第18話 浅間 前編
雪代がメンバーに加わり直後にデビューウィンを飾り、その名を全国に知らしめて間もなくであった。
「そういえばもうすぐね」
テストコースの一画に設けられた、ブルックランズのクラブハウスを模したとされるイギリス風の佇まいの東屋で、メンバーがテスト中の休憩で寛いでいた中、紗代が遠い目をしながら独白する。
その様子に佳奈も、
「ああ、そろそろそんな時期でしたか」
と、同調する。
思い出したように翔馬も、
「あそこはまたスリリングなのよね。ここのテストコースには及ばないけど」
だが、新参者の雪代はイマイチピンとこない。まあこの間まで公道ばかりだったから仕方ない面もあるが、英梨花が雪代が?という様子なのを見かねて、あるポスターを手に教えてくれた。
「もうすぐ浅間でレースが始まるのよ。日本最大の二輪レースの祭典といったところかしら。雪代も名前くらいは聞いたことあるでしょ?知らなきゃモグリだわ」
如何にも当時らしい小松崎茂風のイラストが特徴的なポスターを見て、雪代は思い出した。因みにポスターは他にもバリエーションが存在する。
「そうか、もうそんな時期だったか。あたいは観客として見に行ったけどね、確かにバイク好きのお祭りだったな」
バイクで京都から浅間まで遠征しており、現地の熱狂ぶりを思い出す雪代。現在、日本最大の二輪の祭典と言えば鈴鹿8耐を連想するだろうが、当時は浅間だった。
そんな浅間レースの特徴は、当時急速に成長しつつあった国産二輪の更なる進歩と二輪文化を日本に根付かせることを願い、出場メーカー及び部品に至るまで全て国産であることが義務付けられていたことである。そのくらい当時、国産車と輸入車の性能の隔たりは大きかった。
話が少し脱線するが。戦後間もなくGHQによって航空機及び自動車の研究製造が禁止とされ(自動車は昭和25年に全面解除となる。それまではトラックしか認められてなかった。航空機も27年に解除。だが、7年の差は大きく未だ日本は航空機産業に於いては世界でも劣勢のままである)、その中にあって二輪は特段規制されてなかったことや、四輪と比べ部品点数が少なく構造が単純であること、日本の道路事情がまだ自動車を活かしきるには不十分な環境だったこと、何より限られた資材で復興を急がねばならなかったことなどが重なり、ホンダが自転車へ補助エンジンを取り付けて販売を始めたのを切っ掛けにして浜松を中心に全盛期には何と200社もの二輪メーカーが乱立していた。
だが、苛烈な競争の中で次第に淘汰が進み、この頃には既に20社程度になっていたと推測される。当然のことながら生き残ったメーカーは文字通り生き残りを掛けて必死であり、二輪はレースの成績が売り上げ=企業としての存続に直結することからレースには力が入るのも必然で、年を追う毎に日本のバイクは急速に高性能化していくことになる。
「そういえば今年から浅間のコースが大きく変わるのよね」
英梨花が言うように、これまで浅間では未舗装のダートでレースが行われてきた。だが、宍戸重工を筆頭に二輪メーカーや関係各社が資金を出し合って既存のダートコースも一部利用しつつ建設中だったロードコースが完成し、今回がそのこけら落しとなるのである。
ダートコースは公式には使用されなくなるもののライディングテクニックを磨くのに有効だというライダーの声を受け存続することになった。
余談だが、浅間が開催地に選ばれた当初、二輪メーカーだけでなくトヨタや日産などの四輪メーカーにも協力を打診するも、四輪メーカーは機密漏洩などの懸念から参加せずに独自にテストコースを建設したことから当初予定していた舗装路でのコースは実現が遅れることになった。
が、皮肉にも実現の遅れによってダートコースが多くの世界的な日本人ライダー育成に貢献し、後にはオフロードレースや新設コースでトライアルレースも開催されるようになり、また60年代に入ってラリーから本格的にモータースポーツに参戦を始めた日本の四輪メーカーによって、浅間のダートコースは格好の条件を備えたテストコースとして注目されることに。
「ロードコースになると、これまで以上にレースも白熱するわね」
実は去年一昨年と一級車で連続優勝している紗代は、舗装路を舞台とすることで、これまで以上に苛烈な戦いになることを予測していた。
やはり二輪は舗装路でこそ本領を発揮するというのが彼女の考えであり、ライバルメーカーもこれまで以上に高性能化してくるであろうことは容易に想像できたからだ。
また、国産が義務付けられている浅間レースにあって大排気量の一級車及び特級車は国内からの参戦は今のところSSDと陸王及びメグロを買収してブランド名として存続させているカワサキ重工くらいしかなく、出場車が少ないことから興行の都合上例外で海外メーカーの参戦も認めざるをえず、他のクラス以上に苛烈な戦いとなるため、紗代はイヤでも気を引き締めざるをえなかった。
何しろロードレースは欧米が本場であり一日の長もある。日本とは比べ物にならない程の歴史と伝統を誇るだけに、これまでのダートというハンデのある環境に頼ることが難しくなる。
宍戸重工もそれが分かっていたからこそ、これまで以上の高性能モデルの開発を求められ、開発陣は連日徹夜だという。
そして今回、SSDは初めて特級車にエントリーするため1000㏄クラスのレーサーを送り出すことに決めた。実は、去年まで浅間レースに於いて特級車には陸王の名で出場していたカワサキが唯一の国内メーカーであり、残りは全て海外メーカーばかりであった。さすがにこの状況は浅間レースの開催主旨からも大きく外れると宍戸重工も忸怩たる思いであり、その憤慨が1000㏄クラス開発の切っ掛けだったと言える。
でもって、特級車にエントリーするのは既に実績のあった翔馬と、もう一人は公道レースとはいえやはり1000㏄に乗り慣れていた雪代の二人に決まった。
開催が近づくと、3台の日野の大型トラクターに牽引されるトレーラーにマシンと機材の一切が搭載され、レースの開催地である群馬へ向けて出発した。
尚、欧米のレース写真を参考に、SSDではトランスポーターをチームカラーにコーディネートしており、赤を主体としたシルエットは遠くからでも目立った。
高速道路はおろか、国道でさえ舗装率が低い当時の日本の道路事情は今とは比べ物にならない程悪く、トラック輸送だと広島から東京まで二人一組でおよそ4~5日は見なければならなかった時代である。
現地での練習時間なども考慮に入れて開催日の10日前に一行は出発した。
広島から群馬まで、容易ならざる旅である。
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