第16話 スカウト5 嵯峨野雪代 後編

「へえ~、ここが広島か」


 


 早朝に東海道本線京都駅から急行列車『安芸』 (あき)に乗り、およそ8時間煤煙に塗れながら揺られて昼過ぎ、というより午後2時頃、久恵夫人と雪代は広島駅に降り立った。


 


 当時、広島駅は大正時代に建てられ被爆後復旧から徐々に修復した二代目駅舎の時代である。現在の三代目駅舎が完成するのはこれよりまだ9年先のこと。




 広島駅から更に通勤列車に乗り換えて五日市駅で降り、向かった先は宍戸重工本社。


 因みに当時、広島管内はまだ電化されておらず、山陽本線の全線電化は東海道本線に遅れること8年後の昭和39年(1964年)7月25日まで待たねばならない。このため乗って来たのは、電車ではなく蒸気機関車牽引の列車である。寧ろ軽便鉄道にルーツを持つ可部線の方が電化は早かった(昭和3年(1928年)11月9日)。


 可部線が横川駅止まりだったのも、元より軽便接道から出発した影響もだが、こちらは電車なのに山陽本線が電化されていなかったためである。尚、貨物列車は蒸気機関車及びディーゼル機関車牽引だったので渡り線を通って山陽本線に入ることが出来た(可部線の貨物輸送は昭和59年(1984年)1月1日を以て廃止。尚、2月1日には手荷物輸送所謂チッキも廃止)。


 その後、電化されると可部線の山陽本線乗り入れが始まるが、これはその頃になると横川駅が乗り換えのために増加した利用客で溢れかえり危険な水準に達していたことなどから、広島方面に向かう乗客を可部線の電車で向かわせる方が混雑緩和につながるという判断もあったと思われる。しかし、それでも尚暫くの間横川駅止まりの便も多く、全便広島駅乗り入れとなるのは平成3年(1991年)3月16日からである。


 因みに今も広島のラッシュ時は広島駅より横川駅の方が混雑している印象が強い。


 


 五日市駅からも宍戸重工本社のシルエットが伺え、さすがの雪代も本社を間近にして、まるで難攻不落の要塞のように見えてつい身構えてしまう。彼女のように普段啖呵切って強がってても緊張を隠せないのを見て取った久恵夫人は柔らかな声で落ち着かせる。


「まあ、そんなに固くなって。大丈夫ですわ、決して取って食おうって訳じゃないんですから」


 宍戸重工と言えば、戦前から世界でも最先端の技術力を誇る数少ない日本企業としてその名を全国に知られており、旧家育ちの雪代もその名声を知っているだけに緊張するなというのが無理だろう。




 守衛に軽く会釈して正門を潜り、まず向かった先は、社長室。仁八への挨拶である。宍戸重工の社長に挨拶に向かうこともまた、もう一つの伏線であった。


 社長室の前で立ち止まり久恵夫人が重厚な木製の扉をノックすると、仁八の声が聞こえ中に入る。


 そこは大企業の社長室らしからぬ程質素であり、来賓に失礼のない程度の最小限度の豪華さであり、傷みが散見される年季の入った机の向こうに、宍戸重工を率いる仁八の姿があった。


 当人はこの時38歳で快活そうな若手社長といったところだが、雪代は戦慄していた。


(こ、この人、これまで想像を絶する修羅場を潜り抜けて来たに違いない……)


 当人も公職追放による迫害やケンカなどを通じて一般人と比べそれなりに修羅場を見て来ている方だが、仁八から発散する同類のオーラはケタが違った。雪代にはそれがよく分かる。


 そのオーラに気圧され、極度の緊張のために雪代は挨拶でミスってしまった。


「お、押忍、嵯峨野雪代だ、宜しく!!」


 極度の緊張の所為とはいえ、大企業の社長でなくても目上の者にこんな挨拶をするなんてトンデモないことだが、仁八はそんな雪代を呵々大笑して寛容に接する。


「ハッハッハ。これはまた随分と気合の入った新人じゃないか。久恵も将来が楽しみな逸材を見つけたものだ」


「そうね。これから受けるテスト次第だけど、社長に気に入ってもらえて、一次審査は合格といったところかしら」


 無論、二人とも雪代に悪意はないことなど承知の上で笑って許しているのだ。同時に二人の度量と器の大きさが伺える。


 この時、緊張のせいか雪代は二人の遣り取りが意味することに気付いていなかった。




 そして次に案内されたのは宍戸重工本社からおよそ2㎞離れた所にあるテストコースである。正式名称は鈴ヶ峰テストコース。


 今から2年前に山間部に作られた全長5㎞強のコースは海外の様々なサーキットを参考に、元々宍戸家の所有する土地に建設されたもので、当時日本で数少ない完全舗装コースであった。


