第20話 浅間 中編

翌早朝、スタッフが宿泊するクアハウスにて一緒に近くの浅間牧場の乳製品を使った朝食の後、コースの下見に出る。案の定というか、赤をベースとしたSSDのマシンは目立つことこの上ない。コースに出ようとすると早速カメラを向ける者が少なくなかった。


 というより、今回SSDワークスは優勝候補の筆頭であり、外車のエントリーが多い重量級の一級車及び特級車に陸王のブランド名で臨む川崎と共にエントリーでは僅か2チームしかいない国産車の参戦ということで、オラが地元の三段目という心情もあるだろう。




 コースに先陣切って出た英梨花は、意外と攻め甲斐のあるレイアウトに驚く。尤も、去年はマシントラブルのためスタート早々にリタイアしており、浅間はテスト走行時しか知らないが、感覚的には分かる。


「成程、主に三つのストレートを多種多様なコーナーで構成しているのね。それにしても、それぞれの直線をファイトと命名しているとはユニークだわ。その上去年よりスリリングだし、面白いレースになりそう」


 


 英梨花の言うように、コースは左回りでスタート/ゴール地点のホームストレートから緩い複合カーブを抜けると、まず最初のストレートがファーストファイト、ファーストファイトの終わりからヘアピンに近いカーブを抜けるとセカンドファイト、セカンドファイトから緩い変則S字を含む複合カーブを抜け、ストレートに見えるが実際には1000R以上の極めて緩いカーブとリバース状のカーブを抜けるとサードファイトである。


 因みにこの1000Rは後にフォースファイトと関係者の間で非公式に呼ばれるようになり定着することに。




 サードファイトから先の後半はテクニカルセクションであり、このコースの最高到達点であるヘアピンまで異なる半径の複合カーブ、ヘアピンから先の90度の緩いカーブから先は山を下りながら右へ左へ緩いカーブを絶妙なアクセルコントロールのみで抜けるとホームストレートに戻りゴールとなる。


 ヘアピンは、このコースで最も高い場所に位置すると同時にシケインのような役目もしており、ここが駆け引きの場となるであろうことは容易に想像できた。


 全長は9.351㎞と長く、また高低差は浅間山にある割に意外とそうでもなく、比較的平坦な高速テクニカルサーキットと言えるだろう。




 去年一昨年と連続で勝利し、今年三連覇が掛かっている紗代は、2年前のデジャビュが頭を過っていた。


「まあ本場よりは緩いけど、まるでインテルラゴスのようじゃない」


 入り組んだようなコースレイアウトは、ある意味インテルラゴスとよく似ていた。尤も、どちらも走った紗代にとってはインテルラゴスの方がハードだったが。


 しかし、コースもだけど、欧州のトップチームが相手であったこともハードさに加味しておくべきではある。




「テストコースと比べたら高低差が然程でもない分走りやすいわね。でもその分マシンの性能に大きく左右されそうだわ」


 翔馬は舗装されたばかりのこのコースを一周走ってすぐさま特性を見抜いたようである。そう、去年までのダートと異なり、舗装路となったことで一層マシンの性能差に左右されやすいことを。


 因みにダートの時は砂塵対策に誰もが頭を悩ませていた。砂塵でキャブが傷んだりシリンダーが異常摩耗に見舞われたりと、エンジンにとって砂塵は大敵なのである。だが、防塵フィルターの類は吸気抵抗が増えるためにその分性能が落ちるという問題もあった。


 レース用エンジンは大抵吸気口に金網程度しか取り付けていないのもこのためである。


 だが、今回舗装路となったことでその心配が減り、最高速度が上がるのは確実なため、別の意味でエンジンやサスペンションといった基礎部分への負荷が増大するのが目に見えており、各メーカーやチームによって技術力の差が一層露わとなるのは間違いない。


