第23話 浅間 後編

最終日午前に行われた一級車で一時危うい場面もあったとはいえ、何とかワークスの面目を保ったSSD。午後になり、いよいよメインイベントとも言える特級車のレースが始まろうとしていた。


 出場する二人、翔馬と雪代には否応なしにプレッシャーが掛かる。




それぞれ最前列、1位と2位からスタートする翔馬と雪代はライバル意識剥き出しで火花が散っているのではという程。進駐軍や在日外国人、外車が多数出場している中、数少ない国産車であると同時にワークスということもあり、当然周囲からも注目度は高い。


 だが、その後ろ、二列目でライトグリーンと白、山吹色に塗り分けられているのが特徴的なSSDのマシンに乗るライダーが、二人を緑のフルフェイス越しに見つめていることに気付いている者は誰もいない。


 因みに浅間は左回りであり、ポールは左方向に緩く曲がる第一コーナーのアウト側、最速ラインを掠めるのに最も有利な右側となる。その前に緩いS字があるのだが、関係者の間ではその次の左に曲がるカスミカーブを事実上の第一コーナーと見做していた。


 尚、カスミカーブの後にはまたも緩いS字が待ち構えており、スタートから最初のストレートであるファーストファイトまでの一連のカーブを複合コーナーと見做してスムーズに抜けていかないとタイムは望めない。




 スタートラインのすぐ近くにある時計を誰もが注視しており、競技委員長もフラッグを降ろすタイミングを計っている。既にスタート1分前の看板が出ており、緊張は否応なしに高まりコンセントレーションはピークに達しつつあった。


 そして、時計の針が午後2時を指した瞬間、グリーンフラッグが振り降ろされライダーは既にエンジンが掛かっているマシンに跨り18台が一斉にスタート!!


 1000㏄クラスならではの太い排気音を轟かせながら18台は隊列の如く縦長に展開し、カスミカーブ目掛け飛び込んでいく。


 予想通り、SSDの二台がトップスタートを決め、互いに譲らないサイドバイサイド状態で1コーナーへ進入していくが、インを突いてトップに立ったのは雪代。


 その直後、二人を見つめていた例のマシンがピタリとマークするように追随していく。因みに今回、この三台以外は既に引き離されつつあり、相手にならない。


 この時張り合っていたために二人はまだ気付いてなかったが、ピットではワークスにピタリと追随するライダーの存在に大騒ぎとなっていた。


「おいおい、マジかよ。これはまた午前に続いてダークホースによる大荒れの展開か!?」


「同じSSDとはいえ、あのワークス二人に追随するなんてスゲエな」


 と、ここで一人のメカニックが、あることを指摘した。


「そういや、今ワークスに追随してるの、ツルツルのタイヤを履いてたぞ」


 それを聞いて、誰もが唖然とするが、当時ツルツルのタイヤと聞けば溝が無くなるまで使い切ったタイヤしか思い浮かばない時代である。そんな危ない状態で追随していると誰もが思っていて、これは多分長くはないと感じていた。恐らく長くはないことを承知の上でワークスに対するアピールに出たのだろうと。


 実際、トップチームに敵わないのは承知の上で、自身を売り込むために敢えて完走を諦め自分がどれだけ速いかをアピールする作戦に出るレーサーもいるのだ。チームの台所事情は大抵分かっているので、それを差し引いて見てくれることを期待し、光る物があることを見出してもらおうとするケースは少なくない。


 だが、予想に反してこのツルツルのタイヤが思わぬ展開に繋がっていくことに。


 そんな大騒ぎのピットで、久恵夫人は一人冷静にレースの様子を見ていた。


「あの子、何処まで健闘するかしらね」


 意味深な一言を呟く。




 9周の内、3周までは二人がデッドヒートを繰り広げてはいたものの、特に動きもなく過ぎていった。翔馬が鋭い旋回で立ち上がると思えば、雪代は得意のブレーキングで前に出て抜き去る、といった具合である。雪代の接近戦での集中力と勝負強さは神懸かっているというか、引き離しに失敗すると厄介な相手でもあった。


 二人のライディングの違いはセッティングにも表れており、翔馬は旋回性重視で前輪は細めをチョイスし、且つ重心を高めに、雪代は安定性重視で前輪は太めをチョイス、重心は低めにしており、且つコーナー前の姿勢も翔馬はすぐに次に移行できるよう三点姿勢だが、雪代はギリギリまでマシンを安定させるために四点姿勢という違いがあった。


 共通しているのは、二人とも攻撃的なライディングであることで、相撲に喩えるなら横綱が見せるポースで、攻めと守りでバランスを取る雲竜型ではなく、攻撃こそ最大の防御の不知火型といったところか。