 山間部の地形を活かしたアップダウンの激しいテクニカルセクションと後半の高速セクションから成り立ってはいるが全体に平均スピードは高く、ライダーにとってもマシンにとってもハードなコースである。


 また、ロードコースのみならずダートコースも完備されていた。後にダートコースも拡張され、オフロードモデルやトライアルモデルの開発に大いに貢献することに。加えて彼女たちはこのダートで練習することも多かった。


 尚、ここでバイクのみならず後にモペットから派生した自転車もテストされている。


 最高速度を始めとした純性能テストに関しては谷田部自動車試験場か、もしくは三次に建設されたマツダのテストコースを借りて行っている。


 当時、戦前に建設された日本唯一の常設サーキットであった多摩川スピードウェイが諸事情により廃止となったこともあり、実は非公式ながらこの鈴ヶ峰テストコースは鈴鹿サーキットが誕生するまで日本唯一の常設サーキットでもあったと言える。実際、レース開催も視野に入れて建設され付帯施設も非常に充実しており、海外の伝統あるサーキットの水準を満たすことを意識していた。


 また、コースの舗装データは本田技研が後に鈴鹿サーキットを建設する際参考にしたいと申し出たことがあり、仁八は惜しげもなくそれを快諾している。


 まだ高速道路もなかった時代であり、舗装データは日本にとっても極めて貴重なもので、日本の道路の舗装整備にも幾分か貢献しているという。


 後々自分の敵を増やす行為であるが、仁八は広い視野で物事を考え、日本にモータースポーツを根付かせるためにもその協力者として支援を惜しまなかった、真の意味で度量と器の大きな人物であったと言えよう。


 


 雪代は初めて見る舗装されたコースに圧倒される。


「す、すげえ。こんな場所があるだなんて。そりゃSSDが強い筈だよな」


 と、圧倒され気後れしているのも束の間、背後から突然文字通り雷鳴が轟いたかのようなカミナリ族の比ではないサウンドが雪代の耳を直撃した。しかし、雪代にとっては決して不快なサウンドではない。甲高くもオーケストラのように整った音は、これまで聞いたことがない程完成度の高いものであった。


 振り向くと、その甲高いオーケストラの正体が明らかに。それは、後に紅き疾風と呼ばれ世界を席巻することになるSSDのワークスマシンである。


 メカニックが時折アクセルを吹かしてエンジンの調子を確認している中、マシンにコーディネートするかのように鮮やかな赤をベースにしたツナギに身を包んだレーサーが現れた。五島紗代、大間佳奈、調布英梨花、西原翔馬の女の子ばかり4人である。


 そして雪代の姿を認めるや、開口一番に言い放ったのは紗代。


「へえ~、これまた鼻息の荒そうなのが来たじゃない」


 更に翔馬も、


「早速かわいがり、もとい御手並拝見と逝きましょうか」


 無論、英梨花と佳奈も注目していた。




 役者が揃ったところで久恵夫人が説明に入る。


「雪代さん、今回貴女には彼女たちと同じマシンでこのコースを走ってもらいます。それで自身が井の中の蛙であることを知りなさい」


 雪代はそう言われてあの時の親が言わんとした意図を理解したのだった。


「けっ、要はあたいをここで散々に打ちのめしてもらってバイクから降りてもらおうって算段かい。それなら猶更血が騒ぐってもんだぜ、上等じゃねえか」


 この時雪代は内心ビビっていた。しかし、強大な敵を目前にすると反ってアドレナリンが噴出しまくる体質であることを両親は計算に入れてなかった。




 そして、同じくSSDのツナギに着替え、初めてのフルフェイスヘルメットに戸惑いながらもSSDのワークスマシンに乗ることにビビるどころか雪代は既に戦闘モードに入っていた。


 これから自分が乗るべきマシンを目前に、冷静に見回す雪代。


(これが、生粋のレーシングマシンか。これまで乗ってきたのとはやはり大きく違うなあ)


