第58話 最初の一歩 その1

 前夜祭から一日置いて、いよいよGPレースが本番を間近に迎える。


 SSDは前年に続き、ホテル・スーザンを拠点とした。マッド・グランマもモトエさんも以前より更に大所帯になったにも関わらず大歓迎。


 そして、歓迎の御持て成しは塩むすびとみそ汁であった。まさか異国の地で素朴ながらも故国の料理に誰もが感動。マライソムとエイミーも日本食には慣れていたので美味しそうに頬張っており、その時の写真が残っている。その意味ではすっかりSSDの一員であった。


 また、その後名門チームとなっても塩むすびとみそ汁での歓迎が慣例となる。




 この間、クラブマンレースも大いに盛り上がり、GPと同じ全8クラスの内、マシンの国別でイタリアが4勝、フランスが1勝、イギリスが2勝、西ドイツが1勝で、これは今年、イタリア勢が絶好調だったのと重なっていた。グループXではロメックスがリードしていたし、グループEとDではMVアグスタ、グループCとBではドゥカティが強さを見せつけており、それぞれのクラスで今年のチャンピオンは揺るぎないとみられていた。


 そんな中で、GPマシンのプラクティスが始まる。尚、グループS及びXはマウンテンコースを使う。それ以外はクリプスコースである。


「いよいよね……」


 SSD以外の日本勢は既にプラクティスに入っており、ホンダのマシンを見て久恵夫人は独白した。


「確か、ホンダは当初フロントサスがボトムリンクだったのよね。でも、これでは高速コーナリングなんて自殺行為だと分かって一日で設計し、一週間で換装したとか噂に聞いたけど、大丈夫かしら?」


 


 久恵夫人が何で心配したのかと言えば、4年前、サンパウロのレースに一緒に出場した際同行しており、ホンダのマシンの高速走行時の不安定さが目に見えて分かったからであり、その原因がボトムリンクにあることをすぐに見抜いた。


 こんなマシンがいるだけでも他を危険に巻き込みかねず、技術の未熟に由来する事故だけは避けなければならないという思いからホンダの技術者にアドバイスしたことがあった。


 何で他社にアドバイスを?と思うかもしれないが、当時日本のメーカーは世界のレースでは新参者であり、当然真価は未知数。相手にしても海の物とも山の物とも知れない訳で、そんなメーカーが技術的選択ミスによって大惨事を引き起こした場合、当時の国際情勢に於ける日本の立ち位置をも考えた時、その咎はホンダのみならず日本のメーカー全体に及ぶことが予想され、日本の製品そのものが国際社会からの信頼を失うことにでもなれば、その後の技術的発展及び国際社会に於ける社会的地位の復帰までもが絶望的になる可能性を危惧したのである。


 モノ作り携わる人間の一人として、それ以前にそんな信頼の置けない物をサーキットは言うに及ばず市場に出すことすら許してはならないと考えていた。


 


 仁八にしても久恵夫人にしても、こうした大局的観点に立って物事を考えられる、戦後に於ける貴重な人物だった。本田宗一郎も無論モノ作りに携わる一人として本質は理解しているだろう。だが、一頭地抜けようとしてオリジナルに拘る余り時としてそれが無謀な一面に繋がることがあるのを二人も理解していた。


 そんなボトムリンクにも確かにメリットはある。可動部が多い分路面に対する追従性が高く、乗心地にも優れるため、高速走行する機会が少なく日用での使用を想定したスクーターやビジネスバイクでは今でも使われている。だが、剛性が低いのが問題で、当時未舗装の多かった日本の道路にも向いており、恐らくは市販車にもレースからのデータを反映する意味からも採用していたと推測した。だが、反面高速走行では操縦性が劣るという問題があり、そもそも未舗装路とサーキットや舗装路ではまるで条件が違う。


 噂を聞いていた久恵夫人は、絶対社内で親父さん(本田宗一郎のこと)と相当揉めたに違いないと推測もしていた。




 「スーパーカブが大いに成功したんで、それに気を良くして一時採用してたんじゃないかしらね。舗装前の浅間でも結構強かったもの。でも、出前とレースは全然違うし」


 横から口を挟むのは既に完全武装状態の翔馬。無論、SSDも例に漏れず他社の製品をテスト走行したり分解調査して研究している。翔馬もその過程でスーパーカブに乗ったことがあり、確かに悪路での操縦性や乗心地が優秀なことは認めていた。特にテレスコの構造上避けられないノーズダイブが殆どないのは、多くの操縦者にとって安心感があるだろうことも。出前機を使った輸送でも、前後方向の激しい変化は間違いなく不安を与える。


 その安定感がサーキットでも活きると考えたとしても不思議はない。


 そんな遣り取りをしている内、ホンダのマシンがピットに戻って来た。ライダーの表情は不満げに見えるが、少なくともサスペンションではなさそうだ。


 一瞬、ライダーと久恵夫人の視線が合った。その際、ライダーは目配せで大丈夫、問題ないよと言っているように見えたことから、久恵夫人は胸を撫で下ろしていた。


「どうやらサスペンションではなくフレームみたいね。アドバイスした甲斐があったわ」


 と、一安心したところで翔馬を激励する。


「それより、翔馬たちも準備なさい。もうすぐ準備が終わるわ」


 そして、準備が終わったことをメカニックから告げられ、マシンへと向かう翔馬。赤を主体としたカラーリング、そしてマシンに合わせてコーディネートした装いは、どのチームよりも目立ちまくっており、視線が痛い。




「おい見ろよ、あれがSSDだぜ。全く目立ちまくりやがって、トップチーム気取ってんじゃねえぞ」


「おいジャップ、ここは目立つことが目的じゃない、速く走ることが目的なんだぜ!!」


 尤も、翔馬たちの耳には届いてなかった。既に頭のスイッチを切り替えていたのである。でもって、備にマシンを観察する翔馬。


「ふう。こうして他のチームと見比べても、見た目はそんなに悪くなさそうね。後は、このマシンがどれだけ通用するか」


 と、久恵夫人からアドバイス。


「少なくとも、機械的信頼性には絶対の自信があるわ。大船に乗ったつもりで行って来なさい」


 アドバイスに、無言で首肯する翔馬。既にバイザーを閉じており、表情を窺うことは出来ないが、その言葉を信じているであろうことは分かった。


 


 そして、SSDの7人は一斉にコースへ出ていく。それは、SSDが二輪レースの歴史に足跡を刻む、最初の一歩であった……


 


 


 


後書き

 どうも。前置きが長くなって申し訳ないのですが、日本のメーカーとして初めてマン島へと挑んだホンダは、そのマシンRC141のフロントサスに何とボトムリンクを採用していたのですよね。


 案の定、高速でのコーナリングは非常に不安定であり、谷口氏以下ホンダのライダーは扱いに苦労したとか。


 それでも完走さえ難しいマン島なのもある意味幸いしてか、有力チームのマシンも次々と脱落していく中、しぶとく粘り見事完走、結果は谷口の6位が最上位で、初挑戦で見事入賞という上々の結果ではありました。


 しかし、この参加で感じた世界との差は大きく、次の年には常識的なテレスコに改めています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る