第39話 前座 その3

 ここで、マン島TT開催までの歴史と経緯をざっと説明しておこう。 


 


 マン島は、世界で最も過酷なレースと言われるだけに、一方で世界で最も多くの命を奪っているレースと言われることもある。レースはすべからく死と隣り合わせだが、マン島程それが否応なしに当てはまるレースもない。


 当時、世界で最も権威あるレースであり、その栄光の裏側で多くのレーサーが命を落とていった。また、前夜祭とも言えるマッド・ジューンでも観光客による死亡事故が後を絶たない。


 世界一過酷なレースの舞台となるマン島は、イギリス領でありながら独自の自治権を持ち、更に議会もある。つまりはイギリスの当時の公道20マイル制限を守る必要もなく、規定の例外だったからこそ公道レースの開催が可能だった。


 自動車の黎明期、欧州では各国で一般道を閉鎖してレースが行われていたのだが、イギリスでは交通規制が非常に厳しかった時代であり、悪名高い赤旗法が廃止されたばかりとはいえ、レース開催には多くの行政関係者が難色を示し、首を縦に振らなかった。


 尚、皮肉にもこの厳しい交通規制こそが後に公道がダメなら人工のレース場を造ろうじゃないかという動きへと繋がり、後に世界初のパーマネントサーキットとなるブルックランズ誕生の原動力となるのだから世の中は分からない。そして、レースはパーマネントサーキットでの開催が主流となるのだ。


 


 因みに赤旗法は安全を名目にしていたが、実際には馬車業者の権益保護が目的であり、1865年の機関車法に始まったのだが、その後ロールス・ロイスの共同創立者の一人であり貴族のチャールズ・スチュワート・ロールスなどの熱心な働きかけによって1896年に廃止されることになる。


 この赤旗法はイギリスにとっては致命的な法律で、この法律のために結果として世界で初めて産業革命を起こし、世界の最先端を歩んでいたイギリスは当時発展著しかった欧州各国、特にフランスやドイツに交通面の発展で大きく後れを取ることになった。




 こうした背景が重なった結果、イギリス政府の息の掛かっていないマン島が開催場所に選ばれたのだが、元々は1905年のゴードン・ベネット・カップに出場するレーサーを選抜するトライアルとして始まった。なので当初は自動車レースのみであった。というのも、当時の二輪では性能的に山岳セクションの走破が困難だったため。また、マウンテン・コースと基本的にレイアウトはほぼ同じだが、コースの回り方が現在とは逆になっている。


 尚、このマン島TTには黎明期のロールス・ロイスも出走しており、ロールス・ロイスの歴史を見ると何でマン島に出走しているのかと首を傾げる人もいるかと思われるが、こうした経緯のためである。


 余談ながら、ゴードン・ベネット・カップは1900年から1905年までの短期間の開催であったが、国別対抗レースであると同時にナショナルカラーが制定されるなど、後世のモータースポーツに与えた影響は小さくない。


 その後、同年に(史実では1906年)オーストリアでこれに対抗するかの如く国際モーターサイクルカップが開催されたのだが、不正行為や策略が横行したことなどから主催者間での話し合いの結果、翌年のレースは開催地をマン島とすること、そして公道用モーターサイクルを使うことなどが定められたのが二輪レースとしてのマン島TTの始まりである。




 そして、過酷極まるレースは様々なドラマと同時に数多くの代償を支払うことにもなった。それでも当時マン島制覇を夢見る者が後を絶たなかったのは、世界最古クラスのレースであるという権威性故と言えよう。


 或いは幾多の死の恐怖と過酷な試練を乗り越えた先に掴む栄光だからこそ、参戦する者は魅了されるのかもしれない。


 そんなマン島の賞金は安い。だが、勝利によって得られる名声はそれを上回る物があり、ある意味では富よりも名声と名誉が何よりも重視されていた古き良き時代の名残を伝える最後のレースでもあった。

 当時、レースでの成績が売り上げに直結する二輪業界でも、マン島制覇を謳い文句にするケースは少なくなく、実際、世界的なブランドへと成長したメーカーの多くがマン島制覇を経験している。


 それに配慮してか、WMGPもマン島は走行距離が通常の倍以上に上るのもあり、ポイントが通常の倍、更に完走の難しさから入賞は12位まで、更にポールポジションから予選3位まで1ポイント、ファステストラップもベスト3まで1ポイントを認めるという大盤振る舞いであり、マン島制覇がWMGPに於けるチャンピオン争いを大きく左右する仕組みになっていた。