 カウルを纏ったバイクは当然これが初めて。更にこれまで雑誌の写真でしか見たことがないレース仕様の部品が装着されているのを見て、冷静な中にも血が騒ぐのを感じていた。


 と、後ろから雪代に促すかのように声が掛かる。


「準備はいいかしら?」


 後ろを振り向くと、雪代の対戦相手が跨り準備に入っていた。


 先導及び対戦を買って出たのは何と翔馬。まさか、自分と同じく元公道レーサーが相手になろうとは。


 二台は係員の誘導に従ってピット出口へ向かう。


「それじゃあ、簡単に説明するわ。マシンのセッティングはどちらも同じにしてある。但し、シフトは正シフトではなく逆シフトになってるから。レースは5周するけど、いきなり本気モードは危なすぎるし、貴女がコースを知らないのはハンデだから、これから5周してコースを覚えてもらうわ、ついてきてね」


 そう言って翔馬はバイザーを閉じると、流すようなスピードでコースに入っていく。すかさず雪代も追随していくのだった。因みに逆シフトとは通常とは逆に左足のチェンジが踏むとシフトアップするようになっている。レースでは加速の方が重要なので、バンク時でも踏み込むだけでシフトアップできる上、通常でも素早いシフトアップが可能な逆シフトの方が好都合だ。


しかし、公道では予期せぬ事態に遭遇した際素早く停止できる方が重要なので、安全面から正シフトでは踏むとシフトダウンするようになっている。上述の理由とは真逆なのである。


 やり方自体は簡単で、シフトのリンケージの向きを上下逆に変えれば済む。尚、正シフトでもトップクラスのライダーは少なからずいるので(クリスチャン・サロンなど)、単に嗜好の問題だという人もいるが、レースでは逆シフトが主流といっていい。


 


 その様子を見守っていた英梨花は独白した。


「こりゃ面白い展開になりそうね」


 更に佳奈も、


「確か翔馬さんも草レースのみならず公道レースもしてたし、差し詰めカミナリ族対決といったところかしら」




 コースは右回り。ピットを出てホームストレートからスタート時の混乱を避けるための緩い第一コーナーを回った直後にテクニカルセクションに入る。因みに1コーナーから連なる2コーナーは徐々に半径が絞り込まれていく構造になっており、1コーナーと2コーナーは一つの複合コーナーと見做して走らないとタイムは望めない。実は変則ヘアピンとも言える。


 2コーナーから次のテクニカルセクションに入ることを知らせるかのように再び緩いカーブを経ていよいよテクニカルセクションへ。洗礼は半径の異なるS字セクションが下りながら三連続するその様子から後に知恵の輪と呼ばれる。


 知恵の輪を抜けると今度は緩いカーブながらも上りに入り、そしてテクニカルセクションのクライマックスへ。それは上りの終点から一気に16mも下る別名滝落としで、地形の関係上開始地点が見えない上、シケイン状になっていて素早い切り返しが要求される。その上滝落としの終点は逆バンクに見えるため視覚的な恐怖感に加え、実際コントロールも非常に難しい。このコースで最も難易度の高いセクションと言っても過言ではない。


 ラグナ・セカのコークスクリューをイメージしてもらえればいいだろう。


 滝落としまでテクニカルセクションは全く気が抜けず、ここをどれだけ速くクリアしていけるかが次の高速セクションにも響く。


 テクニカルセクションの終了を告げるかのように再び緩いカーブがあり、ここで一息つくといよいよ高速セクションへ。


 立体交差の短いトンネルを潜り抜けると前半と打って変わってアクセルコントロールのみで抜けていく度胸試しのような緩いカーブからどれだけスピードに乗せられるかが勝負であり、およそ1000mのストレートから160Rと呼ぶ度胸試しの緩い超高速コーナーを経てシケイン、そして加速を促す緩い最終コーナーを経てホームストレートに戻る。


 


 どこをとってもミス一つ許されない非常にシビアなコースであり、一つのミスさえも次にホームストレートに戻るまで取り返すことのできない超ハードコースであった。


 しかも、この間コースを先導している翔馬は流すつもりで走っているとはいえかなりのスピードであり、雪代も最初はついていくので手一杯だったが、二周、三周と徐々に慣れてき始めた。


「フッ、初っ端から随分なスピードじゃねえか。だが、こうでなきゃ面白くねえ。これでレーシングスピードに入ったらどんなことになるんだろうな」


 アドレナリンが大量放出されているのか、雪代はこれまで経験したことのないスピードとハードなコースにも関わらずビビるどころか寧ろ翔馬を負かしてやろうという気満々であった。




