第48話 萬国製針

 広島県楠木町。仁八は今、ここにいた。その理由は、ここに問題解決の切り札があるかもしれないと直感したからである。しかもバイクで乗り付けていた。


 実はここ一帯は、江戸時代から300年続く針の生産地として知られ、今尚全国で使われる針の90%前後がここで生産されている他、その後には世界でも屈指の針産業を形成するようになる。


 しかし、全国有数の針産業も、原爆によって一度は壊滅した。そんな状況にもめげることなく、早くも翌年には操業を再開。立派な工場に再建されたばかりでなく、現在は高度成長期に差し掛かったのもあり、往時の勢いを取り戻しつつあった。




 そして仁八が訪れたのは、広島の針産業の中でも最大手にあたる萬国製針 (ばんこくせいしん) である。最大手だけあり針に関する品質や技術力では日本のみならず世界でもトップクラスの企業だった。


 そんな萬国製針を訪れた仁八の姿を認めた女性従業員の一人が驚いたような表情をしている。


「あ、あ、貴方は宍戸重工社長の……」


 町工場の従業員からすれば、仁八は日本屈指の大企業の社長であり、従業員が驚くのも無理はない。従業員は、慌てて事務所へと駆けこんでいった。


 見事に復興成った工場を見て仁八は、


「ここを訪れるのはホント久々だな。社長就任の挨拶回り以来だからもう13年になるか」


 と、立派な工場の様子にすっかり立ち直っているのを見て取り感慨深げに独白する。


 暫くして、対応に出たのは萬国製針の二代目社長、高橋敏雄その人であった。因みに仁八より10歳上で、先代からの付き合いであり、無論仁八のことも小さいころから知っていた。そして相変わらず元気そうな様子に、仁八は挨拶代わりで一言、


「以前よりも立派な工場になりましたね」


「ああ。ピカに負けてる訳にゃいかねえからな」


 ぶっきらぼうで強面、典型的な町工場のオヤジであり、寧ろ仁八よりも貫禄があった。社交辞令すら無視しているような対面であったが、これが両者の挨拶であり、先代から変わっていない。


 それは、互いに信頼し合っているからこその挨拶でもある。無論、仁八がわざわざ足を運んできた理由も既に分かっていた。どうせ難物な頼み事だろうと。


 その遣り取りを傍らで密かに見ていた重役や従業員は気が気でない。大企業の社長にあんな対応していいのか?と。重役に至っては先代にすらそういう対応だったので、これが原因で業界に知られ仕事来なくなったらどうしようと気を揉む者も。


 しかし、そんな高橋氏も仁八に劣らぬ、いや、それ以上の修羅場を潜り抜けて来た経歴の持主である。


 


 萬国製針が創業したのは大正7年(1918年)。創業者は高橋誠太郎。敏雄は息子にあたる。その後、昭和11年(1936年)に二代目社長に就任。創業当初から針生産の一方でその過程で培った技術を基にその他金属加工にも積極的に進出し、宍戸重工とは戦前からの付き合いであった。


 実は、戦前のSSD号のデスモドロミックエンジンは、この町工場の技術なくして誕生しなかったと言われており、高度な技術力が伺える。


 しかし、昭和20年8月6日、原爆により工場、設備の一切を焼失したのみならず、長男を筆頭に10名もの近親者を失った。


 だが、アメリカへの憎悪や復讐心を、もう一度工場を立て直し、針で以てアメリカを、やがては世界を支配するという建設的な方向へと向けた。それがここまでやって来た原動力に他ならない。


 また、世界初の自動炊飯器の要とも言えるバイメタルスイッチの開発生産にも携わったなど、日本の産業を陰から支えてきた無数の町工場の一つでもある。


 そんな萬国製針に、宍戸重工が訪ねて来た理由が、敏雄にはすぐ分かった。




 社長室にて、仁八は敏雄を前に早速話を切り出し、ある現物を見せた。机にはお茶さえも用意されていない。が、それでよかった。


「話というのは他でもないのですが、これと同じ物を作って欲しい。ただ、要求水準はもっと高い」


 机にある現物。それは、トーションスプリング。ロメックスのエンジンから取り出した物で、デスモドロミックバルブの要とも言える部品である。これでバルブを閉じている間密着させるのが役目であった。


