第41話 マン島TT その2

 サイドカークラスが表彰式を行っている最中、次のクラスであるグループAこと50㏄クラスがスタート目前。


 尚、50㏄は今回マン島のみに出場するのも含め63台がエントリーしていた。安価なのと多くのライダーにとって入門クラスとも言えるのでレースの戦績如何が売り上げを左右するのもあり、当然力を入れているメーカーも少なくない。


 翌年にはSSDと並んでホンダ、スズキ、メグロが参戦するのだが、ホンダとスズキは共に125、250のみならず50にも参戦を決めていることからこの時点で激戦が予想され、更に次の年にはヤマハもこの3クラスにエントリーしてくる。


 当然考えることは同じなので、50㏄は女子へのアピール度も高いこともあり、やがて3メーカーによるレッドオーシャンと化していくことに。


 そして、女子は体重が軽いのもあってか、タイムではしばしば男子を上回ることも。


 無論、50㏄も技術的進化とは無縁ではなく、日本メーカーの参戦によって進化のエスカレート振りには更に拍車が掛かることになる。結果、モアパワーの影響でパワーバンドが僅か300rpm程しかないと言われる超ピーキーエンジンと化し、その性能を活かすためにミッションは10段以上が当たり前という、入門用とは思えないシロモノへと変貌するのだが、それはライダーに超人的な操縦技術を要求することを意味した。


 実際、重量級クラスのライダーでも乗りこなせない者は少なくないようで、たかが50㏄という侮蔑の念は程なく特別な敬意へと取って代わり、そしてグループAに参戦するライダーは、グレート・ベビーと呼ばれることになる。


 そして、50㏄の魅力に憑りつかれ歴史に名を残したライダーも少なくない。


 これによりグループAは特有の面白さからサイドカーと並んで独自の地位を保ち、幾度ものレギュレーション変更を受けながら後々まで続くことになる。


 因みにSSDではモペットも製造販売する関係上、50㏄モデルも当然販売しており、クラブマン仕様も販売していてなかなかの戦績を収めているのだが、翔馬たちは相性が悪いようで、タメシに出場するも思ったように乗りこなせず国内トップクラスのグレート・ベビーに何度も惨敗を喫した。


 なので、50㏄にエントリーするライダーへの特別な敬意は誰もが共有していた。


 これは余談だが、SSDは元々大型車を主力に据えていた関係上、当初は他に50㏄とモペットしかなくてそれ以下の展開は弱く、後々経営の安定のために他の日本メーカーと同じくフルラインナップの道を歩むことになる。


 SSDの場合は所謂逆コースだったため、スーパーマシンのイメージが強かったことからそのイメージを共有したモデルが数多く投入されることになるのだが、それはまだ先のこと。


 例えるなら高級車メーカーが大衆車クラスにも進出していったようなものかもしれない。




 午前11時、競技委員長によってグリーンフラッグを兼ねたユニオンジャックが振り下ろされると、63台のマシンが一斉にスタート。レースはサイドカーと同じ6周で争われる。これは、50㏄は車重やパワーなどの制約から航続距離が短くならざるをえないのと、その特性上ライダーへの負担が大きいことを考慮してのことだった。


 50㏄と言えどもGP故にエントリーしているライダーの鼻息の荒さは誰もがスタート前から感じていたが、それだけにスタート程なくクリプス・コースに入るための右コーナーへの殺到振りもクラブマンの比ではない。


 案の定というか、弾かれるように3台が右コーナーに入り損ね、最後方からの再スタートを余儀なくされるも、早くも1台がストップしたエンジンが掛からなくなり、無念のリタイアとなってしまった。


 痩せこけた、飢えた狼の咆哮を思わせるサウンドがコース上に響き渡る。尚、トップは優勝候補と目されていた東ドイツのMZ。


 実は、MZはある技術的な秘密によって2ストレースで圧倒的優位を誇っていたのだが、4ストでも戦闘力は相変わらずで、その秘密の一つは左手にあるボタンなのだが、それは何と電動クラッチのスイッチだったのである。後のクイック・シフターの祖先と言えなくもない。


