第43話 プリンシパル

 グループDこと350㏄では10周のレースをイギリスのノートンが制してここまでにクラブマンでの2勝も含めイギリス勢が5勝とここ数年不振に喘いでいたのもあり、観客は地元勢の勝利に熱狂し、グループEこと500㏄では12周のレースをイタリアのMVアグスタが優勝を浚い(尚、優勝ライダーはイギリス人であった)、翌日、いよいよ重量級クラスとなるグループSとXの戦いが始まる。重量級に目ぼしいイギリスのマシンはXにエントリーするトライアンフ以外いなかったが、実はライダーはイギリス勢が綺羅星の如くトップグループにいたので注目度は高い。


 SとXでは一周17.36キロのクリプス・コースから一周60.7キロのマウンテン・コースへと舞台を移す。このため、グループE終了直後からスタート直後の封鎖していたバリケードが取り除かれ、更にコースを正規のコース・マーシャルの他ボランティアで参加している人が念入りに確認している。


 この光景をみているだけでも否応なしに緊張間が高まっていく。何しろマウンテン・コースはマン島TTの象徴なのである。


 実は、マン島TTは多くのボランティアによって支えられているレースイベントであり、それだけにファンと関係者との一体感は他のレースと比べても高い。参加してもボランティアなので何かしらの報酬が出る訳ではない。それでもこの一大イベントへの参加希望者は後を絶たなかった。日本での開催なら、今だとレースロゴを印刷したティッシュくらいは配られていただろうけど。


 競争率も高く、一度参加したら次は三年は参加できないという。




 そして、いよいよマン島TTのメインイベントとも言えるグループSとXの開催となるのだが、二輪レースは排気量別に争うとはいえ建前上は同格とされているものの、やはり重量級はボクシングのヘビー級が最高峰と見做されているように、盛り上がり具合も他のクラス以上であった。


 午前はグループS決勝が控えており、コース上には34台が既に予選順に従い待機している。ポールポジションは勿論今回最有力候補と見做されていたビュガティのコゼット・ジェヌー。フランスのナショナルカラーでもあるフレンチ・ブルーのマシンとスーツが一際目立つ。

 AGVのフルフェイスヘルメットもフレンチブルーをベースに赤と白のラインを描いており、フランス国旗をベースにしているのは明らかで、そしてリンゴのシルエットが入っていたのが特徴的であった。それは、コゼットの出身地であるノルマンディー地方の名産でもある。


 因みにマン島では通常ポールポジションは1点なのに対し2点、更に2位と3位にも1点ずつ入るので、時にこの1点がチャンピオンの行方を左右することもあるだけに、マン島ではポールポジション争いも熾烈であった。


 尚、ビュガティのフレンチ・ブルーはナショナルカラーでもあると同時にコゼットの実家企業でもある大手食品メーカー兼リゾート業のル・ノルマンディーのスポンサーカラーでもある。


 戦前、四輪の世界ではブガッティを筆頭に活躍していたフランス勢であったが、二輪ではモトベカンやプジョーが主に耐久レースで活躍していた以外目ぼしい活躍はなく、ビュガティがただ一人気を吐いていた。


 だが、そんなビュガティも活動が本格化するのは戦後になってからであり、イギリスとイタリア、更に東西ドイツが一角に食い込む中にあって孤軍奮闘していた。しかし、ここ数年トップ戦線からは遠ざかっており、そんな中にあって突如彗星の如く現れたのがコゼットだった。


 そして、コゼットにとっては二つの幸運があった。一つはワークスに迎え入れられた年、ビュガティが戦闘力を向上させてくる時期にあたっており、二つ目はナンバー2として加入したものの同郷のエースが開幕早々に重傷を負い引退を余儀なくされ、それに伴いビュガティのエースとならざるをえなくなったことである。


 


 第二次大戦後、建前上は戦勝国となり国連常任理事国の一角を占めることになったフランスであったが、国内はイギリスと並び敗北も同然であり、それはモータースポーツでの不振とも無関係ではなかった。


 そんな中にあってビュガティとコゼットは漸く上り調子となってきたフランス復興の象徴でもあった。今年、マン島に訪れた観光客にいつにもましてフランス人が多いのも半ば当然と言えよう。




 ポールポジションということもあり、BBCからインタビューを受けているコゼット。リポーターはフランス語で話すも、当人はノンと一蹴し英語で応える。


 その様子をスタート地点で見ていたのは、東南アジアのレースで因縁浅からぬマライソム。


「彼女が、ボクが越えなければならない最大の壁になるのか」


 そう独白している最中、一瞬だがコゼットと視線が合ったような気がした。恐らく当人は意識などしてないだろうが、マライソムにはその自信に満ちた笑顔に、何処からでもかかってらっしゃいと言われているような気分になる。そして、マライソムはキッと睨み返した。ただ、この態度から嫌っているように思うかもしれないが、誤解なきよう言うと、マライソム曰くフランス人特有の気位の高さが鼻につくことはあるものの、全然イヤな人間ではないとのこと。


 しかし、英語のみならずフランス語も堪能なマライソムは、フランスとイギリスの歴史的対立の一端をコゼットのインタビューからそれとなしに察しており、こういう時、語学に堪能なことと、相手を遠回しに揶揄するエスプリの利いた会話の中身を汲み取れる知性を持ったことを呪いたくなる。




 やがて、レース開始時刻が近づきピット要員も相次いで退避すると、コース上には競技委員長とレーサーだけになり、針一本落としても音が聞こえてきそうな程の緊張感が漲り始める。