 実際、戦後からの開催に限っても、全クラスでこれまでマン島を制していながらチャンピオンを逃したのは僅か2人だけである。


 人間、その行動原理は必ずしもカネばかりではない。でなければ1976年を最後にWMGPの開催スケジュールから消えた後も尚開催され続けている理由が見いだせない。マシンの急速な性能向上に伴い公道レースの危険性が以前よりも高まったことを背景に、ミレミリアは1957年、タルガ・フローリオも1973年を最後にスポーツカー選手権から外れ事実上の幕を下ろした中でも尚、マン島TTは開催され続けているのだ。




 さて、開催初日だけで4クラス合わせ既に4人と一組が命を落とし、9人が重軽傷を負って病院に担ぎ込まれていた。その内一人は将来子供を産めなくなる可能性もあるという。また、マッド・ジューンの間にも2人が亡くなり、3人が病院へ担ぎ込まれた。いずれも海外から馳せ参じた観光客であった。


 そんな中で、紗智子は一人禅を組むかのように黙想していた。また、中には主に祈るかのように瞑想している外国人ライダーもいる。


 当然のことながら死亡事故はレーサーにとって他人事ではない。


 SSDのメンバーにも情報は伝わっており、だからこそ紗智子の心境を慮ってそっとしているのだ。




 レース2時間前、競技委員が封印を解除し、各チームへとマシンを引き渡す。クラブマン500㏄クラスは午後2時スタート予定である。因みにメグロのマシンはカウルで被い、更に何処にいても把握しやすいようにライムグリーンで塗られていた。少なくとも性能はともかく外観上の出来や工作制度では他のマシンを圧倒しており、メグロがプライベーターの名を借りて出場していることは、日本人の目から見れば明らかだった。


「ライムグリーンとは恐れ入ったわ」


「サッコーってば、コーディネートした装束も目立ってるし」


 マシンを見て驚きを隠せないでいるのは久恵夫人と翔馬。SSDの赤もかなり目立つ方なのだが、当時マシンは黒や銀、他には暗色系が多く、当然のことながらライムグリーンはその中にあって一際目立つ。


 加えてクラブマンでは当時主流だった黒ツナギの中、ライムグリーンのツナギは彼女ただ一人。目立つなんてものではなかった。無論このツナギを製作したのはカジタニである。ヘルメットはフルフェイスだがアメリカのベル製だった。


 ライムグリーンはその後メグロワークスカラーとして定着することとなる。


 その目立つカラーリングは観光客からも注目度は高かったようで、メグロのマシンを指差す人が後を絶たない。しかし、日本製マシンと分かるとジャップと嘲笑する声も聞こえた。


 


 やがて、レース開始が近づくとコース上には競技委員長とレーサーだけになる。


 スタート地点より少し離れた場所にある大時計の針が午後2時を指した瞬間、競技委員長がユニオンジャックを振り下ろし、爆音と共にマシンは一斉にスタート。レースは7周。総勢35台がスタート間もなくすぐに訪れる右の直角カーブへと殺到する。尚、紗智子は予選16位。右カーブですっかり囲まれているのが見えた。


 その際、2台がブレーキトラブルなのか、はたまた操縦ミスなのか、絡み合うようにコーナーへ入らず直進してバリケードにぶつかる。牧草や麻袋で急造したとはいえ、ある程度の緩衝効果があったのと、スタート間もなくコーナーへ向かう関係上そんなにスピードが出ていなかったのも幸いしてか、二人は奇跡的に軽傷で済んだ。


 


 クリプス・コースの特徴を簡単に言えば、鋭いコーナーが非常に多いことであった。逆を言えば大幅な減速を強いられる場所が多いためにその分オーバーテイクポイントも多いということなのだが、前半のA18は上っていくために見通しの利かない場所もあり、実際のオーバーテイクポイントは限られてくる。それでも四輪よりはずっと多い。




 迫力あるレースシーンとは裏腹に、中団に囲まれている紗智子は苦戦していた。


「思った以上にキツいコースだわ。これまでリハーサルしてきたのとはだいぶ違う」


 紗智子も翔馬たちと同様予選前から現地入りして何度もコースを走り下見を繰り返した。その時の感想は、随分走りやすいと思った。元々ダートや未舗装路でのレースを国内で経験し、マシンコントロールには自信もあった。


 だが、いざ本番となるとまるで感覚が違う。紗智子は今、ロードレース故の難しさを否応なしに思い知らされていたのだ。その上……


「上り坂でエンジン回転が上がらない。どういうことなのよ」


 そもそもが実用車の域を出ていない仕様をベースにしているのである。国内ではそこまでスピードが出る場所など殆どなかったせいか、連続高回転での使用など考えてもなかった。加えて練習走行では問題ないレベルだったことも裏目に出た。予選の時はそこまで表面化してなかったのだが、マン島は甘くなかった。


