第24話 役者は揃った

浅間が終わって、一週間が過ぎた。




 あの熱狂が、まるで一夜の夢であったかのように、今は穏やかな日常の時間が支配している。そんな朝の広島は五日市駅に、二人の少女が降り立った。


 一人は小麦色の肌とクシャクシャにした感じのショートカットの黒髪に快活そうな顔立ち、もう一人は緩やかなウェーブの掛かったブロンドに碧眼で人形のような愛らしい顔立ちである。今でこそ日本ブームの影響で、外国人の姿を見ることはそんなに珍しいことではないどころか、最早半ば日常の光景と化しているが、昭和31年(1956年)当時は非常に珍しく、当然目立ち、行く先々で視線を浴びるのは、まあ仕方がない。


 列車から降りる時、ふと視線が合った。


「おやおや、キミも?」


「ええ。そういう貴女も?」


 互いに頷き合う。それは、お互い目的が一致していたから。二人は揃って、ある場所へと向かう。




「「ここか」」


 二人が足を止め見つめている場所。それは、宍戸重工本社の正門前。最近、国内レースで知名度急上昇中の、SSDの本拠地でもある。


 二人がやって来た目的は、当然一つしかない。正門前では久恵夫人が待っていた。二人の姿を認めるなり、挨拶を交わす。


「はじめまして。エイミー・コネリーと、マライソム・アユタヤで宜しかったかしら?」


 二人とも名前を尋ねられ首肯し、そして日本語の挨拶で返す。


「「はじめまして、おはようございます!!」」


「ええ、元気があって宜しい」


 そして、二人は久恵夫人の案内で社長室に向かった。




 その頃、紗代を筆頭にメンバー5名は、浅間の後三日間程の休みを経て鈴が峰のテストコースで、再びテストと次なるレースに向けて刃を研いでいる真只中であった。


 それも無理のない話で、運も実力の内とはいえ、幸運によって得た勝利であり、誰の目にもSSDワークスが敗けていたことは明らかだったのだ。


 当然次のレースでこんなことにならないためにも、磨きを掛けざるをえない。


 テスト走行の合間の休憩で、クラブハウスにてコーヒーとクッキーで談笑していた中、翔馬が話を切り出した。


「そういえば今日、おばさまがすごく忙しなかったのよね。これってきっと何かあるわ」


「ていうか、久恵さんが忙しいのっていつものことだろ」


「それでも常に一定の気品を意識して保ってるものよ。おばさまは社内では走らないようにしてるし。それが今日は珍しく走ってるのを見たのよね。絶対何かあるわ」


 と、話を聞いていた英梨花がズバリ言い放った。


「もしかして、また新メンバーが入ってくるとか」


 更に佳奈も、


「そういや一級は三人でほぼ決まってるけど、特級は翔馬と雪代しかいないし、ちょっと物足りない気がするのよね。その可能性は否定できないわ」


 同じく黙って聞いていた紗代も、少し意地悪そうな顔をしながら、


「だとすれば、事と次第によってはメンバー内の競争も激しくなるかもよ。この世界、油断してるとあっという間に蹴落とされるのが常だし。浅間でももしかしたら国内では常勝チームになりつつあったことに慢心していたかもしれないし、私も含めあの時は皆焦った筈よ」


 紗代の一言に、誰もが納得して頷く。今思い出しても、そのくらい危なかった。


 刹那、噂をすれば何とやらで、近くに車を停める音が聞こえた。単なるブレーキ音の筈だが、それはメンバーにとって何かがあることを告げるかのようだった。




 案の定、久恵夫人が入って来た。この時まだ姿は見えないが、視線の様子からして背後に誰かがいることは明らかだ。


「皆、今日から加わる新メンバーよ。さあ、こっちへ」


 促されるまま、姿を現した二人に、メンバーは素っ頓狂な声を上げた。


『うそ~っ!?まさか!?』


「そのまさかよ」


 それは、浅間で一時ワークスを向こうに回しトップを張っていた、あの二人だった。唖然としているメンバーをよそに挨拶。


 まずは小麦色の少女から。


「マライソム・アユタヤ。タイから来ました」


 そしてブロンドの少女が続く。


「エイミー・コネリーよ。アイルランド出身。よろしくね。といっても、あたしは国籍がアイルランドってだけで日本生まれの日本育ちだけど」


「それはボクもなんだ。まあ、時折タイに帰国することはあったけど」


 そう、新メンバーとして加入するのは、何と外国人。国内レースでは色々制約もあるため、国産マシンに乗って腕に覚えのある外国人ライダーがエントリーするのは、この時でもそんなに珍しいことではなかったのだが、いずれもプライベーターとしてであり、日本メーカーのチームに加入するケースは、当時は珍しいなんてものではなかった。何しろ外車との間に圧倒的な性能差があった時代である。


