第44話 フラメンコ・ダンサー
午後、マン島TTのクライマックスとも言える女子グループXが始まろうとしていた。グリッド上には既に出走するマシン27台が待機していた。フロント3列を独占するのは、イタリアのロメックス。シルバーに輝くシルエットは、意外にも遠目にも目立つ。実は、レクサスの銀影ラスターに近い色合いで、カウルは消耗品にも関わらずロメックスの職人が凝りに凝ったシロモノであり、何としてもアルクラッド特有の色合いを出したく様々な工法を試し、この色合いを実現するのに一年余を費やしたという。
イタリアのナショナルカラーは赤であり、他のイタリアのメーカーは基本的に赤をベースとしている中、異彩を放つこの銀色は、まるで航空機を思わせる。そう、ロメックスには敗戦で翼を奪われた航空技術者が数多く再就職しており、ロメックスのマシンを航空機に見立てていた。そこへパルマラットとマルティニが合併した際新たなスポンサーカラーとして銀に青と赤のラインというシンプルな配色を選んだのは全くの偶然であったが、航空機を思わせるイメージはスポンサー側も気に入っていた。
因みに合併してパルマティニとなった後もパルマラット、マルティニはそれぞれ乳製品及び食品、アルコール飲料のブランドネームとして存続していたのだが、これは消費者に無用の混乱を与えないための措置であった。
アルクラッドを思わせる銀色に、最速のマシンとなるよう航空機のイメージを被せた想いはやがて現実のものとなる。
ビュガティと同じくグループXとグループSを主戦場としており、今年はグループXへの注目度が取り分け高かった。
それもそうで、グループXの新たなエースとなったビアンカ・ロッシに耳目が注がれていたのである。
ここまで5戦3勝2位2回と文句のつけようのない戦績でマン島を迎えたビアンカは優勝候補の筆頭であり、予選が行われたシルバーストーンでもポールタイムは同じロメックスに乗る2位のチームメイトに1秒以上の差をつけていたことなどから、悲願のマン島初制覇は確実視されていた。
尚、ロメックスのシルバーへ青と赤、そして黒の配色は、元々高級腕時計メーカーを母体にしているのもあり、代表的モデルの配色とも偶然にも一致したことから走る精密時計の異名もあり、カウルの下に息づくエンジンはデスモドロミック機構の採用も相俟って、まさに精密機械だった。
通常、バルブの開閉にはコイルスプリングを用いるのでカムが通過すれば反力で閉じるため、開くタイミングのみ調整すれば良いのだが、デスモドロミックは開くのみならず閉じるのもカムで行うため閉じるタイミングの調整も必要で、整備に手間の掛かるエンジンであった。更にロメックスのエンジンは、参戦しているXもSも6気筒であるため複雑さも増す。フェラーリの12気筒並と言えよう。
だが、ロメックスのメカニックは寧ろ手間の掛かるエンジンを弄れることを誇りにしていたという。
因みにデスモドロミック最大の問題点は閉じたバルブを密着させることで、このためにロメックスやドゥカティなどは密着用に弱めのトーションスプリングを用いることで解決しているのだが、この強度の調整が難しく、苦労の末に漸く適正な値を見つけ出し、そのスプリングを作れたからこそ実現したのだった。
他にも、マシンがレースを走るには他にも様々なサプライヤー=スポンサーの協力が不可欠であり、ロメックスを彩るスポンサーはパルマティニの他、燃料はアジップ、電装品はマレリ、ホイールはマルケジーニ、タイヤはピレリというオールイタリアンであった。
因みにビュガティは燃料はエルフ、タイヤはミシュラン、電装品はソレックス、ホイールはコリマのオールフレンチであり、グループS及びXは頂点と見做されているせいもあってか互いの政府にも応援する者が少なくないことも相俟ってイタリアVSフランスの様相を呈していた。
ホイールは、他のクラスではまだワイヤータイプが依然として主流を占めていた中、既に大半がダイキャストタイプを装着していた。グループS以上ではそのハイパワー故に、ワイヤーホイールでは限界が見えていたのである。
ワイヤーホイールの方が軽量であり、更にワイヤーが伸び縮みすることでサスペンションの役目も兼ねているのだが、当然のことながら強度は弱く、重量やフレームなどへの負担で不利なのを承知の上での採用だったが、それは同時にフレームやサスペンションの更なる進化を促すことにも繋がった。
ビュガティは当時の技術水準では恐ろしく手間の掛かるシロモノだったが角断面のアルミ合金製ツインスパーフレームを生み出し、ロメックスではトレリスフレームにモノショックのリアサスペンションを採用しており、いずれも時代の先を行っていた。
これは余談だが、ヨーロッパ、特にイタリアとフランスの自動車部品メーカーは、自転車にも力を入れていることが多く、コリマは寧ろ自転車部品のブランドとして名を聞いたことのある人が多いだろう。自転車愛好家にとってはなじみ深いブランドである。
