第42話 マン島TT その3

 いよいよ、ここからGPレースは多くのメーカーが力を入れるグループB、C、D。即ち125、250、350㏄クラスが始まる。

 熱気を帯びているのは観客は無論、ライダーに尋ねるリポーターも心なしかインタビューに熱気が籠っているのが素人目にも分かった。喋っているのが外国語でも、こういう雰囲気は伝わるものだ。

 で、リポーターと並びライダーを撮影しているカメラマンの背負っているカメラを見ると、BBCなど世界的にも名を知られた放送局のロゴが目立ちまくっており、如何にGPレース、更にマン島がメジャーなレースであるかを思い知らされる。

「今はまだ観てる側だけど、来年には我々もあの場所に立っているのか。まあリポーターからインタビュー受けることはないでしょうけど」

「そうですね。寧ろインタビューは集中力を高める上で邪魔だから、その方が反って好都合ですけど」

 などと、スタート地点でインタビューを受けているトップグループの様子を見ながら、半ば自虐的な紗代と英梨花。

 インタビューを受けているトップライダーたちは慣れたもので、余裕の笑顔で受け答えしており、集中力を乱されている様子はない。実のところ、SSDでは知る由もなかったが、海外メーカーではレーサーにマスコミへの対応を教育していることは珍しくなく、翌年から参戦する日本の面々はこうした部分で色々戸惑うことに。

 まさか、日本から参戦した面々にインタビューを敢行する奇特な連中がいるなんて想定してなかったので。尤も、数年後にトップチームへと成長していくと、マスコミへの対応も考慮していかねばならなくなるのだが。


 やがて、スタート時間が近づくとコース上には近づくことすら憚られる程の殺気すら感じられるようなオーラが漂い始める。また、観客の方も先程より更に熱気を帯びているように見えるが、無理もない。

 何しろこれから始まるグループB・C・Dはイギリスのメーカーも多数参戦しており、自国の名誉も掛かっているのだ。

 

 やがて、競技委員長がフラッグを振り下ろすと、70台のマシンが一斉にスタート。レースは8周。スタート程なくやってくる右直角コーナー目指しての激しい陣取り合戦。

 案の定というか、ここで早くも5台のマシンが弾き出され、内3台がエンジンストップから再スタートできずリタイアとなる。

 トップはイタリアのジレラ。次いで東ドイツのMZ。イギリス勢はAJSの4位が今のところ最上位。尚、グループAの後、やや時間を置いてのスタートなのは、軽量級は掛け持ちが多いため。中にはグループAからDまでエントリーしているライダーもいる。

 多くのメーカーが力を入れているのもあり、その様子はまさにレッドオーシャン。激しい駆け引きでトップチームからも脱落が相次ぐ。

 その様子を最終コーナーであるガバナーズ・ブリッジから見ているのは、翔馬と雪代。

「浅間だってここまで激しくなかったわね」

「ああ。無理もねえよ。何しろ国内トップレベルのライダーがゴロゴロいやがるんだからよ」

 そう言いながら、二人とも実は顔面蒼白だったり。何しろ来年自分たちはこのマン島に出る側なのである。世界の激しさは、実際に見ると想像を遥かに超えていた。これで実際にレースに出たらどんな感じなのだろうかと。


 8周後、チェッカーが降られた。優勝はイタリアのジレラ。2位には東ドイツのMZ、3位にはイギリスのAJSが入り、地元勢の面目を何とか保った。

 

 その後、午後にはグループCこと250㏄クラスが行われた。レースは10周。最も熱狂するクラスと言われ、更に最も売れ筋ということもあり、同じく70台がエントリーし、実況も更に熱が入った。ていうか、我を忘れて大興奮といったところか。因みにイギリス勢はクラス最多の12台がエントリーしていた。メーカーも、ベロセット、BSA、ノートン、AJS、トライアンフ……元々イギリス勢は250及び350が主戦場とも言われており、何としてもこのクラスの名誉だけは守りたいという思いがこのエントリーの多さにも表れているようだった。

 戦前は無敵に近く、同時代に出場した二人の日本人、多田健蔵と笠戸静馬も共にベロセットに乗っていたのだ。

 それが今や凋落著しく、特にイタリア勢の後塵を拝することが多くなってしまった。しかもイタリア勢の多くは戦後から本格化した新興勢力でもあった。戦前からの伝統あるメーカーが、そんな若輩者に敗れるのはメンツが立たないといったところか。

 なので、こちらから見ていてもその尋常ならざる気合が伝わってくるようだ。

 レース中の駆け引きも激しさを増し、転倒の巻添えになるライダー、更にギリギリの駆け引きに敗れ立木に激突した者もおり、ゴーグルが真っ赤に染まっていることから最早手の施しようがないことは明らかであった。

 まさに、死と隣り合わせの栄光。

 その様子をエイミーは、間近で見てしまった。そして、カトリック式に双眸を瞑り、祈る。

「名も無き勇者よ、安らかに眠れ……」

 エイミー自身は意外と冷静であった。何しろ東南アジアのレースにも何度もエントリーしており、ヨーロッパ出身レーサーの激しい駆け引きによる死の場面には幾度も出くわしていた。

 無神経とも言える程の冷静な様子に、当人は無神経ではないかと思いたくなるが、彼女はレースの世界に携わる者がこうした出来事に感情を揺り動かされる危険性もよく分かっていた。あくまで努めて冷静に振舞っているに過ぎない。何しろ来年には自分たちはここを走る側なのである。


 10周後、チェッカーが降られた。優勝は、ベロセット。2位にはノートン、3位にはAJSと、最も熱狂するクラスで地元勢が意地を見せた格好となった。

 勿論観客も大いに熱狂。それは、あのティフォシにも劣らない。因みにティフォシとは、イタリアの熱狂的なスポーツファンのことであるが、日本ではフェラーリを応援する熱狂的なF1ファンと認識されている。世界的にはモータースポーツもだが、今では寧ろサッカーファン全体を指すことが多い。


 翌日にはミドルクラスに位置するグループD(350㏄)、グループE(500㏄)が行われ、共に12周。それぞれ48台、40台がエントリー。優勝は、グループDがノートン、グループEがMVアグスタであった。

 ここまでに、GPレースだけで既に12人が命を落としていた。如何に危険且つ過酷なレースであるかがこの数字からも窺えよう。

 栄光の数だけ、悲しみがある。それがマン島TTであった。


 翌日、いよいよ自分たちが目標とすべきライバルたちの競演が始まる……

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