 


 余談ながら、この翌年には国産乗用車の先駆としてトヨペットクラウンの輸出が始まるのだが、当時アメリカで普及しつつあったフリーウェイの合流口であるランプの上り坂さえマトモに上れず、連続高速運転ではオーバーヒートは収まらず、更に操縦性や安定性も危険なレベルだと言えば、外車との格差が伺えよう。


 日本の自動車メーカーが世界にも本格的に通用するようになるのにこれから先15年前後、そして世界に於いて認められるようになるのはオイルショックを待たねばならない。




 当時四輪はこの有様だったが、二輪の方は外車との間にかなりの性能差があったとはいえ、これでも格差はまだ小さい方であった。このため戦後に本格化した日本の自動車産業とモータースポーツは、二輪業界が牽引し、その後を四輪が追随したと言っても過言ではない。


 当時はまだ国民所得が低く、四輪と比べたら安価といってもまだ高価だったけど、決して手の届かない額ではなかった二輪が、日本の道路事情ともマッチして巨大な市場に支えられていたことを考えると必然だったと言えよう。




 話を戻して、日本のチームに加わろうなんて随分奇特な物好きがいるもんだとメンバーでさえ自虐的に思ってしまう。だが、二人は真剣だった。


 唖然とするメンバーを後目に、エイミーが話を切り出した。


「あたしはこう見えても、SSDに自身のレーサー生命を賭けてるのよ。だって、ダウジングでもSSDに乗るべきだって」


 そう言ってペンデュラムを見せる、エイミー。それは、コネリー家に代々伝わる家宝で、吊り下げているのは何とサファイアである。


 ペンデュラムを皆の前で翳すと、サファイアが時折輝きながら時計回りに大きく振れている。その様子に誰もが目を瞠った。


「ほら、この通りよ。私の守護神様が、SSDに乗りなさいって」


 実は、エイミーの趣味は占いだったりするのだが、中でもダウジングが好みであり、当初は欧州のメーカーに乗るつもりだった。しかし、念のためダウジングすると反時計回り。つまり否を示すのだ。


 案の定、欧州の主力メーカーに打診しても何処にも相手にしてもらえない。特に英国系メーカーはにべもなく、これは当時のアイルランド人に対する英国内の差別感情も関わっていた。


 今は大分薄れたが、当時のアイルランドに対する差別はひどいものだった。白人間差別というべきか。


 また、じゃがいも飢饉に由来する歴史的感情も尾を引いており、後にアイルランド人が大勢アメリカに移住する原因ともなり、更にIRAによって、英国内で数々のテロが繰り広げられ、アイルランドに対する風当たりが更に強まる原因ともなった。結局両者の歩み寄りは政治的になかなか解決せず、世代交代を待つしかなかった。


 IRAが誕生したのは、カトリックとプロテスタントとの対立もあるが、背景はそこまで単純ではなく、じゃがいも飢饉での恨みの方が大きいとも言われている。じゃがいも飢饉について詳細に書くと物語の主旨を外れるので割愛するが、イギリス側の国益の問題も絡んでいたとはいえ、テロを肯定する訳ではないがそりゃ恨まれるのも無理ないだろと言わざるをえない。ネットで検索すると詳しい内容はいくらでもヒットするので、興味ある方は調べてみるといいだろう。


 だが、世代交代により差別意識も薄れ、和解状態になっても、あの飢饉以降21世紀に至り尚アイルランドの人口は最盛期の半分程度に過ぎない。


 


 余談ながら、じゃがいも飢饉の原因の一つは、たった二つの種イモから栽培が始まったことであり、遺伝子グループが最大二つしかない、所謂遺伝子多様性の欠如にもあったのだが。もしもジャガイモ栽培が始まった時、種イモが三つ以上だったら、歴史は変っていたかもしれない。


 


 こんな具合なので、第二次大戦中は中立であったものの日本軍が当初英国に対して破竹の快進撃だった時は大喜びしていたくらいだ。また、小泉八雲ことラフカディオ・ハーン以来の親日国でもある。


 一方でアメリカとの関係は非常に良好であった。


 欧州のメーカーからはけんもほろろにされ、残された選択肢が日本しかなく、当初気乗りしなかったものの日本メーカーについてダウジングすると全て否。そして最後に残ったSSDかと質問するとペンデュラムが大きく時計回りしたので、その結果を信じることにしたのだという。


 それには当人も驚きを隠せなかった。しかし、後にWMGPグループXにて王者ビアンカ・ロッシと同じ、最多タイの4度のチャンピオンとマン島制覇を記録することになるのだから結果は大当たりではあったのだが、この時はまだ知る由もない。


 


 実家は愛媛にあって親が大学教授をしており、更にカトリック教会を通じてマシンを借り、クラブマンレースに盛んに出場していた。また、海外でもシンガポールを中心にアジアのマイナーレースに出走し、優勝したこともある。