 尤も、各メーカーもそんなことは百も承知だろうが、当時の日本の二輪メーカーの競争の苛烈さは恐らく世界の想像を超えていた。




 佳奈と雪代は一周するとコースの形状やクセをすぐに覚えたようで、肩慣らしにも関わらず既に全開で攻めていた。コース上にはこの後クラブマンレースを控えているレーサーがテスト走行を兼ねて数多くいたのだが、ワークスとのあまりの性能の違いにビビリまくり。


 パドックに戻ると案の定二人はメカニックから注意されるのだった。万一マシンを壊してはたまらないし、性能差を意識しないと相手も危ないと。


「ごめんごめん、つい青森時代を思い出してしまって」


「まったくだぜ。でもこれで攻めるなって無理な相談だって」


 雪代は去年までの見ていた立場から走る立場となってテンションが上昇しているのも要因だろう。


 少なくとも、この時点で不安要因は見当たらない。調整や点検を淡々をこなすメカニックの表情も平静そのものだ。




 その様子を、傍らで見ている女の子が二人。一人は緩やかにウェーブした金髪に白い肌、碧眼の典型的な欧米人。もう一人は小柄だが黒髪に小麦色の肌でぱっちりした瞳もあって快活そうな印象であった。後者は日本人というよりアジア系といったところか。




 早朝のフリー走行の時間が終わり、参加者全員が集まり浅間山の近くの神社から神主に出張していただき、レースの無事な開催を祈り祝詞を上げてもらい、いよいよ予選。合計三日間に渡って行われ、午前がクラブマン、午後がメーカー及び参加資格を得ているプライベーターに振り分けられていた。


 二輪は当時からクラスが多かったのもあり、開催スケジュールの制約上予選は事実上の一発勝負。チャンスがない分気合の入り方も違った。


 尚、予選の結果は一級車女子では佳奈が紗代に0.1秒差でポールを獲得。因みにポールを獲ると3000円の賞金が出た。これは現在の額に換算すると3万円。当時としては結構大きなお金であった。


 尚、ファステストラップや、最終ラップで逆転するなどの敢闘賞でも1000円が出ることになっているものの、これらはスタッフのおやつ代などに使われるのが慣例となっている。当時はこうしたレースで大抵屋台が出ていたので、そこでおやつを購入しており、ある意味経済にも貢献していたと言えよう。


 


 英梨花は二列目、5位であったが、決勝でのセッティングを重視していたからである。二輪は四輪と比べると抜き所も多く、それ故当人がポールを獲ったことは意外に少なく、それでも優勝したケースが何度もあり、そこまでポールには執着していなかった。


 第一、二輪レースでは上述の特性上、ポールは然程重要とは言えない。ポールもあくまで当人にとっては結果でしかなかった。だが、そんな英梨花もマシンセッティングを確認する意味でポールを獲りにいくことはあった。


 因みに当時WMGPではポールポジションで1ポイント、ファステストラップでも1ポイントが付与される仕組みになっており、これはレーサーに本気になってもらうことでよりレースを盛り上げようという意図があったのは言うまでもない。


 浅間を筆頭に多くのレースで何かしらの賞金が出るのもそれを参考にしていた。ポイントではなく賞金だったのは、まだ国内ではシリーズ化出来るほど経済力も体裁も整っていなかったためなのだが、それでもこうした配慮に、将来世界を目指すことを強く意識しており、そして国内も世界に比して恥ずかしくないレース体系を整えようという意図は明らかだったと言えよう。


 


 特級車女子では予想通り翔馬がポール、二位にやはり0.1秒差で雪代がつけたのだが、案の定というか、二人は既に予選から火花を散らし合っており、当然周囲は大盛り上がり。一級及び特級には在日外国人や進駐軍からも多数エントリーしていたのだが、特に特級車では二位と三位との間には一秒もの差があった。一秒というなかれ。コンマゼロ何秒を争う世界で、長いコースとはいえ一周一秒の差は小さくない。


 同時にさすがはワークスと言うべきか。SSDにとっても外車の前でレースが出来るんだと自信に繋がったのは言うまでもなかった。




 今回、浅間も舗装路になったのと併せ開催も三回目ということもあり、知名度が上昇したのと、最早戦後ではないというフレーズもあってか、確かに戦後間もない窮乏期と比べれば国民の生活にある程度の余裕が生じたのもあってレースに関心を向ける人も増加傾向なのを受け、新聞社などが取材に来ていた。


