第56話 ジャーナリスト 梅林 羽矢 その1

 今年、マン島TTに出走するレーサーは、ミーティングのため一旦この島で最高級ホテルの一つであるハルバードホテルに集う。といっても、二輪は四輪程畏まらないことが暗黙の了解となっており、その上コンチネンタルサーカス特有の空気もあってか、マン島観光大臣の社交辞令的な歓迎の挨拶の後は大らか且つ和気藹々としたものである。因みに、観光大臣はマン島TTの競技委員長も兼ねており、スタートフラッグ及びチェッカーフラッグを振るのも当人の仕事であった。


 尤も、国際格式のレースなので、建前上はドレスコードがあり、男子はネクタイ着用、女子はツーピースが最低限必要とされていたが、零年女子選手はこれでもかとドレスが多く、コゼットに至ってはクリノリンスタイルで周囲を賑わせていた。尤も、クリノリンといっても19世紀のバカバカしいまでの膨らみはさすがになかったが。


「ムフフ、今年もこのマン島のために新調したのよお~」


 周囲の注目を集め、悦に入るコゼット。しかし……今年、一際注目を集めていた一行がいた。それは何を隠そう、東洋の島国からやって来た日本選手団であった。


 注目されるのも無理はない。選手団長の多田は紋付袴、女子選手の中でもSSDはエイミーとマライソムを除いて何と振袖だったのである。無論コゼットも視線が釘付け。


「どひーっ、日本人のキモノ姿をこんな間近で見られるとは思わなかったわ」


 フランス人特有の鼻につくところはあったが、意外にも差別意識や偏見の薄いコゼットは、手持ちのカメラで構わず振袖姿を撮影するのだった。


「おいおい誰だよいきなりフラッシュ焚きやがって……って、まさか、コゼット・ジェヌー!?」


 まさか、フラッシュを焚いたのが今を時めくトップレーサーの一人であるコゼットであることに、一行は驚きを隠せない。


「キモノ、それにシワーライまで。オリエントの民族衣装はとってもエキゾチックだわ」


 実は、コゼットの趣味にはお嬢様の嗜みとも言える乗馬の他、カメラがあった。そのテクニックもなかなかの物で、もしもレーサーにならなかったら、写真家になっていただろうと後に回想録に記述している。


 他にもコゼットの意外な趣味として、エキゾチズムがあるのだが、これは先祖代々からで、特に日本に傾倒していて空襲で焼失するまでは、有名な陶磁器や漆器に浮世絵、振袖、甲冑のコレクションもあったという。そして現在、家が経済的に落ち着いてきたのもあり、コレクションも再収集中であった。


 


 そして、コゼットはシワーライを着ているのが一体誰であるのか気付いた様子。


「もしかして、マライソム!?3年前にシンガポールで相見えたよね!?」


 コゼットのアクションに、一瞬戸惑うマライソムだったが、


「うん、あの時のボクだよ」


「やっぱりねえ。なかなか引き離せなくて梃子摺ったのを今でも覚えてるわ。あの時もう一周続いてたら、優勝したのは貴女かもしれないわね」


 実は、マライソムからすれば非常に手強い相手だったのだが、コゼットはあの時ビュガティの新型マシンの実戦テストも兼ねており、完成度の低さに悩まされていたのだが、そこはコゼットの腕で何とか持ち堪えさせつつリードしていたのだが、終盤ミッショントラブルを発症し、いつミッションブローになりはしないかと気が気でない状態で何とかチェッカーを受けたというのが真相なのであった。


 このため、レース後にピットで分解検査したところ、後一周レースが続いてたら、ピットからタオルを投げざるをえなかったかもしれないとメカニックに言われた。本当に危うい勝利だったのである。


 ミッションブローは二輪四輪問わずエンジンブロー以上に致命的であり、一瞬にしてコントロール不能に陥るため、最悪の場合命を落としていたかもしれないのだ。


 当然のことながら、ビュガティのマシンはこの時のデータを基に徹底した対策や改良が施されることになり、後のタイトル獲得への伏線となる。また、コゼットが何とかダマシダマシマシンを完走に持ち込んだのも大きかったのは言うまでもない。


 コゼットの優れた資質を証明するように、セカンドライダーもエントリーしていたのだが、やはり同様のトラブルに見舞われ、5位入賞が精一杯であった。


 尤も、マライソムから見れば、そんな様子は表彰台も含め微塵も見せなかったのだが、そこがやはりトップレーサーである所以なのだろう。相手に絶対弱味を見せないのもまた、トップレーサーとして優れた資質と言えよう。


 マライソムはフランス語も堪能なのもあり、気が付けばコゼットとすっかり意気投合していた。




 その様子を傍らで見ていた一行。


「あいつらすっかり楽しそうに話し込んでるな」


「ラソムは嘗て東南アジアのレースに出場していた時にコゼットと何度か競り合ってるみたいよ。尤も、僅差で惜しくも負けちゃったらしいけど」


 同じくフランス語が分かる英梨花は、二人の会話を聞いていてマライソムの過去を思い出したのだった。


「確か東南アジアって、嘗てイギリスとフランスが二分し合ってた影響で意外とレースのレベル高いのよね」


 紗代は過去に進駐していたイギリス人と対戦したことがあり、その時のレベルの高さに驚いたことを思い出していた。後に知ったところでは、当人はシンガポールのレースにSSDのマシンを持ち込んで参戦していた。


 あの時タイム的にも抜きんでていたことから、東南アジアのレースは国内よりレベルが高いことや、歴史上の経緯から納得させられることに。


「ましてや去年マン島グループSを制したトップレーサーだしね。こんなどえらいのを相手にするのよ」


 傍らで話を聞いていた佳奈も、自分たちが如何に想像を絶する舞台にい挑もうとしているのかと考えるだけで内心身震いしていた。




 そんな時だった。ふと、遠慮がちな日本語が聞こえた。


「あのう……会話に夢中のところ申し訳ございません」


 その声に振り替えると、日本人女性がいた。後に国民的アニメとなる某女性キャラの髪型に似ているとも、或いは戦前のお手伝いさんや給仕の間で一般的だった髪型に近いとも言える黒髪の女性は続ける。


「申し遅れました、私、『モーター月報』の梅林 羽矢 (うめばやし はや)と申します」


 梅林 羽矢と名乗る女性は、そう言って名刺を差し出し、久恵夫人が丁重に受け取った。


「モーター月報と言えば、戦前から活動している老舗誌だったわね。やはり私たちに無関心な筈はなかったか」


 名刺を受け取った久恵夫人は、納得のいった顔であった。果たして、彼女は何者なのだろうか……


 

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