた。しかし、一台がスタート早々クラッシュに巻き込まれリタイアとなっている。そう、あの二台の内の一台だった。

 最終的に40台中完走したのは僅か18台というサバイバルレースであり、二人が亡くなってしまった。

 完走し無事帰還したスズキのライダーは皆ヘトヘトになっていた。そんな彼女らを労うように、アイスコーヒーを渡すと、誰もがグイッと飲み干した。

 その後にホッとした表情を覗かせる。それは、何とか完走を果たしたことで一定の使命を果たしたことによる安堵感であろう。因みに、今回グループAでエントリーした全車が完走したのはスズキだけであった。

 見事完走を果たした一行に、日本選手団として誰もが拍手を贈る。笑顔がこぼれる。


 デビューし完走したコーヒーの味は、ほろ苦かった。しかし、これが後の栄光への始まりであることを考えると、栄光の味と言えるかもしれない……

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