飛翔編

第25話 あれから50年 伝説の回想 前編

 平成22年(2010年)。とある出版社のデスク。


 


 窓を見ると既に漆黒に蔽われており、既に多くの人が帰宅時間であることを物語っている。しかし、内部には依然として結構な数の人がまだ仕事に追われており、出版社の典型的な光景であった。


 


 その出版社は地方にあり中堅クラスのようだったが、活気に満ちていた。主に女性向けの雑誌を刊行し、様々なジャンルから斬新な切り口で新たなライフスタイルを提供することで知られていたのだが、その中の編集部の一つで、サングラスを掛けた編集長らしき女性がシガリロと呼ぶ細い葉巻を薫らせながら、窓を見て遠い目をする。彼女は独身だった。理由は、子供を産めない身体だから。


 それが判明したのは、婚約間近の24歳の時であった。だが、それによって婚約破棄となってしまうという不幸な過去を持っていた。


 


 このため、編集長はしばしば部下の社員に対して、『私は既に女であることを捨てている』と言っていたという。だが、その一方で女性の心を掴んだ企画を数多く提案もしており、多くの女性には自分のようになって欲しくはないと考えているフシもあり、女性に女性らしさを捨ててほしくないと、敢えて自身はそのように振舞うことで反面教師になっているという説も社内にはあったようだ。


 


 彼女の名は、竹原紗矢 (たけはら さや)。


 緩やかなウェーブの掛かったショートの髪は既に白髪、五十路も間近だった。東京の大学を卒業後、地方に戻りこの出版社に入って25年のベテランであり、一説には社長よりも偉い人などと言われることもある。


 


 出版社内で様々な編集部を転々とし、現在は『RideLife』を担当していた。ここの編集長になって10年、二度目の編集長就任でもあり、通算して14年で実質社歴の半分以上を占めていた。


 


 RideLifeは女性向けバイク雑誌という位置付で、バイクを中心とした女性ならではのライフスタイルを提案するファッション誌としての性格も持っており、そしてこの出版社で最古の歴史を誇っている。


 ある意味出版社にとっては看板誌でもあり、その編集長となっている彼女のプレッシャーは相当な筈だ。


 


 しかも、次の号は創刊50周年記念号なのである。そして、次の企画が浮かんだのと、社員が戻って来てドアを開ける音がシンクロした。


「編集長、取材から戻ってまいりました」


 そう答えるのは豊平優真 (とよひら ゆま)。マッシュルームボブの黒髪が知的な印象を与える。地方の大学を卒業後、この出版社に入社して3年目の25歳。若手では注目株といったところか。


 


 そんな彼女に、紗矢は帰社早々次の企画を告げた。窓を向いたまま事務的な口調で話す。


「取材御苦労様。それより、貴女も次は創刊50周年記念号となることは知ってるよね」


「はい」


 優真は、編集長がこう言う時、またハードな取材となることを心得ていた。そして女の勘で、記念号ということもあり、それも尋常ではない内容にするつもりだと編集長もいつにも増して気合が入っているであろうことも察知していた。元より覚悟の上で入社した身であり、そして編集長とは盟友でもあった。


 優真が聞く態勢になったのを確認して、紗矢は穏やかに告げた。部下に無用な緊張を持たせないようにする、なかなかに細かな心配りである。


「実はねえ、次の号は、WMGP特集にしたいと思うの」


「な、なんですって!?確かにこれまでレースを特集したこともありますけど、あくまで我が誌は女性にバイクを中心としたライフスタイルを様々な切り口から提案するのが売り物で、レースはスポーツ観戦と同じように少し組む程度でメインに据えたことはなかった筈では?」


 


 雑誌の主旨を外れた内容に、大丈夫なのかと焦る優真を後目に、紗矢は向き直るとサングラス越しでも分かる程の穏やかな表情で懐かしむように話し始める。


「確かにね。でも、今だから言えることだけど、元々このRideLife創刊を提案したのは私の母であり、嘗て私の母はWMGPを取材するため世界を飛び回っていたの。その頃は日本の二輪メーカーが向かうところ敵なしとなっていく頃と重なっててね。そして伝説の少女たちと出会い、惹かれ、彼女たちの行く末を見守ってきた。彼女たちに取材を重ねている内に、日本に二輪文化を根付かせる上で、女性向けバイク雑誌があったっていいじゃないのと企画をこの出版社に持ち込んだ。言わば、WMGPこそがこの誌の原点でもあるの」


 そう聞いて、奮い立つ優真。そう、編集長は自分に、伝説となった、あの人たちに取材に行って欲しいと命じてくれたのだ。本来なら自分が行きたいだろうに、若手を託す辺り、こういう所に後継者を育てたい紗矢の心憎い配慮が伺えた。


 


 優真もバイク好きで高校大学時代にはアマチュアレースに参加したこともある。ファッションやライフスタイルとしてのバイクも好きだったが、同時に風を切るスポーツライドとしてのバイクも忘れてはいないし、今尚時折ツーリングに出掛ける現役の女子ライダーでもある。ましてや当人の愛車が大人しそうな容姿からは想像もつかないがSSDのネイキッドで、1000㏄のスーパーチャージャー付エンジンに4本出しマフラーという迫力のスタイルだったりする。


「分かりました。すぐにでも行かせてもらいます!!」


「頼んだわ」


 


 優真は取材のため、デスクと外回りを往復する日々が再び始まるのだった。

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