第40話 マン島TT その1
その後、750㏄、1000㏄クラスも終わり、クラブマンレースは全て終了した。この時点で国別メーカーの勝利数は、西ドイツ1(サイドカー)、東ドイツ2(50・125)、イギリス2(350・500)、イタリア3(250・750・1000)という内訳であった。
尚、当時ドイツは第二次大戦の敗戦により西と東に分割されていた。再統一は1989年(平成元年)のことである。それと、意外かもしれないが、ソ連率いる東側陣営は二輪メーカーが積極的に西側のレースに参戦していた他、東ドイツ及びチェコ・スロバキアでもGPレースが開催されていたし、更に一時期ソ連のメーカーも参戦していたのだ。
因みにチェコ・スロバキアは1993年1月に分離独立している。また、チェコの工業及び技術水準は我々が想像する以上に高く、最近では世界に名を馳せるだけの水準を持ったメーカーも出始めている。
チェコは隠れ先進国でもあるのだ。
余談だが、東西冷戦終了後、ホイールなど自動車部品でも欧州の名立たるメーカーがチェコを始め東欧で鍛造品を製造していることは知る人ぞ知る話で、兵器など軍需品は鍛造品が多いため、鍛造技術は西側とも遜色ないらしく、そのノウハウと人件費の安さを活かしている。
クラブマンレースが終わると、いよいよマン島の熱狂はクライマックスを迎える。そう、GPレースの開催となるのだ。
当時、いや、今尚GPレーサーはモータースポーツファンにとって、雲の上以上の存在と言っても過言ではない。
スタート地点にはスカウトの子供が出場者の国旗を持って並び、マーチングバンドやバグパイプの演奏が大会を盛り上げるのに一役買う。
次々とピットレーンに姿を現すマシン。最初のレースは無論サイドカーとグループA(50㏄)及びグループB(125㏄)である。レースに参戦するマシンはどれも神々しいほどのオーラを放ち、更に参戦するレーサーは誰もが近寄りがたい。
因みにGPレースではサイドカーの排気量は750㏄となるため、高性能になる分更に難易度が上昇する。あと、この世界ではWMGPは全て4ストのみであり、2ストはまた別の形でレースが行われていた。しかし、高性能化するにつれ扱いずらくなり、結果トップライダーまでもがケガを負うケースが増え、更に環境問題への世間の関心の高まりによって排ガス対策の困難な2ストはレースの舞台から追い遣られることに。
無論こちらでも日本のメーカーが猛威を奮っていたのだが、結局90年代後半に衰退し、2ストエンジンはモトクロスやトライアル、カート、ボートレース(競艇)などに限られてしまった。
また、発電機や芝刈機などにまだ残っているが、やがては駆逐されていく運命であり、そして、世界的には失われた技術となるのはほぼ確実で、ポケバイやエンジンラジコン、ボートレースなどで生きた化石、或いは産業遺産、技術遺産として細々と生き残る程度になるだろう。
それはさておき、サイドカーは早くも9時スタートのため、ピットでの雰囲気も忙しなくなる。尚、今回もサイドカーの優勝候補の筆頭はBMWエンジンを搭載したマシンである。イギリス勢はここ5年ほど優勝から遠ざかっていた。ノートン及びトライアンフはBMWを迎え撃つ形だ。エントリーの約半分がBMWエンジンを搭載している。
マシンはどれも本格的であり、クラブマンと比べずっと洗練されていた。
スタート地点に並ぶのは24台。史実と異なり10秒おきに二台ずつ発進するトライアル方式ではなく一斉にスタートするマス・スタート方式である。
当時のニーラーことレーシングサイドカーは、特にパッセンジャーは直線ではほぼ伏せた状態であり、体感速度は恐らく今の比ではなかっただろう。
緊張感もクラブマンの比ではなく、少し離れた場所で観戦していてもビール片手に……なんて気にはなれなかった。少なくとも来年出る側にとっては。
尚、スーザンは各所に散るメンバーのためにサンドイッチやスコーンを弁当の代わりに提供していた。そう、マン島はレース場として見るなら桁違いに広く、更にレース時間中は道路やその他交通機関も封鎖されるため、そう簡単に行き来できない。弁当はそのための措置であった。尤も、向こうでは弁当というよりランチボックスといった方がいいかもしれないが。
尚、食事にあまり頓着しないと言われるイギリス人のことなので、サンドイッチはパンにハムのみと質素なもの。だが、昔からスウィーツは別格で、ジャムやクロテッドクリームをはさんだスコーンの他、ウォーカーのクッキーが添えられていた。
そして午前9時。クラブマンとは一味違う轟音を響かせながらサイドカー24台が一斉にスタート。レースは6周で争われる。
クリプス・コースを使用するためスタートしてすぐさま右に入らなければならない関係上、あっという間に団子状になり、早くも最外の一台が弾かれるように前のめりに転倒してしまった。
GPレースともなるとレーサー同士の位置取りや駆け引きも激しさを増し、更にえげつなさもハンパない。
マーシャルを務めるボランティアが転倒したサイドカーを起こす。思った以上に損傷がひどく、結局はリタイアとなった。尤も、二人がピンピンしている様子なのが救いではあったが、すぐさま医療ブースへ直行。
「浅間でもここまでえげつないことはさすがになかったわね」
クラブマンに続き、スタート地点近くが半ば指定席となっている佳奈は、顔面蒼白状態で独白する。これが世界の激しさなのかと思わずにはいられない。
6周した後、チェッカーを受けたのは何とトライアンフ。サイドカーに於ける実に5年振りのイギリス製マシンによるマン島での勝利であった。今年は意外にも有力チームやトップレーサーの脱落も多く、ましてやスタート間もなく弾き出されたのもBMWであり、それは今思えばBMWにとって不吉な前兆だったのかもしれない。
地元勢の勝利に観客は大いに沸き立つ。やはりいつの時代も地元勢の勝利は格別なのだ。尤も、乗っていたのはイタリア系スイス人ペアだったが。
次のレースの準備が始まる中、グランドスタンドでは表彰式が。サイドカーはその重い車体をハンドルというよりアクセルワークでコーナリングするため体力の消耗が激しく、ドライバー、パッセンジャー共に表彰台で笑顔の中に疲労困憊した表情を見せていた。トロフィーであるスピードの女神にキスをするのもお約束。
でもって、地元勢の勝利に幸先良いなと上機嫌でグランドスタンド裏の特設パブに向かう者も少なくなかった。こうしてしばしレース談義に華を咲かせるのである。
イギリスでは、やはりパブでビールを一杯引っ掛けるのが、お約束……
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