 当然SSDは注目株で、突然の取材に皆さん戸惑う一面も。


 取材の後、久恵夫人はパドックで独白する。


「道理で今回カメラが目立つと思ったわ。まあそれだけレースに関心を持つ人が増えたということね」


 現在、パドックは所謂レースの舞台裏ということでスポンサーなどのお偉いさんやレーサーなどの水面下の交渉が行われたりする社交場でもあり、その他機密も多いことからそう簡単には出入りできないが、当時はまず知名度上昇が優先だったのもあって、誰でも自由に出入りできた、大らかな時代でもあった。実際、マシンを間近で見られるのもあって親子連れの姿も目立ったし、運が良ければ未来のワールドチャンピオンと一緒に写るなんてことも。


 余談ながら、現在のモータースポーツではパドックパスを購入すれば観客でも出入り可能となっていることが多いが、F1ではパドックパスは販売されておらず、パドッククラブよ呼ばれる観戦ルームチケットを購入することで入ることが可能なものの、その値段は開催期間中で大体60~100万円前後だという。




 予選が終わったパドックは文字通り関係者の社交場と化し、アマ、プロ隔てなく交流会を楽しんでいた。チーム毎に自慢の料理などの名物を持ち寄り、和気藹々。まさに日本版コンチネンタルサーカスの趣である。これは、関係者に西洋文化への理解がある者が少なくなかったことも関係しており、SSDのみならず将来的に世界へと進出することを誰もが強く意識していたことを意味していた。


 そう、モータースポーツは本質的に文化であるということを。


 尚、翌日は休みで決勝は明後日のため、この日はアルコールも認められていた。現在と違いアルコールに鷹揚な時代であったとはいえ、主催規則でレースの24時間以上前のアルコールはレーサーは無論、メカニックなどのスタッフも禁止となっていた。なのでこの日に飲み溜めする関係者も少なくない。


 こうした交流会は、後に時代の進展と共に前夜祭となり、各レースイベントに於いて独自色を強め、ファンによりモータースポーツに親しんでもらう機会として次第に慣例化していく。


 


 そして、先程SSDのピットを見つめていた二人も御相伴に与っていた。反面自分たちの所属チームの料理を紹介したりして、概ね好評を得る。


 実は、プライベーターにとってはこうした交流はワークスチームに売り込む機会でもあり、こうやって顔を売るのは立派な営業活動に他ならない。


 因みに紹介した料理は、アイリッシュ・シチュー、シェパーズ・パイ、ゲーン・マッサマン、ガイ・ヤーンであった。無論好評だった。


 この時SSDの面々は、この二人を物好きな観客としか思ってなかった。何しろレース関係者を除いて日本のレースを観戦する外国人なんて当時は珍しいこと極まりない時代である。


 尤も、日本は果たして有望な市場になり得るのか観客を装って調査に来ていた者はいたが。ここ数年、日本は経済成長著しいことを一部敏い者は掴んでいた。だが、そこで彼らが見た者は、進化著しい日本の二輪であり、中には近い将来世界の二輪レースにとって、更に二輪市場にとって日本が脅威になる可能性があると危機感を抱く者もいたようである。




 結局、宴は夜明けまで続いたのだった。後にこの宴は前夜祭として定着していくことに。




 一日置いて、決勝が始まる。


 


 前夜祭とは打って変わって、針一本落ちてもその音が伝わってきそうな程の張り詰めた空気が漂っていた。


 レース本番ということもあり、アマチュア中心のクラブマンレースとはいえピットの緊張感及びコースに漂う緊張感は後日走るプロと何ら変わらない。そう、格の違いはあれども真剣さ加減は同じである。


 何しろこれからハイスピードによる命懸けの遣り取りをする以上、当然だろう。


 また、クラブマンレースの参加者、特にライダーにとっては真剣にならざるをえない側面がもう一つあった。


 