 加えてサスペンションも問題で、親会社であるカワサキがメグロの他陸王ブランドを傘下に擁していたのもあり、陸王で採用されていたオレオ式フォークを採用していたのだが、バイクのエアサスと言えるシロモノはレースには向いてなかった。


 本来は航空機用サスペンションであり、乗心地の良さなどから戦後も二輪や三輪に広く採用されていた。しかし、乗心地とハンドリングはまた別物で、フレームの剛性不足も祟り、高速走行時のコーナリングの不安定さにも悩まされることに。


 尤も、これでもホンダが来週男子の部で出走させるマシンのボトムリンクよりはまだマシだったのだが。




 その上、経験したことのない激しい争いも紗智子を翻弄する。


「一体何なのこれ。何処から攻めていいか分からないじゃない」


 それも無理からぬことで、クラブマンとはいえ国内トップクラスのレーサーがゴロゴロいる。そう、自分と同レベルか、或いは上回るレーサーが大勢いる中でのレースも、彼女にとっては初めてだった。


 更に、操縦ミスやマシントラブルなどで周囲には脱落が相次ぎ、それを避けながらレースをしていかねばならない。


 尤も、アドレナリンが異常に出ているせいなのか、紗智子は不思議と恐怖は感じていなかったし、当人も今思い出しても意外な程冷静だったと後に語っている。




 終盤、ダンロップから供給されたタイヤもヘタれ始め、更にコントロールしずらくなる。それでも紗智子は粘りに粘った。何とか完走せねばと。




 7周後、チェッカーが降られた。優勝はイギリスのノートン。前の350㏄ではBSAが優勝したので、それまでの50、125、250は事実上イタリア勢や東ドイツ勢の独占だったのもあり、地元開催の面目も保たれた。




 ヨレヨレになりながら紗智子は無事帰還した。更に、紗智子は緊張の糸が切れたせいなのか、失神寸前。マシンから降りてふらつくのを周囲に支えてもらわねばならなかった。


「ああ……よかった。無事帰ってきたのね」


 ここに来て、SSDの一行もやっと紗智子に声を掛け、安堵とともに涙が溢れる。無理もない。350㏄では奇跡的に死人はいなかったが、500㏄でまた一人亡くなったのである。


 結果は35台中9位。完走は11台というサバイバル・レースとなった。更に入賞したことでポイントもゲットし、安いけどスターティングマネーの他、ポイントマネーも得た。そう、ポールポジションやファステストラップで賞金は出ないが(後にささやかながら出るようになった)、完走して入賞すれば賞金が得られるのだ。


 当時は超円安だったのもあり、これでも貴重な外貨にもなった。




 でもって、帰還した紗智子は一言、


「み、水、水をくれ……」


 ヘルメットを脱いだ紗智子は、息も絶え絶えの状態。大急ぎでメカニックが持ってきた三ツ矢サイダーを一気に飲み干す。その様子からもクラブマンでさえどれだけ過酷なレースであるかが伺えた。


 加えて、マシンもヨレヨレになっており、サスペンションやフレームは一部曲がっており、後に調べたところ、もう一周続いていたらエンジンブロ―になる寸前になる程焼き付いており、紗智子は紙一重で生還したと言えなくもない。


 しかし、完走を果たしたことで貴重なデータを手に入れたことも事実だった。


 


 その様子に一瞬不安を覚える一行だったが、しかし不安とは裏腹に奥底では燃え滾るものを感じていた。寧ろ闘志に火が点いたというべきか。来年、GPレースに出る自分たちも負けていられないと。




 尚、こういう時は同志ということで、メグロは後に国内メーカーに対して得られたデータを惜しげもなく公開した。というのも、これは公開せねば安全に関わるとの判断からである。


 それを受け、来年SSDと並び本格的に出場することを決めているホンダでは開発中のマシンのフロトサスをボトムリンクから急遽テレスコピック方式に変更し、SSDでは当時ダブルクレードルフレームのメグロでさえまだ剛性不足なのかと再びフレームについて大幅な見直しを余儀なくされることになったと同時に、並行して開発中だった新型フレームの採用を決めた。




 紗智子はこの時の健闘が認められ、メグロのワークスライダーとして後にミドルクラスで名を馳せることとなるのだが、このレースは彼女の偉大なる歴史の第一歩となった……

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