第49話  平穏という名の日常 彼女たちだってこういう日もある 2

 懸案が漸く解消されてマン島出場への目途が立ち、彼女たちは久々の休暇と相成った。そして、今回は翔馬一人であった。




 翔馬は汽車から広島駅に降り立つ。尚、当時山陽本線はまだ電化されておらず、列車と言えば通勤も汽車ぽっぽであり、広島で電化されていたのは可部線と広島電鉄しかなかった。山陽本線の全線電化はまだ7年も先である。


 当時、広島駅は大正11年(1922年)に落成し、その後原爆によって大破するも修復された二代目駅舎の時代であった。


 7年後の昭和39年(1964年)にほぼ半世紀に渡り親しまれることになる駅ビルを併設した三代目駅舎の建造が始まり、翌年に完成する。その時は誰もが当時としては見事なビル建築に、広島もやっとここまで来たかと誰もが感慨深かったことだろう。


 その後、長い間親しまれた三代目も半世紀が過ぎ、途中ASSEとなり改装はしたものの古さが目立ってきたことや、広島電鉄が高架化して広島駅に乗り入れる方針に決めたことにより、構造が大きく変わることから部分的な改装では利便性を活かしきることができない上に建築としての安全性が保証できない、更に駅ビルも改装したと言っても根本的には既に半世紀にもなる老朽建築であることなどから政令指定都市に相応しい顔にすべく機会を窺っていた広島駅の利害一致により、三代目駅舎は令和2年(2020年)3月31日を以て一旦閉館となり、後述する愛友市場の閉鎖なども含め周囲でも多くの建物が閉館解体の対象となったため、全国的にも屈指の規模の大改装工事となり、5年の期間を経て令和7年(2025年)春にミナモアと命名され再開館予定である。


 また、この間には広島駅の陸橋部分も大規模リニューアルが行われ、多くのテナントが入りそれまで西側の細い地下通路でしかアクセスできなかった南口と北口のアクセスも大幅に改善されることになり、新幹線口のリニューアルした商業施設とも合体してekie (エキエ)としてオープンするなど、21世紀に入っての広島駅とその周辺の変化は凄まじい。


 余談だが、日本では都道府県の主要駅などに駅ビルなどの大規模商業施設があるのは、比較的ありふれた光景なので日本人の大半はそれが普通だと思いがちだが、かなり最近まで日本だけに見られる現象であった。ただ、似たような構想は鉄道黎明期から既に存在しており、欧米の主要駅では商業施設の代わりにホテルが直結していることが多い。日本では逆につい最近まで駅舎に宿泊機能が合体している形態はそんなに多くなかった (少し離れた場所にホテルがあることは多いが)。


 21世紀に入り一時は衰退基調だった鉄道の利点などが再び見直されるようになると、利用客の積極的取り込みを狙い、日本の駅ビルを参考にしてドイツやフランス、スイスなどで日本の駅ビル程ではないにせよ駅舎内にショッピングセンターなどの商業施設をオープンさせる事例が相次いでいる。




 時系列は再び昭和32年に戻る。


 今でこそ駅シティ広島に吸収され、愛友ウォークがその名残として存続し随分と綺麗且つ華やかになったが、この頃の広島駅とその周辺は、復興成ったばかりとはいえ周辺は闇市を母体としていたのもあり、表玄関とは思えない程生活っぽさが漂いかなりゴチャゴチャしていた。広島駅南口東側にある商店街、愛友市場もその一つである。


 因みに現在ゆめタウンで知られる広島を代表する小売大手の一つであるイズミも広島駅前で始めた闇市がルーツであり、愛友市場とも関係は深い。


 生活っぽい香り漂う場所だけに、ここだけで日常に必要な物はほぼ揃った。実は、翔馬は修道女に通う前から横川商店街と並んで時折お小遣いを握りしめてわざわざここまで足を運ぶこともしばしば。親に連れられたことも多く、その時はいつもより色々と買ってもらえたのもいい思い出。


 たまにお手伝いさんがクルマでここまで買い出しに来ることもあり、愛友市場にとっては太客でもあった。己斐からというと少し遠いが、広島の名家の一つである西原家のお眼鏡に適う品揃えであったことが窺える。


 


 都道府県の表玄関とも言える主要駅のすぐ近くにこうした生活臭漂う場所があるのが、如何にも広島らしいと言えばらしいのかもしれないが、近くの住民にとっては使い勝手の良い場所であったことも事実だった。


 また、道路を隔てた広島駅の向かい隣りには廣島百貨店があり、デパートというよりは多くのテナントが入居したショッピングモールに近く、ブランドものも扱ってはいたが、やはり生活っぽい場所であった。現在そこにはエールエールA館が建っており、テナントとして福屋が入っている。


 尚、現在そのエールエールA館も開業から25年になるためリニューアル中で、令和8年(2026年)には基町から中央図書館が移転することが決まっているが、移転理由は建物の老朽化であった。こちらも既に竣工から半世紀近くが経つ。


 因みに、広島に生活臭が欠かせない典型として、平成13年(2001年)に開通した紙屋町地下街シャレオが東京などから高名なブランドを招聘するも、その多くが僅か1~2年で撤退するハメに。