 一方、先導している翔馬も時折振り返りながら、


「流すと言いつつ結構なスピードで走ってるんだけど、意外にも追随してきてる辺り、並の腕じゃないわね。さすがはおばさまが見出しただけのことはあるってか」


 事前に自分と同じく公道レースに明け暮れていたという情報を知らされていたので、嘗て自分もそうであったことから興味を抱き先導と対戦を買って出たのであるが、こうやって走ってみて侮り難い相手であることを認識するのだった。


「さて、いよいよ本気を出しますか」


 前周にピットから先導が終わることを告げるサインが出たので、翔馬は準備に入る。といっても頭のスイッチを切り替えるかの如くレーサーモードに入るだけなのだが。


「このスピードについて来れるかしら?」


 最終コーナー直前、左手を上げていよいよだというサインを送り、ホームストレートに入ったところで一気に加速し、ローリングスタート形式でレースが始まる。




 尋常でないスピードであるが、雪代も引き離されまいと夢中でアクセルを開ける。


「うおおっ、な、なんだこりゃ。さすがはワークスマシンは一味違うぜ」


 アクセルを開けた瞬間、これまで経験したことのない、ハンドルをしっかり握ってないと後ろへ吹き飛ばされそうになる強烈な加速感。前輪がウイリーしそうになるが、長身によるテコの原理を生かして無我夢中で押さえ込む。


 実は当人は無意識ながら巧妙な荷重コントロールで先の流しの間に初めてのマシンを次第に乗りこなしつつあった。それは、眠れる天性の開眼であったかもしれない。


 


 ピットからその様子を見ていた皆さんも、


「あの雪代とかいうの、意外とやるじゃない。翔馬についていくのは容易じゃないのに」


 そう、4人とも国内の草レースではトップクラスのライダーなのだが、その中でもやはり西原翔馬は一頭地抜けていた。特に一旦引き離し始めると差を詰めるのが容易じゃない。典型的な逃げ切りライダーでもあった。


 そして、実はこれこそがWMGPでも展開されることになる翔馬と雪代のライバル対決の始まりであったと言える。




「くっ、なかなか引き離せないわね。もしかして、彼女は徐々にマシンの感覚を掴み始めてきたかしら!?」


 翔馬は既に本気モードなのだが、雪代はその本気モードの翔馬に見事に追随している。特にストレートエンドからコーナー入り口までの間でのブレーキコントロールが秀逸であり、それは差し詰めケビン・シュワンツを彷彿とさせる。


 まさにウェイン・レイニーVSケビン・シュワンツといったところか。


 尚、コーナリング時にハングオフスタイルなのも共通していたが、ブレーキング時、翔馬は旋回性重視で素早く動けるようにコーナー内側の膝をつきだす所謂三点姿勢なのに対し、雪代は安定性重視で膝でタンクをガッチリ挟み込む四点姿勢という違いがあった。


 また、その後世界で戦っていく上でライダーによってセッティングの志向が大きく異なり、エンジンマウントからステップ、更にタンクまで高め低めとか前寄り後ろ寄り、長い短いと様々なパーツが準備されるようになっていく。




 つかず離れずの接近戦に縺れ込んだまま、ファイナルラップへ。互いに夢中で抜きつ抜かれつのデッドヒート。鋭い旋回で翔馬が引き離したかと思えば、雪代はそのブレーキングで詰め寄り時に翔馬の前に出ることさえあった。


「残すは滝落とししかないわね。ここを如何に素早く切り返して引き離せるかが勝負だわ」


「ケッ、あの滝壺を思わせるような場所で引き離すつもりか!?そうはさせねえぜ」


 共にアドレナリン全開、集中力を最大限に高め滝落としに突入していく。翔馬はこれまで以上に細心の注意を払いながら繊細なアクセルコントロールを駆使しつつ素早く滝落としを抜けていく。だが、そうはさせじと雪代もこれまで以上にギリギリまで踏ん張りながらそのブレーキコントロールで接戦に持ち込む。


 度胸試しの160Rを経て再びシケインで並ぶと雪代は翔馬のスリップストリームに入ることに成功した。


 最後のホームストレートでアクセルを全開にして雪代が前に出た。そしてチェッカーが振られる中、半車身差でゴール。速さでは翔馬が上回っているが、雪代は勝負強さで翔馬を上回っているようだった。


 この時、雪代はこれまで感じたことのない余韻に浸っていた。


(こりゃすげえ、こんなに面白いレースは初めてだ。ここに入れば、毎日こんなことが出来るのかよ)