当時のバイクの急速な進化で得られた技術データは、勿論自転車にも反映されていく。何しろビュガティもロメックスも、バイクのみならず自転車も開発生産販売していたのだ。
更に余談ながら、当時からWMGPライダーには自転車愛好家も多く、トレーニングと趣味を兼ねていることも珍しくなかった。
とあるライダー曰く、自転車で走る爽快感は、バイクとはまた違った楽しさと開放感があるという。他にも、コゼットはツール・ド・フランスのファンでもあると同時に実家はスポンサーも務めており、主に食事や水分補給の提供で選手をサポートしている他、60年代に入りルール改訂に伴いトレードチームが解禁になるとすぐさま自身の企業名を冠したチームを参加させている。
話を戻して、今年トライアンフの不振もあってか重量級クラスにはイギリス勢が殆ど目立っておらず、マン島に於ける観光客で未だ大半を占めるイギリス人からすれば面白くない筈なのだが、それでも盛り上がりを見せるのはロメックスやビュガティと契約しているイギリス人ライダーもいるからであった。
尤も、イギリスのメーカーは、どちらかというとミドルクラスを主戦場としているのでこの点は仕方ないのだが。
やがて、スタート時刻が近づき、コース上には競技委員長とライダー以外ピットやコース脇に退去。そして、ここでビアンカはマシンの傍に近づく前、特徴的な儀式を行う。ビアンカは敬虔なカトリック教徒でもあり、バイザーを閉じ、マシンから約1mくらい離れたところで一旦十字を切ってからメカニックによりマシンを与る。
敬虔なカトリックだけあり、幼少期からナポリ大聖堂に足を運び、世界中を転戦する多忙な身となった今でも最低年一度は大聖堂に姿を見せる程。
十字を切るアスリートはそれなりにいるものだが、ビアンカの場合は事情が異なり、確かに敬虔な反面駆け出しの頃はなかなか結果が出なかったこともあり、その際思いもよらずマシンの近くで神に縋る思いで十字を切った際に見事初勝利を挙げ、以降彼女は一気に強くなった。このため、自身がトップクラスに上り詰めたのは主のお陰だと信じている。当人は自己主張の激しい傾向にある欧米人にあって、謙虚で穏やかなことでも知られるが、案外こういう所に原点があるのかもしれない。また、そうした一面に惹かれるファンも多い。
また、普段から物静かで知的な印象のある彼女に、ある種の神秘性をも付与していた。
同時にビアンカは主に祈ることでレーサーモードへと移行するため、言わばスイッチを切り替えるためにも欠かせない儀式だった。
スタート1分前となり、出場するライダーは身構える。そして、今年のマッドジューン最後のスタートフラッグとなるユニオンジャックが振り下ろされた。グループXのスタートである。
27台のマシンが1000㏄ならではの太い轟音を発しながら一団となってブレイヒルへと下っていく。さすがに迫力が違う。
トップは勿論ビアンカ。コゼット同様、ブレイヒルを筆頭に1コーナー毎にライバルを引き離していくが、コーナリングの際の動きがコゼットとは大きく異なっていた。
マシンを激しく振り回すように高速スライドさせながらコントロールし、コーナーを立ち上がっていく様は圧巻で、静のコゼットに対し、動のビアンカと言われているのはダテではなかった。
その激しい動き故、中にはかなりムダな動きをしているのではないか?と考える人もいるものの、平然とポールを獲り、更にトップを走っていることからしてムダな動きは本質的にしていないのは明らかと言えよう。
同時に、ビアンカの激しい走りはエモーショナルと言うべきか、コゼットの優美な走りとはまた違った意味で多くの観客の心を揺り動かすものがあった。
情熱的と言うべきか、知的で物静かな印象とは裏腹の、内面に隠された情熱を走りにぶつけているかのようにも見える。その様は、コゼットがプリンシパルなら、ビアンカは銀のドレスを身に纏ったフラメンコ・ダンサーと言えるかもしれない。
そう、まさに一歩踏み外せば即座に命を落とす、死と隣り合わせのフラメンコ。
そして、蛍光イエローに太陽と月をモチーフにしたアシンメトリーなカラーリングのヘルメットが銀のシルエットに映え、激しいライディングと相俟って、所謂画になるライダーでもあった。
尚、太陽と月は当人の二面性を表しているらしく、普段の穏やかな人柄と激しい走りはまさにその通りと言える。
余談だが、プロデビュー前、ビアンカは自身の二面性を表現するにあたり天使と悪魔、もしくはジキルとハイドをモチーフにしようかと考えていたのだが、知り合いの神父に相談したところすぐさま却下となり、それなら太陽と月にしてはどうかというのがヒントになったという。
また、その勇猛果敢で激しい走りは、ビアンカを娘のように可愛がっていたエンツォ・フェラーリが嘗て自身が理想のレーサーと絶賛したタツィオ・ヌヴォラーリの再来だと賞賛を贈る程であり、幼少期には既に晩年に差し掛かっていたヌヴォラーリからも可愛がられていた。
共に子供を亡くした身でもあり、だからこそ、その寂しさを埋めるようにビアンカを可愛がっていたのだろう。ましてやエンツォは前年、愛息のディーノを筋ジストロフィーにより24歳の若さで亡くしたばかりだった。
