第15話 スカウト5 嵯峨野雪代 前編
昭和31年(1956年)京都。
この年、戦前最高の昭和15年(1940年)のGDPを上回ったことから政府が経済白書で『もはや戦後ではない』と発表した。つまり、この年を境に日本は次なる段階に入ったことを国民に意識させる意味があったとも考えられる。
実際、これを機に日本は昭和48年(1973年)まで続く高度成長期に突入していくことになり、国民生活及び周囲の景観は目に見えて変わっていくことになるのだ。
しかし、ここにそんなことなど何処吹く風の少女がいた。
京都の山中に、カミナリの如く今日もスピード感あふれる爆音が轟く。
「いやっほぉう!!」
「ひゃあ~、この開放感、こたえらんねえ」
「周りはガタガタ言いやがるけどよお、別に街中で迷惑掛けてるわけじゃねえんだ、放っといてくれってよなあ」
開放感に酔い痴れるように曲がりくねった山間部を猛スピードで攻め、死と隣り合わせのスリルを味わう。
夜が明ける頃、メンバーは解散となり家路へ。所謂朝帰りである。
その内の一台のバイクが帰り着いた先は、如何にも豪邸といった風情の純和風の屋敷であった。ヘルメットを脱ぐと、長い黒髪が明けたばかりの陽光を反射しながら黄金の泉を思わせるかの如く零れ落ちる。しかし、その前髪で顔の右半分を隠したような髪型は不良少女そのもの。長身に加え端正だがやや大きめであるものの釣り目気味の切れ長の瞳と勝気そうな顔立ちもその雰囲気を増長させている。意外にも色白できめ細かい。
彼女の名は、嵯峨野雪代 (さがのゆきよ)。当時15歳。嵯峨野家と言えば、京都では十指に入る名家である。そう、彼女はお嬢様であった。
重厚そうな格子状の木製の引き戸を開け、さも当たり前のように「ただいま~」と挨拶と共に家に上がる雪代。その際脱いだブーツはきちんと揃えている辺り、親から厳しく躾けられたことを物語る。
と、家に上がった雪代をお手伝いさんと思しき割烹着姿の初老の女性が迎える。しかし、急ぎ足の音が奥からしたことや、その表情からして雪代は何か只事じゃないなと思った。案の定、
「お嬢様、御両親が話があるそうです。居間にお急ぎくださいませ」
「なんだよかったりい。これから寝ようと思ってたのによ」
雪代は悪びれる様子もない。実は何度も親に呼び出されて既に慣れっこになっていた。しかし、それでも女特有の勘から、今日のお説教はかなりヤバそうだと感じてもいた。
促されるまま、ツナギは一応着替えてこの純和風の家で珍しい和洋折衷の居間に向かうと、そこには両親と、見知らぬ女性がいた。そして、雪代の姿を認めるなりその女性は軽く会釈。雪代も一応会釈して最低限の礼儀は通す。
両親はこれまでにも増して厳しい表情だ。
全ての役者がテーブルに就いたところで、この家の家長でもある父が重々しい声で話し始める。
「話というのは他でもないんだがね、雪代、この女性に広島に連れて行ってもらって、今までの自分の愚行を反省してくるがいい」
そう聞いて、意外だと思う雪代。これまではカミナリ族をしていることを散々咎めては最後に雪代がこう言って締めくくっていた。それは……
「けっ、てめえよお、いつまで大銀行の頭取気取ってやがんだ。今じゃ地方銀行の頭取のくせによお!!」
それを言われると、父も何も言えなくなるのが常だった。
その原因は何なのか。それは、公職追放である。
公職追放とは、戦後日本に於いてGHQによって行われた日本の各界の要人に対する追放令であり、ある意味日本解体の一面を持っていた。
因みに公職追放の対象者は以下の通りにカテゴライズされる。
1.戦争犯罪人 A項
2.陸海軍の職業軍人 B項
3.超国家主義団体等の有力分子 C項
4.大政翼賛会等の政治団体の有力指導者 D項
5.海外の金融機関や開発組織の役員 E項
6.満州・台湾・朝鮮等の占領地の行政長官 F項
7.その他の軍国主義者・超国家主義者 G項
嵯峨野家は室町時代から続く京都屈指の名家であると同時に、雪代の父は嘗て大銀行の頭取であり、京都でその名を知らぬ者はいない程の名士であった。
だが戦後、金融機関として満州や朝鮮に出資したことを咎められ、5のE項に該当するとして昭和21年(1946年)公職追放となる。しかし、国際情勢の急変や、またそれ程徹底されたものではなく、結果として僅か5年後の昭和26年(1951年)には追放解除となる。