 広島は例え中心街でも見た目の華やかさより生活っぽさが重視される。実際、開通当初本通り商店街の関係者も危惧して一通り見学しているのだが、店舗を見て、長くても三か月くらいの辛抱じゃと言ってニンマリしながら後にしたらしく、図らずもその通りとなった。その意味では、政令指定都市の割にはイモなところかもしれない。


 地元住民以外にはやや近寄りがたい雰囲気があり、地元民や常連などを大切にする余り、有名になることで観光客にそうした人々が締め出されるのを嫌ったのか、取材の類にはあまり協力的ではなく、そのために全国にもあまり知られているとは言えず、よそ者をよせつけない閉鎖的な空気が漂っていたのも確かであり、ある意味、横川商店街とは違った意味でクセつよな商店街でもあったと言える。


 しかし、商店街は言い換えればエキスパート集団でもあり、物を見る目は確か。


 近寄りがたいかもしれないが、それでも翔馬はここが好きだった。なので、商店街の人も翔馬のことは小さい頃からよく知っていた間柄だ。




 ふと、商店街を歩く翔馬に果物屋から自分を呼ぶ声が聞こえた。


「翔ちゃん、久しぶりじゃねえ。ええ桃入ったんよ、食べてきんさい」


 そう言われて、翔馬は甘い香りの誘惑に乗り、試食させてもらって白桃を勧められるままに買う。籠へバナナも同梱してもらったが、当時バナナは高級青果扱いだった。そのため現在御年輩の方には、入院した時くらいしか食べさせてもらえなかったという証言もあったりする。


「ここの品揃えは相変わらずじゃねえ」


 他愛もない遣り取り。だが、今の翔馬にとってそれは特別な時間だ。その理由とは……


 


 マシン開発も一定の目途が立ったことにより、来年マン島への出場が確実な見通しになったことから、翔馬はこの先開発スケジュールは更に詰められていくであろうことを予想し、時折休みをもらって……などと悠長なことは出来なくなるだろうと考えていたのである。


 だからこそ貴重な休みにこの商店街へ挨拶に来たつもりであった。


 


 それは他のメンバーも同じで、実は皆一時帰郷している。そう、考えていることは同じだ。別段久恵夫人などがそう言った訳ではないのだが、バルブスプリング問題が解決したことでエンジン開発も一定の目途を見た以上、開発が加速するのは当然だろう。これから先、暇が入る余地はなくなると考えない方がどうかしている。ましてや時間は自分たちの味方ではないことを分かっていた。この間も世界は必死の競争を続けている以上、テスト後には何処に遊びに行こうかなんて考えが入る余地などある筈もない。


 だからこそ、この何気ない日常が愛おしい。久恵夫人もそれを理解していたのか、今回に限り10日間の中休みに相当する特別休暇を与えていたのである。


 


 何で10日間なのかというと、当時は新幹線もないし、高速バス以前に高速道路さえ整備されていない時代で、鉄道に大きく依存していたのだが、特急列車を乗り継いてでも長距離だと数日掛かることも珍しくない時代であり、一部は出身地が遠いことを考慮していた。


 その意味では現在広島から北海道まで新幹線でも理論上9時間くらいで行けるようになった辺り、隔世の感ありといったところか。


 翔馬も明日は横川商店街、更にこの後も修道女に通うまでの道のりだった長束周辺や、カミナリ族時代の懐かしい思い出もある己斐峠などを回っておく予定だ。もしかしたら、もう二度と見られなくなる可能性もあるかもしれないのである。翔馬でなくとも皆分かっているだろう。これから自分たちが挑む世界は、戦場にも等しい命懸の舞台であることを。




「もしかしたら、この光景も見納めになるかもしれない」


 そう思うだけで感慨深くなる翔馬に、突然商店街の人が総出で現れた。でもって代表で青果店のおばちゃんが、ある物を渡した。


「翔ちゃん、もうすぐマン島に行くんじゃろ。これを持っていってほしい。皆も応援しとるけえ」


 それは、愛友商店街の文字が行書体で入れられた手拭。しかも七枚ある。地元出身者だけを贔屓しないところが、ある意味では広島らしいと言えるかもしれない。まあそれも当然で、SSDに乗る同志なのだから。


 翔馬はその気遣いに、目頭が熱くなるのを感じた。お嬢様らしからぬ意外と勝気なところもある翔馬だが、情に篤い性格でもあり、こういうのには弱い。


「あ、ありがとう、皆……」


 愛友商店街の性格を知っているだけに、これが如何に心憎く熱い応援であるかを理解していた。


 尚、何で手拭になったのかというと、後の商店街の関係者の証言で、相談し合った結果、ヘルメットを被る前に髪をまとめるのに便利じゃろうがという一言で決まったという。


 勇気をもらって声援を受けながら商店街を後にする翔馬。その時、翔馬は思った。確かに、それまでは母静馬のように、自身もマン島を制してみたい。その想いで突っ走って来た。けど、マン島制覇宣言に批判的な声もある中、こうして応援してくれる人がいる。その思いのために走ろう。誰かのために走ろう。そう決めたのだった。


 横川商店街でも同じく声援を受け、久方ぶりの訪れた長束及び修道女でも、更に己斐でも何処から伝わったものか、嘗ての走り仲間が集まり勇気ある挑戦にエールを送ってくれた。




 その後、SSDのライダーには新規加入時、或いは毎年新年になると愛友商店街から手拭が贈られるのが慣例となる……

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