 そして大時計の針が午前9時を指した瞬間、スタートフラッグが降ろされ大排気量ならではの太く甲高いエンジン音が轟き34台のマシンが一斉にスタート。マウンテン・コースを5周するグループSの戦いが幕を開けた。


 マウンテン・コースということもあり、スタート直後の右コーナーではなくマシンはそのまま下り、最初の難関であるブレイヒルへ向かう。


 トップはポールポジションから飛び出したビュガティのコゼット。2位と3位にはロメックス。4位にビュガティ、5位にロメックス、6位にビュガティと、トリコロール同士で上位を分けていた。


 


 コゼットは、リーンウィズに近いライディングでスムーズにコーナーをクリアしていく。イメージはクリスチャン・サロンに近い。


 流れるようなスムーズな走りはハデさこそないが、リーンウィズの完成形とも言われる美しいライディングと共に優美で観る人を魅了する。

 僅かに体重移動しているので厳密な意味でのリーン・ウィズではなかったが、その移動量は後々のハングオフ世代と比べると最小限度と言えるほど少ない。


 そして何より、ハデさこそないのに、速い。1コーナー毎に引き離しているのは、誰の目にも明らかだった。


 その後の難関コーナーをもいともたやすく滑るかのように駆け抜けていくコゼット。淀みがなく、無駄のない走りは、まるでバレリーナの如く。彼女の走りからは、バレエの代名詞とも言えるクラシック・バレエの代表曲、チャイコフスキーの『白鳥の湖』が聞こえてきそうだ。


 今コース上を走る34人をバレリーナに喩えるなら、コゼットはまさにプリンシパルであった。


 尤も、上演しているのはマン島であり轟音響き渡る白鳥の湖であったが。そして、バレリーナはトップクラスで最高速度280㎞/h超で踊っている。その上コースを一歩外れれば命の保障などない、命懸けのバレエだ。

 尚、その後ハングオフが次第に主流となっていく中、コゼットはリーンウィズが主流だった時代の最後の世代でもある。

 


 余談ながら、白鳥の湖は1877年のボリショイ劇場での初演ではそんなに評価されておらず、後に振付家のマリウス・プティパとレフ・イワノフが大幅な改訂を行い、1895年にマリインスキー劇場で再演されて高評価を受け現在に至っており、現在のの白鳥の湖は事実上プティパ=イワノフ版がベースとなっている。


 また、白鳥の湖の原型が完成するまでにはチャイコフスキーの他、台本にはボリショイ劇場の管理部長であったウラジミール・ベギチェフやダンサーのワシリー・ゲリツェルなども関わっているとされている。他にも振付家のウィンツェル・レイジンゲルとも打ち合わせて作曲が行われたという。


 初演についてそれ程評価されなかったというのも少し語弊があり、一説には舞台レベルの低さや従来のバレエ音楽とは異なるチャイコフスキーの高度な楽曲が理解されなかったために低い評価に繋がったという通説とは裏腹に賛否両論だったというのが真相に近い。


 実際、初演以降も度々上演されていたことから一定の人気を得ていたのは明らかで、その後のボリショイ劇場に於ける経営再建の影響を受け1883年にレパートリーから外れ、1888年にプラハの劇場で抜粋上演が行われるなどしたものの、本格的な復活上演は上述のプティパ=イワノフによる改訂版まで待つこととなったことに尾鰭がついて初演でそれ程評価されず、プティパ=イワノフの改訂によって白鳥の湖は完成したという定説が固まってしまったと推測される。




 そんなコゼットの走りに、紗代、佳奈、英梨花も見惚れてしまった。


『こ、これが、世界のトップの走りなのね。こんなに美しい走りは、初めて見た……』


 当時、日本は明治からの影響を引きずり舶来品を筆頭に西洋は全てが素晴らしいと絶賛されていたような時代であり、そうしたオブラートも影響していた。何しろ当時は多くの日本人がアメリカに憧れコーラ飲んでツイスト踊ってアメリカンドラマが大人気だった時代である。


 SSDと選ばれし7人の少女は、図らずもそんな風潮に立ち向かう孤高のサムライといったところだろうか。しかし、マン島に挑まんとした気概あるサムライはSSDだけではなかったのだが。




 途中ピットでの給油などを挟み、やがて一周60.7キロのマウンテン・コースを5周、総距離303.5キロにも及ぶ白鳥の湖は、下馬評通り青きミストラルことビュガティに乗るコゼット・ジェヌーがチェッカーを受けたことで終演となった。


 2位にも追い上げて来たビュガティが入り、ロメックスが3位に食い込んだ。


 表彰台ではウィルキンソンシャワーの後、更に自身が持ち込んだアップルタイザーでも続けて祝う。普通なら顰蹙モノの行為だが、何故かフランスだからと許されてしまうようなところがあった。


 コゼットにとっても悲願のマン島初制覇となり、今年のチャンピオン獲得は確実視されていたのだが、以降コゼットを立て続けに不運が襲う。


 マシントラブルによる5戦連続ノーポイントを筆頭に、ビュガティのマシンの完成度の低さに悩まされ、マン島を含め6勝したもののタイトルは3勝しかしていないが2位9回を始め安定してポイントを積み重ねたロメックスに乗るイタリア人、ロザンナ・カダローラに奪われてしまった。因みにロザンナは前年度マン島優勝者であり、去年に続いて二度目のタイトル獲得となる。




 まあこの時点でそんなことなど知る由もないコゼットだが、当人が歴史にその名を刻む第一歩となったのは間違いない。




 いよいよ、マン島TT女子戦最後のイベントにして最大の大一番、グループXが間もなく始まる……

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