けれども公職追放によって嵯峨野家の家柄は汚れ、京都財界は真相を理解していたからこそ復帰を請い、結果バラバラに解体された大銀行の残滓の一つである京都の地方銀行の頭取として復職し、その手腕を以て当銀行を順調に発展させていたものの、世間の目は冷たかった。
当人はこれでもそんな父への最低限の思いやりなのか、自分が近所から迫害を受けてきたことを語ろうとはしないが、公職追放が雪代の幼少期に於いて大きな影を落としたのは間違いない。
実際、雪代との間では近所ゲンカが絶えず、当人も小学生の頃から問題児扱いされていた。
しかし、雪代は自分から決して手を出さないことについては両親も信用していたものの、大抵仕掛けた方がケガを負う上、公職追放の家に対する世間の冷たい目から、決まって雪代が悪いという方向になってしまう。それでも雪代も『てめえのせいだろうが』と言ったことはなく、一線は引いていたようである。
その後、長じると居場所を見つけたかのようにカミナリ族に身を投じるようになる。両親が問題視しつつも雪代に強く言えないのは、自身の公職追放がどれだけ娘に影を落としていたかを分かっていたからであり負い目に感じていたからである。
だから時折咎めつつもバイクを取り上げようとまではしなかった。
だが、噂によると、時にチキンレースを展開して一生モノの後遺障害に苦しんでいる者が出ていることを聞き及ぶに至り、このままでは雪代は警察に捕まる可能性さえあり、それこそ当人の一生に取り返しのつかない影を落としかねないと、知り合いを通じてSSDの久恵夫人に雪代を更生させるべく、ある提案を持ち掛けたのだ。
それは、一種の賭けであった。
父が件の女性を紹介する。
「この御方は宍戸重工で現在SSDというレースチームを率いている久恵夫人だ。お前ならSSDの活躍を聞いたことくらいあるだろ」
そう聞いて、雪代は一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。まさか、SSDの関係者と間近に出来るとは思ってもいなかったから当然だろう。
「ああ、知ってるぜ。過去にはブラジルのレースにも出てるし、国内の重量級では向かうところ敵なしだしよお」
相変わらずの雪代の言葉の汚さにそれまで黙っていた母も嗜める。
「雪代、何て口を利くの!!」
しかし、久恵夫人は意に介さず笑顔で返す。
「まあ、我々の活躍を知っていただいて、大変光栄ですわ」
「そりゃバイクに乗ってるヤツでSSD知らねえヤツはいねえよ。それがあたいの愚行の反省とどう関係あんだよ」
粋がる雪代だが、久恵夫人は全く動じることなく話を続ける。
「まあ、そのくらい鼻息が荒くないと、世界なんて戦ってはいけませんわ。他でもありません、貴女に真の走りとはどういうものかを、我がSSD自慢のメンバーと対戦して体現していただきたいのです。そこで自身の井の中の蛙振りを知れば、きっと考えを改めると確信しています」
そう言って、雪代に向かってまるで何かを確信したかのような笑みを浮かべる久恵夫人。それは、実は一種の伏線だったのだが、その提案に雪代はこの時点では、
「おもしれえ。自分の腕前がどんだけ通用するか試すのも悪くねえってか」
くらいにしか考えてなかった。
実は、既にこの時京都に於いて公道で自分に敵う相手がいないことに不足を感じていた雪代は、その話に乗った。既に久恵夫人に乗せられているとも知らず。
翌日、京都駅にて久恵夫人と共に車中の人となった雪代がいた。両親兄弟が見送る中、列車は汽笛と共に徐々に京都駅を離れていく。手を振る雪代は無邪気なものである。まさか、これが自身の運命を大きく変えることになるとも知らず。
そして列車がホームを完全に離れた後、父は手を振りながら呟いた。
「できれば、これを機に娘にはバイクを降りてほしいものだ」
実は、両親が久恵夫人に雪代を紹介したのは、雪代に自分よりまだまだ上がいることを悟らせ、暴走行為のバカバカしさを知ることでバイクから降りてもらうことにあった。
だが、その声にはまるでそれは叶わぬかのような諦念の感が籠っていた。皮肉にも父の予感は後に的中し、これを切っ掛けに雪代はグランプリレーサーへの一歩を踏み出すのだ。
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