 それは、嘗て京都の山間部で死と隣り合わせのスリルを味わっていた時でも感じられなかった。同時に、これ程のマシンに乗れるなら、全てをかなぐり捨ててもいい、どんな苦痛にも耐えられると思った。どんなにストイックになることだって出来ると思った。


 それ程までに、SSDのマシンは雪代を魅了したのだった。




 やがて、互いの健闘を讃え合うようにスローダウンしながら二台が並んでピットに戻って来た。


 互いにヘルメットを脱ぐと、疲れ切っていながらもその表情は清々しさに満ちていた。


「ふっ、やるじゃない。負けは負けだけど、あんなブレーキング見せられたらこっちも反って清々したわ。それに、面白いレースだったわよ」


「そっちこそ、こんなに速い相手は初めてだったぜ。あのブレーキングはイチかバチかの賭けだったんだ。だから仮にそれが原因で転倒しても惜しくもないレースをしたつもりだったし。そうまでさせてくれる相手なんて初めてだった。にしても、こんな充実感は生まれて初めてだぜ」


 そう言う雪代に、不良少女の面影はもうなかった。そこへ久恵夫人が近づき、笑顔でこう言った。


「テストは文句なしの合格ね。今日から貴女は、プロのレーサー、SSDワークスの一員なのよ」


 そう言われて、雪代は全てを理解した。実は、雪代の両親が娘をバイクから引き離すための口実を依頼した時、事前に雪代の様子を見ていた久恵夫人は、彼女に天性のの素質を見出していたのである。そのため所謂テストをこのような形で受けさせたのだ。


 メンバーの中で最も速い西原翔馬に競り勝ったのだから、これはもう文句なしに合格である。


『そういう訳で、宜しくね。SSDへようこそ!!』


 一瞬躊躇するも、促されるように四人と手を取り合う雪代。この瞬間、公道レースに明け暮れていた雪代は、カミナリ族を卒業したのだった。


「皆、いいのか?あたいのような不良を仲間に引き入れちまって」


「今のアンタの顔は不良じゃなくもうレーサーの顔じゃないの。今日からSSDのメンバーとして一緒に頑張りましょ」


「す、済まねえ。それじゃあ、改めて宜しくな」


 瞳に薄らと涙を浮かべながら、改めて四人と手を取り合う雪代。それは、当人にとって初めて自分を受け入れてくれた仲間であり、自身の居場所を見つけた瞬間でもあった。




 その後、これは自分なりのケジメだと雪代は一旦京都に戻った。実家で雪代は両親に言い放った。


「親父、御袋、もう、カミナリ族は止めることにしたよ。あたいは、自分の進むべき道を見つけたんだ」


 それに対して両親は何も言わなかったが、まるで覚悟していたかのように笑顔であった。レーサーは危険な職業だが、折角自身が生きるべき道を見つけた以上、水を差すことはするまいと、敢えて笑顔で娘を見送ることにした。 


「そうか」


 それまでの公職追放による迫害の名を借りた暴走行為は、実は雪代にとって親との一種のコミュニケーションだったのである。そこからの卒業でもあり、和解でもあった。




 その日の夜、山間部のいつもの場所に集まった仲間に対して、雪代は解散を宣言した。


「皆、あたいはプロのレーサーとしてスカウトされることになった。将来は世界でも戦ってみせるよ。カミナリ族は今日を以て、卒業さ。身勝手なこと言って済まねえ」


「ナニ言ってるんスか。ボスがプロのレーサーになるだなんて、こんな目出度いことはないじゃないですか」


「そうですよ、例え解散しても、あたしたちはずっと応援してますから」


「あ、ありがとう、皆……それじゃあ、これで解散だ。もう、あたいはお前らの方を振り向いたりはしないぜ」


 そう言ってバイクに乗り、颯爽と去っていく雪代。その瞳には、薄らと涙が浮かんでいた。それは、これまでの自分に対する決別の涙であり、同時にこれまでの自分への別れを告げることへの寂しさの涙でもあった。


 実は、雪代は普段は強がってはいるが、本心では寂しがり屋だったのである。




 こうして、全ての気持ちに整理をつけ、スッキリした気持ちで新天地広島に向かい、雪代はSSDのレーサーとして新たな一歩を踏み出したのだ。


 


 その後、雪代はシルバーをベースに流れ星と市松模様を描いたハデなデザインのヘルメットが贈られ、以降トレードマークとなる。


 


 ついでに、直後の国内レースでは見事優勝し、鮮烈なデビューを果たした。


 

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