第4話 不死鳥

「ああ……な、なんてことだ。広島が、美しかった、あの広島が……」


 原爆投下から二日後、一人入市した仁八が見たのは、変わり果てた広島であった。入市した目的は無論未だ安否不明の両親を探すためだが、僅か二日前に両親が向かった産業奨励館は、嘗ての美しい姿は微塵もなかった。


 


 仁八にとっても幼少期には何度も通った思い出の場所であり、広島の産業の研究及び商工業の調査を行う行政機関であると同時に様々な催し物の会場ともなっており、広島の文化産業を支えた建物でもあった。


 通常背面になる筈の川面に正面を持ってきていた珍しい配置であり、竣工当時は広島では非常に珍しい西洋建築であったが、歳月の経過と共に広島の風景に違和感なく溶け込んでいった。


 


 建物に面した元安川ではカキ船が浮かび川遊びをする子供で溢れかえるのが夏の風物詩であり、その背景で産業奨励館は非常に映えた。また、多くの人がこの建物を待ち合わせ場所にもしていた。実は、仁八が今の妻である久恵との見合い代わりの顔合わせをしたのもここでの待ち合わせであり、思い入れの深い場所だったのである。


 


 それが、あの日に何もかも一瞬にして吹き飛んだのであった。




 周囲では救護活動が行われており、そしてあちこちに黒焦げ、或いは灰、もしくは骨だけとなった遺体が散乱しており、川にも無数の遺骸が浮いていて腐敗の過程で生じたガスが圧力に耐えきれなくなって限界まで膨らんだ腹から噴き出す音が聞こえ、周囲に想像を絶する悪臭を放つ。


 想像を絶するなどという表現ですら表現しきれない、恐らくは地獄すらマトモに思える光景が、そこにはあった。




 仁八はその日一日産業奨励館とその周囲を探し回った。いる筈のない両親を探すため。だが、仁八も内心は分かっていただろう。両親の生存が絶望的なことは。あの日、恐らくは120人はいたと思われる職員と共に両親は影一つ残すことなく蒸発したのである。


 しかし、そうは割り切れないのが人間の感情だ。仁八は、廃墟と化した産業奨励館で一人佇み一夜を明かした。まるで嘗ての思い出に浸るかのように。この時、仁八の脳裏にはここでの数々の思い出が走馬灯のように浮かんでいた。


 幾何学模様を思わせる螺旋階段とステンドグラスを介して差し込んできた陽射しが作り出す幻想的な光景、全国菓子博覧会、二科展、常設の広島物産陳列はいつ見ても飽きることがなかった。最上階の展望室から一望した広島市、三階の喫茶店のココアが楽しみだったこと、ストリートオルガンをしばしば手回ししてその音色に聞き入ったこと……


「父さん、母さん、オレのこんな姿は望んでないだろう。つくづく言ってたよな。我々産業人は、如何なる時も人々のためにどんな艱難辛苦に遭遇しようとも前に進んでいかねばならないと。だが、今日だけは、今日だけはこうしているのを許してくれ……」


 そう言って階段室だった場所の一角に背を預け、骨組みだけとなったドームから星空を見つめる。その瞳から、止め処なく涙があふれる。まるで、これ以降泣くまいと涸らしきろうとするかのように。




 広島への原爆投下から三日後には長崎にも原爆が投下され、更にその六日後……




『朕ちん、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ。


 朕は帝国政府をして米英支蘇べいえいしそ四国しこくに対し、その共同宣言を受諾する旨むね通告せしめたり。




 そもそも帝国臣民の康寧こうねいを図り、万邦共栄の楽たのしみをともにするは、皇祖皇宗こうそこうそうの遺範いはんにして朕の拳々(けんけん)おかざるところ。さきに米英二国に宣戦せるゆえんもまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾しょきするに出で、他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず。




 しかるに交戦すでに四歳しさいを閲けみし、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるにかかわらず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず。しかのみならず敵は新たに残虐なる爆弾を使用してしきりに無辜むこを殺傷し、惨害の及ぶところ真しんにはかるべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか、ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却はきゃくすべし。




 かくのごとくは朕、何をもってか億兆の赤子を保ほし、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応じせしむるに至れるゆえんなり。


 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず。


 帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命にたおれたる者および、その遺族に思いを致せば、五内ごだいために裂く。かつ戦傷を負ひ、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念しんねんするところなり。




 おもうに今後、帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず。なんじ臣民の衷情ちゅうじょうも朕よくこれを知る。しかれども朕は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。


 朕はここに国体を護持し得て、忠良なるなんじ臣民の赤誠せきせいに信倚しんいし、常になんじ臣民と共にあり。


 もしそれ、情の激するところみだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠はいせい、互いに時局をみだり、ために大道を誤り、信義を世界に失ふがごときは朕最もこれを戒む。




 よろしく挙国一家、子孫相あい伝え、かたく神州しんしゅうの不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操しそうをかたくし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。


 なんじ臣民それよく朕が意を体たいせよ』




 昭和20年8月15日正午、裕仁親王(昭和天皇)の大東亜戦争終結ノ詔書の玉音放送が発信され、ここに戦争は終わった。


 宍戸重工本社に集まっていた仁八以下重役陣は、全てが終わったことを悟り、悲しみとも安堵ともつかぬ涙を流す。




 翌日朝、改めて集まった中で重役の一人が仁八に対して報告を行う。


「東京、大阪、名古屋、横浜を中心に、24か所の工場並びに支社、出張所が被災損害を受けました。しかし、この本社と広島の主力工場は幸いにして焼け残り被害も軽微です。工場機能に支障はありません」


 更にその重役は続ける。


「確かに広島市中心部は灰となりました。しかし、幸いにも広島の工業は郊外に分散していたため呉と福山を除けばほぼ無傷で残っています。我が社と並ぶ広島最大級の会社である東洋工業(現マツダ)もあの日の勤労奉仕で200名の従業員を失うも、会社は全くの無傷だそうです」


 そう聞いて、誰もが灰となった広島に一筋の光明を見出したような気がした。同時にこれからどうするべきなのか、そう考えると絶望感に圧し潰されそうになる。何しろ全国が空襲で焼野原と化しているのだ。誰もがまだどう動くべきか分からなかった。


 しかし、そんな中で仁八は言い放った。


「我々産業人に、悲しんでいる暇も止まっている暇もない。我々がこれから為すべき仕事は、灰となった広島を蘇らせることだ。それこそが犠牲となった方への、最大の餞となる。生き残った我々が、いつまでも悲しみに暮れている姿を犠牲となった方が望むだろうか。不死鳥は、寿命を迎えると自ら火に飛び込んで再び蘇るという。灰の中から不死鳥の如くもう一度起ち上がろうじゃないか。再出発だ、全従業員に伝えよ!!」


 仁八に檄を飛ばされ駆けだしていく重役陣。誰もが分かっていた。この中で最もつらいのは会長夫妻を失った社長当人であることを。或いは、そんな自分を奮い立たせるために自身に対して発破を掛けるためにそう宣言したのだと。社長がここまで肚を決めている以上、もう、後戻りはできない。




 前に向かって進むしかないんだ。あの不死鳥の如く灰の中から蘇ってみせる。誰もがそう胸の内に言い聞かせ、宍戸重工と、そして広島及び日本の復興を誓うのだった。


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