 浅間はプロ・アマのレースが併催されることも相俟って、このレースで好成績を収める、或いは好走して目立つことでワークスやサテライトの有力プライベートに迎え入れられ更なる大舞台での活躍の道が開ける可能性が高まる。


 実際、去年一昨年の浅間で併催されたクラブマンレースに於いて大活躍の末に見出されたライダーは少なくない。そして世界へと羽ばたいていき、歴史に残る名ライダーとなった者もいる。


 また、前年クラブマンレースで好成績を上げた者はプロとしての参加資格を得ることもできた。現在SSDに所属する5名も、元はそうした経歴の持主だ。


 チームの中にも、後に頭角を現しプロの世界で名門エンジニアリングとして世界的に有名になった者も珍しくない。


 その意味で、クラブマンレースは次世代を担う金の卵に他ならなかった。


 


 最近は経済成長もあってレーサーも増加傾向にあることや、レースとしての体裁が徐々に整いつつあったのも重なり、以前と比べるとプロとなる敷居は高くなった。激しい競争に晒して篩に掛けざるをえなくなってきていたのである。だからこそ、今回クラブマンレースに参加するライダーは、以前にも増して真剣にならざるをえない。


 


 それは、言い換えれば日本のモータースポーツのレベルがそれだけアップしたということでもある。日本に視察に来た一部海外メーカーの中に脅威を覚えた者がいたのもこのためと言えよう。


 終戦からまだ10年余、日本は戦争に敗れたのもあり、戦前と異なり以前にも増してジャップと蔑まれていた時代、そうしたフィルターを除いて冷静に見ることが出来た者は、確かに脅威を感じていた。近い将来、日本勢が我々の前に立ちはだかってくると。


 


 尚、クラブマンレースでは市販車ベースのみしか参加できない(浅間ロードレースの方は市販車も参加可能)。




 50及び125はコースを3周、250及び350、500は4周、750及び1000は5周することになっており、外国人も参加可能だったことから多種多様なマシン及びライダーと相俟って、いずれのクラスでもプロに劣らぬ熱い戦いが二日間に渡り展開された。


 女子とはいえ、その苛烈さは男子にも劣らない。


 後半にレースを控えているプロライダーの皆さんも観戦しているのだが、その様子に自分たちもつい熱くなり手に汗握って観ている者が少なくなかった。


 やはり、レースを観ればアツくなるのはレーサーとしてのサガと言えよう。何しろ観客以上にレースに魅力を感じている人種なのだから。


 


 7クラスの内、優勝者に2人の外国人がいた。しかし、去年の4人と比べると日本も負けてはいないことがこのレースで証明されたと言える。マシンもだが、日本人ライダーのレベルも着実に上がっているのは間違いなかった。




 そして始まった浅間ロードレース女子。50及び125は5周、250及び350、500は7周、750及び1000は9周で争われる。


 クルマで言えば大衆車クラスにあたり、メーカーにとっても中心車種となる250㏄までの軽量級は力が入っているだけにその争いも熾烈を極め、各所で手に汗握るギリギリのデッドヒートが繰り広げられ、当然のことながら転倒やクラッシュに伴うけが人も出た。




 レースも最終日、いよいよ一級車と特級車の戦いが始まる。午前のスターティンググリッドには一級車にエントリーする21台が勢揃いしており、フロントロー及び二列目に陣取るSSDは紅いシルエットで非常に目立つ。


 ヘルメットを被り、バイザーを閉じて各自レーサーモードへとスイッチを切り替える。


 やがて、競技委員長によってグリーンフラッグが勢いよく振られると同時に既に始動しているマシンに跨り一斉にスタートしていく。その中にあってスタートダッシュを決め、1コーナーへトップで進入しようとしているのは何と二列目スタートの英梨花。


「フッ、もらったわ!!」


 見事1コーナーへトップで進入していく英梨花。


 決勝に向けて煮詰めて来た作戦が功を奏したようだ。英梨花はもらったも同然と自身の勝利を確信した。


 


 と、その時……




「!?」


 

 

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