ビアンカのマシンのみに入っている跳ね馬は、エンツォからの寵愛と賞賛の証であり、またヘルメットの蛍光イエローは、実はヌヴォラーリがレースの際に身に着けていた黄色のシャツに由来しており、更にツナギの下には特別に金色の亀をプリントした黄色のTシャツを着てレースに臨んでいた。
この金色の亀は詩人のガブリエーレ・ダンヌンツィオからヌヴォラーリに贈られた金の亀のブローチに由来している。
あと、ヌヴォラーリと黄色は切っても切れないものがあり、彼のマシンはアルファロメオやスクーデリア・フェラーリ時代、ボンネットだけを黄色に塗っていた。
また、ヌヴォラーリは二輪からレースキャリアをスタートさせており、事情を知っている人の中にはビアンカを二輪のヌヴォラーリと呼ぶ人もいたが、ヌヴォラーリのキャリアとも一部共通点があることを考えれば的外れとは言えない。
ビアンカは、ある意味伝説の二人を守護神にして走っていると言えなくもなかった。その寵愛振りは、程なくロメックスがフィアット・コンツェルンの傘下に入ることになるのだが、当初からスポンサー名にフェラーリと銘打っており、フィアットもそれを敢えて黙認していた。
その後、フェラーリもフィアットの傘下に入ることになるのだが、フィアットではなくフェラーリと入れられたことからも窺えよう。
ロメックスは二輪のフェラーリとも言われるが、いくつかある理由の一つでもあった。
そして、その激しい走りは、決してアクロバティックなものではなく、あくまで精確性と確実性に基いており、それ故クラッシュや転倒は数えるほどしかなく、転倒も年に一度あるかどうかだったという。その意味ではパーフェクトレーサーと言えるかもしれない。
来年、グループXに挑む翔馬、雪代、エイミーは、まさに当代最強のレーサーを相手にしなければならないのだ。その上、マシンは当時無敵を誇ったロメックスである。
この鉄壁のコンビネーションに、少なくとも現時点で死角はないように思えた。
そんな様子を、マウンテン・コースの主なビューポイントに散って観ていたのは翔馬、雪代、エイミーの三人。
クロンキー・ボディストレートからカーマイケルまでのコーナリングに圧倒されているのは翔馬。
「うひゃあ~、ビアンカって、こんな激しい走りをするの?そりゃファンも多い筈だわ」
意外にも、その走りに圧倒されてはいたがびびってはいないようで。内心このビアンカに絶対勝ってやると思っているに違いない。
雪代はカークマイケルを抜けた先にあるバラフブリッジで観ていた。ある意味マン島を象徴するセクションの一つで、ライダーの多くはここをトップスピードでジャンピングしながらサルビーストレートへ駆け抜けていく。比較的難易度の低いセクションとはいえ、ビアンカの見事なコントロールは健在。
「あんなスピードでジャンプしながら淀みなく走り抜けていくなんて、まるで銀の稲妻じゃねえか」
雪代も京都時代、何度も死と隣り合わせのスリルに身を委ねたものだが、次元が違い過ぎた。
グレッグニーバーからガバナーズブリッジに掛けてその様子を観戦していたのは、エイミー。マウンテン・コースに於ける最後の難所であり、長い下り坂で繊細なブレーキコントロールが要求されるのだが、マシンにとってもハードな場所の一つであり、ライダーによる操縦ミスの他、マシントラブルでブレーキが利かずにコーナーを曲がり切れず激突するケースも少なくなかったが、ビアンカはまるでマシンを意のままに従わせるかのように激しく、且つスムーズにクリアしていく。
「さすがはビアンカ。相変わらず手強いわね」
実はエイミーも東南アジアのレースでビアンカと何度か相まみえたことがあるのだが、マシンの性能差もあったとはいえ歯が立たなかった記憶しかない。尤も、同年代に比べ発育が進んでいたとはいえ、まだ幼い身だったエイミーには荷が重い相手だったのだが。
やがて、グループSと同じ5周、303.5キロにも及んだ長い公演は、下馬評通りビアンカがチェッカーを受けたことでフラメンコ・ショーも終演となった。更に2位と3位もロメックスで、今年はロメックスがグループXの表彰台を独占した。
ビアンカはその後も順調に勝利とポイントを積み重ね、最終的に7勝2位6回と文句のない戦績で57年度グループX女子チャンピオンとなる。当人にとっては勿論初のタイトル獲得であると同時に、当時まだ19歳で史上最年少のグループXチャンピオンでもある。尚、この記録は21世紀に入っても破られておらず、しばしばビアンカ・ロッシを傑出したレーサーとして引き合いに出す際に使われることになる。
その後男子部門も終わって全てのプログラムが終了し、後夜祭でマッド・ジューンの盛り上がりは最高潮となる。誰もが盛り上がっている中、一人冷静にその様子を見つめていたのは誰であろう、久恵夫人であった。
「世界のレベルは想像を絶していたわね。でも、これで肚は決まったわ……」
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