 余談だが、本来意味合いは逆らしいのだが、何故か間違って伝わり、歴代横綱により次第に慣習化され現在に至る。




 因みに重心に関してはエンジンマウントで調整しているのだが、当初は二人のセッティングの方向性の違いにチームも大いに悩まされた。しかし、エンジンマウントで変更する手段が見つかってからはそれも解消し、またSSDにとっては貴重なデータともなる。


 マウントによる重心の違いといっても精々1㎝程度に過ぎないのだが、この僅か1㎝の差がマシンのフィーリングでは大きな違いとなるのだ。


 他にもタンクが翔馬は身体の動きを確保するために短め、雪代が身体を安定させるために長めという違いがあった。




 4周目に入ろうとした時、動きがあった。といっても、多くの関係者からは微妙な動きなので気付いている者は少なかったが、レースをしている者は違う。


 この時、二人はその音からピタリと追随するマシンがエンジン回転を上げ始めたことに気付き、ほぼ同時に後ろを振り返った。


 ヘルメットから表情が伺える訳ではないが、これから仕掛けようとする気配が否応なしに伝わってくる。そして、二人にの間に共通の見解が生まれた。コイツはこの周回で仕掛けてくると。そして、仕掛けてくるタイミングも読めていた。この浅間で最大の抜き所でもある、シケインの役目も兼ねている、あのヘアピンだと。


 二人で仕掛けて相手の進路を塞ぐ方法もあったが、それだとかなりのスピードダウンを強いられ、そこを隙として突かれる可能性もあるし、その上悪質な妨害行為と見做され失格となるリスクもある。かといって一台ずつでは誰かのインを突かれる形になって抜かれる可能性も捨てきれない。とにかく、どう仕掛けてくるのかが読めなかった。


 だが、それは相手も同じだろう。正攻法で相手にしてくるのか、それとも二台で封じ込めようとするのか、ヘルメットの内側では悩んでいる筈であろう。


 しかし、ヘアピンには違いなく、問題は仕掛けるタイミングで、入り口か、それとも立ち上がり重視で出口か。入口だと雪代が相手だし、出口だと立ち上がりでワークスの性能差を活かして翔馬に抜き返されてしまう。さて、どう出るのか。


 やがて、ヘアピンに差し掛かった時、予想通り仕掛けてきた!!




「何っ!?」


 そのライダーは何と、立ち上がりで翔馬に勝負を挑んできた。性能で劣るクラブマン仕様にも関わらず性能差をモノともせず素早く立ち上がるとトップに立った。


 さすがの翔馬もこれには狼狽してしまった。


「おいおいマジかよ」


 翔馬の立ち上がりの速さは驚異的であることを知っているだけに、雪代も信じられない光景を見ている気分だった。何しろワークスマシンであり、負ける要素が見当たらなかったのであるから。


 だが、現実にはそのマシンが二人の前に立ちはだかっている。そして、ここからワークスを引き離し始めた。


 実はこの時、履いていたタイヤが漸く本領を発揮する域に入ったのである。そう、それまでこのタイヤは無理が出来ないので二人に追随し、機を窺っていたのだ。また、予選で二列目に甘んじていたのもこのためである。後にその秘密が明らかに。




 これまでもクラブマン仕様に乗りながらワークスに競り勝ったケースがない訳ではなかったが、排気量も大きくなるとその差も大きくなる傾向にあるため、予選のタイムからいってもSSDには余程の事態が起きない限り競り勝つのは無理だと思われていたのだが、現実にはそれを覆す光景が展開しており、ピットでも信じられないと誰もが大騒ぎ。


 そんな中にあって、久恵夫人はひっそり独白する。


「私の見立てに狂いはなかったわね」


 そのセリフが意味するものとは……?




 二台のワークスを抜き去り、まるで軛から放たれたかの如くその差を広げていく。ライディングそのものは至ってスムーズで教科書的であったが、それは言い換えれば最小限度の動きでマシンコントロールも非常に精確なことを意味している。それにしても速い。それは、ライダーの腕やマシンのセッティングも関係しているが、やはり最大の秘密はタイヤであった。




「くっ、追い付こうとしても追い付けないわ、速すぎる。一体何なのよ」


 翔馬は必死に追いすがるが、クラブマン仕様に引き離される光景は面目丸潰れである。


「ちくしょう、あんな速いヤツがいるとはよ。それにしてもよくあんな深いバンクで走ってコケねえよな」


 雪代は相手のコーナーでのバンクの深さに気付いていた。また、立ち上がるスピードも速い。因みに二人ともハングオフスタイルで追っており、その上後ろはかなり引き離されていることから二台が決して遅い訳ではないのだが、今トップを走るのはそれ以上であった。


