第57話 ジャーナリスト 梅林 羽矢 その2
「戦前からの老舗誌に取材していただけるなんて光栄ね」
久恵夫人の横に並んだのは、戦前日本人として初めてマン島を制した、静馬であった。無論、羽矢にとっては多田と並び伝説の人物であり、緊張を隠せない。
「も、勿体ない御言葉で恐縮です」
モーター月報が創刊されたのは明治43年(1910年)。元々は二輪好きの全国の華族や実業家、医師、資産家などの富裕層が集って不定期に発行する同人誌だった。
同年、東京・上野公園で開催された自転車レースの余興として二輪レースが開催されており、それを趣味を同じくする上述の間で情報を共有し合うためにその時の様子を書籍のような体裁にし、製本して配ったのが始まりで、当初は『モーター情報』と名乗っていた。
その後、日本各地でレース開催が増えるにつれ掲載される情報も増加し、更にジャンルも二輪のみならず四輪、飛行機など、当時最先端の機械を積極的に紹介しており、マン島TTの様子は無論だが、昭和4年(1929年)8月19日に来日したLZ-127飛行船ことグラーフ・ツェッペリン号や、『翼よ、あれがパリの灯火だ』で知られるチャールズ・リンドバーグによる1927年(昭和2年)の単独大西洋横断飛行などもいち早く掲載したことで、この頃には月刊誌となっていた『モーター月報』の名は一躍全国に知られることとなる。
因みに大西洋単独横断飛行成功から四年後に来日したリンドバーグについても取材を敢行した他、リンドバーグ程有名ではないものの世界初の太平洋無着陸横断飛行に成功することになるミス・ビードル号及び搭乗員のパングボーン&ハーンドンの二人も取材しており、この取材記事は後にアメリカ側でも貴重な資料になったという。
また、日本人として初めてマン島に挑んだ多田健蔵、更にマン島女子に挑み、日本人として初めてのマン島ウィナーとなった笠戸静馬の様子も取材している。
何しろ出版にあたって華族や政財界の著名人が多数パトロンとなっていたので情報のスピードが早く、また同人誌形式という建前をよそに、書籍としての完成度でも他を圧倒していた。
その後、戦争突入と共に休刊を余儀なくされ、戦後即座に嘗ての有志が集い活動を再開。戦前からの有志の中には公職追放の憂き目に遭った者もいたが、漸く日本に芽生えたモーター文化の灯を絶やすまいと戦後間もない内は工業関連の復興記事を中心として組んだ。
やがて戦争の傷や戦後の混乱も徐々に薄まっていくと、全国各地で雨後の筍の如く始まった草レースを取材した。なので、モーター月報では浅間も当然取材しており、SSD一行の様子もファインダーに収めている他、悔し涙に暮れるマライソム、落ち込んだエイミーなど、絶妙のタイミングでシャッターを切った写真も多く、一連の写真からレースの生々しい現実が伝わってくるかのような構成も高く評価されている。
それも当然で、モーター月報には伝説となった日本工房に在籍していた者も少なくなかった他、元々が趣味人の同人誌として出発した経緯もあり、写真を趣味としていた者が少なくなかったのもモーター月報のレベルの高さに貢献していた。
このため、当時盛んにレース活動していた二輪業界の間では権威ある雑誌であり、羽矢からの取材は静馬が言うように光栄であることに他ならない。
そんな羽矢は昭和9年(1934年)生まれで大学を卒業したばかりの24歳。祖父がモーター月報草創期からのメンバーの一人であり、両親も二輪を乗り回す粋な趣味人として戦前から有名であった。
そうした環境に育った羽矢もまた影響されない筈がなく、中学時代から始めた写真の腕前と持ち前の行動力を評価されて大学在学中にモーター月報のカメラマンとしてスカウトされ、文章も担当していた。
そして、英語及びフランス語が堪能なのもあり、今回のマン島遠征に同行することになったのである。
「それにしても、皆瞳が輝きに満ちているわね。それは、自分のためではなく、自分たちを応援してくれる人たちの期待を背負った目だわ」
羽矢は、一同の瞳の輝きに魅了されていた。両親からよく言われたのを思い出す。人間は、誰かのために何かをしようと立ち上がった時が一番輝かしいのだと。そうした人は、いつしか大成するから、そうした人の瞳に焦点を合わせてシャッターを切りなさいとも言われた、
羽矢は、そんな日本選手団の輝きに満ちた瞳に焦点を合わせシャッターを切る。その時だった。
「ジャーン!!」
突如羽矢が構えるファインダーの目前に映ったのは、エイミーだった。尚、エイミーは、アイルランドの民族衣装をモチーフとした緑色のファンタジックなドレス姿であった。
羽矢の目前に表れたエイミーは開口一番こう言った。
「ねえねえ、浅間の時、私に向けてシャッター切ったのって、貴方でしょ!?」
実は、エイミーは浅間のレースでトップを走り、あと少しで優勝というところで切り札として持ち込んだスリックタイヤがバーストし、結局リタイアとなってしまい(浅間後編参照)、落ち込んでピットに向かっているところを写真に撮られたことを気に掛けていたのである。意外にもエイミーはシャッターの音には敏感で、明るく生きるをモットーとしていた当人にしてみれば、落ち込んだ様子を写真に撮られるのは、不本意であった。なので、次は笑顔で写ってやろうと心に誓っており、無念を晴らすべき時が来た。
「ええ。あの時貴女を撮ったのは、私ですわ」
「じゃあねえ、今度は笑顔の私を撮ってくれないかな。これから世界へ挑戦する以上、笑顔でスタートしたいもの」
言われてみればそうだよね、と納得して羽矢はエイミーを写真に収めた。その際、エイミーはカメラ目線ではなく自然体で笑ってみせるので、実は映える子でもある。無論、こうした写真が撮れるのは羽矢の絶妙な腕もあってこそなのだが。実際、カメラを意識していない自然体の人物を撮るのは、意外と難易度が高い。
「そうだ、写真を撮ってくれた御礼に占ってあげる。ダウジングっていうんだけどね」
そう言って、エイミーはペンデュラムを取り出し、羽矢の目前で翳した。すると、ペンデュラムは大きく時計回り。果たしてこの意味は……
「う~ん、どう解釈したらいいのかなあ。少なくとも好意的な結果だから、貴方は将来何かで大成するってことかもしれないな」
「まあ、そうなの!?お世辞でも嬉しいわ」
エイミーのダウジングの結果が示すように、羽矢は後に世界的なモータージャーナリストの一人となり、モーター月報を退職後に故郷に戻ってある出版社に入社、女性向けバイク雑誌『RideLife』を筆頭に、女性向けにこれまでとは違った切り口からライフスタイルを提案する雑誌の企画創刊に関わることになり、業界でもその名を知られる辣腕編集者となる。
笑顔のエイミーを写したのは、彼女にとってその第一歩であった……
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