 その話を傍らで聞いていたマライソムも話を切り出す。


「ぼ、ボクも、アジア人だって世界で通用することを証明したくてレーサーになったんだけど、でも、何処も受け入れてくれなくて、残されたのがSSDしかなくて、でも、占ってもらったら、SSDはやがて世界へ飛躍する最強チームになるって。だからここの門を叩いた」


 タイもまた国際社会に於ける立場は複雑だった。戦前、アジアで独立を保てたのは日本とタイだけなのだが、タイの場合は特殊な事情も絡んでいる。


 西隣はビルマ(現在のミャンマー)、東隣はラオス、ヴェト・ナム、カンボジア。西はイギリスの勢力圏であり、東はフランスの勢力圏であった。このため、タイは双方の緩衝地帯として独立させていたに過ぎない。事情が事情なら植民地になっていた訳で、その意味ではタイも事実上主権国家ではなかった。というより、イギリスの影響が濃い。


 同年代にはプリンス・ビラことピーラポンパーヌデート・パーヌパン親王が戦前から初期のF1にて活躍していたが、彼もまた長い間イギリスに留学から故国の政情不安に遭遇し結局イギリスにそのまま長期滞在していた過去がある。


 尚、彼自身もトップレーサーの一人であり、マライソムにとっても憧れの人であり、自身を重ねていた。


 


 だが、故国には当時目立ったメーカーなどなく、レースをするためには外国のメーカーに頼るしか選択肢がない。しかし、国際関係も絡んだ複雑な感情から、欧州のマシンに乗ることは気乗りしなかった。結果、友好国である日本のメーカーを選択したのである。


 無論彼女もそうした感情と現実を秤に掛けるような感情論者ではなく、日本のメーカーが東南アジアのレースを中心に台頭し始め活躍していたからこそ、将来性があると判断していた現実主義的側面もあった。日本のメーカーがなければ迷わず欧州のマシンに乗っていただろう。


 当然のことだが、勝てる可能性の方が最優先であり、そのくらいの現実主義的思考がないとレーサーなんてやってられない。マライソムも日本のメーカーにその可能性を見出していたからこそSSD入りを希望したのである。


 


 実家は親が貿易商をしており、更に一説には貴族の血筋で王族と繋がりがあるらしいとも。なので資金面では困ってなかった。だからこそ、あの高価なマシンでレースに出場できたのだ。日本国内のみならず、時折アジアのマイナーレースにも出場しており、かなりのレースキャリアもある。


 欧米人を向こうに回してしばしば優勝も経験しており、実は、アジアのレース界ではちょっとした有名人でもあった。


 二輪は比較的安上がりなのもあってか、既にこの時代アジアでも広くレースが開催されていたのである。また、比較的安価故にプロのみならず、クラブマンレースも盛んだった。この時代、タイでは日本に次ぐ二輪レーサー人口を誇っていたという。


 この時彼女はまだ知る由もなかったが、1963年と67年にグループSタイトル獲得及びマン島制覇を達成する。アジア人では二人目の快挙であり、そして母国タイでプリンス・ビラと並ぶ英雄となるのだ。


 また、マライソムはタイから後に続く女子レーサーの先駆者でもあり、彼女のチャンピオンを切っ掛けに、タイは国を挙げてレーサーの育成支援に乗り出していくことになり、特に女子軽量級で日本と並びチャンピオンを輩出していくことになる。


 その意味では、故国でマライソムがプリンス・ビラと並ぶ偉大な英雄となるのは必然だろう。




 余談だが、プリンス・ビラの影響からか、タイは、アジアでは古くから日本に次いでモータースポーツの盛んな国でもある。




 共に、その想いは熱く本気で、そして真剣なことだけは伝わった。




 タイミングを見計らい、久恵夫人が話を切り出す。


「二人とも、わざわざ日本語でウチに手紙を出してるのよ。それだけでも熱意が伝わるわ。それに、浅間でワークス相手にトップを張った以上、彼女たちの加入を認めない訳にはいかないし、これから先、世界へと舞台を拡げていく中で、外国人レーサーと契約しておくメリットも小さくないわ。さあ、今日から貴女たちはSSDの一員よ」


 そして互いに頷き合い、メンバー一同は、


『SSDにようこそ!!これから、世界制覇を目指す仲間として、一緒に頑張りましょう』


 誰彼言うともなく、手を重ね合わせる。それは、二人がSSDに受け入れられた瞬間だった。


「こりゃまた一段と賑やかになるわね」


 紗代の一言に、その場にいた全員が呵々大笑。笑いには不思議なパワーがあるもので、その日に加入したばかりなのに、二人ともまるで何年もメンバーにいるかのようだ。




 こうして、役者は揃った…………


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