 そのトーションスプリングを手に取り、敏雄は凝視する。小さな部品だが、敏雄はその重要性をすぐに理解し、こう言った。


「SSDのマン島出場宣言、酔狂ではなく本気なんだな。アンタがわざわざバイクで乗り付けて来た時点で何となくその関連だとは思ってたがな」


 重々しい声に、仁八は黙って頷く。


「勿論だ。どうせやるなら、世界を制するくらいでないと。いよいよ来年、やっと第一歩を踏み出す所まで来たんです」


 そう聞いた敏雄は、気難しい表情の中に笑みを浮かべる。


「フッフッフ。世界とは面白いこと言うじゃねえか。よし、その話乗った!!職人技術の粋を集めてでも作ってやらあ」


 そして、要求水準が事細かく伝えられた。まず、ロメックスのマシンは現在10000rpmと推測され、将来の発展性に鑑み15000rpmまで耐えられること、将来市販を意識していること、更に伸びと縮みの双方に堪えられる性質であること、現在のこのスプリングより更に開閉抵抗が小さいこと、など。それが達成できなければ、マン島制覇など夢でしかないと。




 その日から、萬国製針の工場の片隅で、工場の中でも屈指の熟練工と共に必死の開発が始まった。


「いいか、オレたちが作ろうとしているのは世界を制する部品だ。気合入れろ!!」


 そして、夜遅くまで工場の一角から機械音が響き渡ることに。時折騒音に苦情申し立てもあったが、事情を説明すると大半の人は引き下がった。


 因みに工場のある楠木町は町工場と住宅地が融合したような場所のため、時折苦情を申し立てる人がいるのは仕方がない。


 この間納品された部品は過酷なテストに掛けられ、時にエンジンブローを起こし、彼女たちも危うい思いをしたが、それでも挫けることはなかった。


 


 それから僅か三か月後、遂に納得いく部品が出来上がった。自信に満ちた表情の敏雄は、隈が出来ていた。


「今度は問題ないぞ。バイメタル技術を応用して、伸びに強い金属を縮みに強い金属でサンドイッチしてみた。それに、ロメックスの4㎜径より細い3㎜径に抑え、10%の軽量化にも成功したぞ。無論耐久性には絶対の自信がある」


 その部品はマシンに組み込まれ、グループSは紗代が、グループXはエイミーが乗り込み、コースに出た。




「こ、このスムーズな吹け上がり。まるで別物だわ」


 紗代は、これまでとは打って変わって思った通りに回転が上がる様子に感動していた。


 一方エイミーも、


「今日ダウジングしたらいいことがあるとお告げがあったけど、まさにその通りだわ。こんなにスムーズにエンジンがコントロールできるなんて初めてよ」


 エイミーは、朝一番にダウジングが日課であったが、今日は随分と大きく時計回りに振れるので、これは良いことがあるに違いないと確信していたけど、それは萬国製針から齎されたのであった。


 これまで以上にスムーズなアクセルコントロールが可能になったのが、乗ってすぐに分かった。そして、グループSで13000rpm、グループXでも11000rpmまで吹け上ることが確認された。


 それにしても、スプリング一つでここまで変わるとは。仁八も予想以上の成果に驚いていた。その様子に、敏雄たちも満足そうだ。


「どうだ。これなら文句ないじゃろ」


「ああ。これなら問題なくマン島に行ける。貴方のお陰だ」


 そう言って、仁八と敏雄は固い握手を交わす。


 


 ベンチテストでも15000rpmでの連続試験に掛けたにも関わらず、スプリングはヘタリの兆候さえなかった。


 


 漸く、マン島へ挑むための体制が整った……

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