 


 思わぬ番狂わせに、当然観客も大騒ぎ。軽量級では割と見られるのだが、まさか重量級で先のレースに続きジャイアントキリングを見られるとは。




 だが、快進撃もここまでであった。


 8周目、誰もがこのままワークスを従えクラブマン仕様が勝つと思ったその時、幕切れは呆気なく訪れる。


「!?」


 最終コーナーで破裂音がした刹那、突如マシンが挙動を乱しコースアウト。ライダーはマシンから投げ出されスライディング。だが、駆け寄るコースマーシャルに手を振り、すぐさま起き上がったところを見ると幸いにして大事には至っていないようだ。


 だが、肝心のマシンは後輪がバーストしていた。SSDワークスのメカニックが駆け付ける。


「こりゃひでえな。多分不運にも小石か何か踏んじまったんだろ」


「それによくこんなツルツルタイヤでここまでもたせてるよな。そっちの方が奇跡だ」


 実は、バーストしたのが後輪だったことも幸いしている。それ故腰からゆっくり落ちたのと、後輪は、まだあれでもコントロールの余地が残されているため、あの状況下でライダーは精一杯コントロールして大惨事を免れたのだった。


 もしも前輪だったらコントロールの間もなく急激な挙動変化に対応できず激しく転倒、頭から落ちる可能性が高く、最悪の場合命に関わる。前輪のトラブルは二輪のみならず四輪でも非常に危険で、どんなに優秀なレーサーでもあっという間にコントロール不能に陥る。


 先程と同じく、SSDのマシンということで他人事ではないため、他にも異常がないか入念なチェックが行われることに。先のトラブルと同じく本社に持ち帰り調査するという。


 人道的な面もあるが、それ以上に例えリタイアしたマシンであっても何が原因なのかを調べることで貴重なデータが得られ、それは次の開発にも反映されていくことになるのだ。


 その意味ではワークスもクラブマンも平等に恩恵を受けることにも繋がる。また、マシントラブルでライダーが命を失うことは何としても避けたいという思いもあった。


 


 で、実はこの時履いていたタイヤの正体はスリックタイヤであり、これこそが今回の速さの秘密であることが明らかとなるのは、もう少し先のこと。




 がっくりと項垂れ、肩を落としピットに戻るライダー。ヘルメットを脱ぐと、何と緩やかなウェーブの掛かったセミロングのブロンドに碧眼。白い美顔にはまだあどけなさが残る。日本人が思い浮かべる典型的な西洋の美少女であった。そして、碧い瞳に涙を浮かべながら、訛の入った英語で力なく呟く。


「be disappointed (がっかり)……」


 その後、彼女は医療ブースに連れていかれ、異常は確認されなかったものの念のため近くの病院で検査を受けることに。




 突如バランスを崩し消えて行く様子を間近で見ていた二台は、先程までトップを走ってながら無惨な姿となったマシンを横目に見ながらも、安定した走りで接戦を制した雪代が僅かの差でチェッカーを受け、1-2を決めたが、そこに戦って勝ち獲った特有の悦びはなく、表彰台でも笑顔半分の複雑な感情であった。


「素直に喜べねえな、こんな勝利じゃ……」


「そうね、出来れば打ち負かしてチェッカー受けたかったし、全力で戦って負けた方が反って清々したかもね」


 そんな様子を傍らで見ていた久恵夫人は、再び意味深な独白。


「これで決まりね。二人は喜べないみたいだけど、こっちにとっては大収穫だったわ」




 女子の部が全て終わり、翌週には男子の部が開催され、戦争の影響もあり回復傾向にあったとはいえ、まだ参加人数も少なかったが女子以上にハードなレースが展開、当然大いに盛り上がった。尚、SSDに於いて男子部門が発足するのはこれよりまだ3年後である。




 こうして、未消化な結末を迎えたものの、危うい面もあったとはいえ下馬評通りSSDが制して、今年の浅間火山レースは幕を閉じた。プロ7クラスの内外国人が4人勝利したものの、重量級2クラスでSSDが勝利したことにより、日本側の面目は保たれたと言える。また、優位にあると言われていた外国人相手に日本人ライダーが世界と戦って通用することが証明されたという意味では、大いに意義のあったレースであったと言えよう。


 実際、後にモータースポーツを中心として研究している歴史学者の間では、このレースこそが日本のメーカーが世界に向け躍進していく重要な分岐点となるレースという見解ではほぼ一致をみている。


 


 その後、また数日掛けて広島に戻ったメンバーには、思わぬ展開が待ち受けることに。それは……









 

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