 尤も、シフトアップの時にしか使えなかったのだが、それでもこれだとクラッチが切れている時間が通常と比べ短く、チェンジが多くなりがちなテクニカル・コースで威力を発揮した。ある程度ライダーの疲労軽減にも貢献している。


 因みに2ストで圧倒的優位を保っていたその技術とは、排気脈動を利用することにより、平たく言えば構造上燃焼時に完全密閉できない2スト最大の欠点である吹き抜けを解消し、充填効率を高める目的で排気ガスにバルブの代わりをさせていたのだ。


 このために2スト仕様のMZの排気管は途中が風船のように膨らんでいるのが特徴だった。ヴァルター・カーデンが考案したこの技術は、後にあるライダーの亡命によって日本メーカー他西側にも広まることとなる。


 その原点は1938年(昭和13年)、ナチス・ドイツの技術者、リムバッハによる発明とされ、当時燃料不足の情勢下、石炭や下水汚泥なども燃料として活用せねばならなかったため、燃費改善を目的としていたのだが、高出力を発揮するという予期せぬ副産物が発見され、後に上述のヴァルター・カーデンによってコンセプトが再開発され改良を加えられて現在のMZの特に2ストでの無類の強さと栄光に繋がっていた。


 


 クリプス・コースではマウンテン・コースで最終セクションとなるA18を登っていく逆走となるため、勾配もなかなかにキツいこのセクションにて50㏄はまるで乾いた雑巾から絞り出した貴重な一滴の如くその少ないパワーを最大限に温存するかのように細かなアクセルワークと頻繁なシフトワークを駆使して上っていく。このため排気音がまるで悲鳴のように聞こえるのだった。


 また、コーナリングにしても抵抗となる体重移動は最小限度であり、事実上のリーン・ウィズである。このことからも明らかなように50㏄は想像以上に制約が大きく、超人的な操縦技術が要求されるが所以であり、ライダーがグレート・ベビーと呼ばれるが所以であった。


 


 そんな様子を懐かしむようにA18に陣取って観ていたのは、マライソム。


「ボクも始めの頃は、こんな感じだったなあ」


 戦後間もない頃、タイに一時帰国していた幼少のマライソムは、父から50㏄エンジンを搭載したバイクを与えられ、広い敷地内を思う存分走った。親戚の従兄妹にも同様に楽しんでいるのが多く、従兄妹と競走になるのは必然で、そうした恵まれた環境で自然と腕が磨かれていった。


 その後、50㏄では飽き足らなくなって気が付けば大型車に乗り、当時ヨーロッパのレースの延長線上にあった東南アジアのレースにもエントリーするようになり、現在に至る。


「このサンドイッチはなかなかだね、うん」


 スーザンが作ってくれたシンプルなハムサンドイッチを味わうマライソムだが、タイ人は意外にも洋食に馴染みのある人は少なく、これは現在もあまり変わらないらしい。無論、マライソムは英語やフランス語に堪能なだけでなく、西洋マナーも一通り身に着けており、社交界に出しても恥ずかしくないレベルの教養や立ち居振る舞いも習得している。


 実は、マライソムはトンデモな秘密を持っているのだが、それは後に語るとしよう。この秘密が来年以降、大いに役立つことに。




 6周後、チェッカーが降られた。下馬評通り東ドイツのMZが1-2フィニッシュ。尤も、優勝したのはチェコ人ライダーで、東ドイツのライダーは1秒差で惜しくも2位であった。3位にはイタリアのモンディアル。因みにモンディアルもロメックスやドゥカティと同様デスモドロミックバルブを採用しているなど高度な技術力と戦闘力の高さで知られる名門であり、マン島制覇は無論、軽量級にチャンピオンを多数輩出している。かのホンダがレース用マシン開発にあたって参考にしていることからも、その優秀さが伺えよう。




 既にこの時点でかなり熱い戦いぶりに、観客はヒートアップもいいところなのだが、これでさえマン島TTに於いてはオープニングに過ぎない。これからがまさに本番なのだ。


 50㏄クラスの表彰式の最中、コース上には今年250㏄クラスであるグループCと最多タイの70台もの125㏄クラスことグループBがスタンバイに入っていた……

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