宴の始まり

「ゲン様……と、仰いましたか。私はここの長老のイスカと申します。叶うのであれば、あなた方を歓迎したい。今からうたげを始めるので、どうか参加してくださらんか」


 俺がアトリの縄を解いている中、長老が言った。


「それは有り難い。お言葉に甘えて、我々も参加させて貰おう。あなたたちに聞いておきたい事もある。……ユヅル、そっちの縄はどうだ?」


「い、今解けたっ!」


 縄を解かれたアトリはすぐに姿勢を正した。縛られていた腕や足は、まだまだ痛いはずなのに……


「——ユヅル様、ありがとうございました」


 アトリはそう言うと、深々と俺に頭を下げた。



 自由になった二人と共に、俺たちは泥濘ぬかるみ始めた坂を下りる。いつ足を滑らせてもおかしくない状況だが、シューズの性能が良いのか非常に安定していた。


「さっきはありがとう、本当に助かった!」


 クイナがすぐ側に来て言った。


「いやいや、俺は何も……お礼ならゲンにでも……」


「分かった後で、ゲンにも——」


 話の途中でクイナが足を滑らせた。咄嗟にクイナの腕を掴んだおかげで、間一髪、クイナの転倒は免れた。


「——おお、焦った。アハハ、何度もありがとう。……ずっと縛られてて、足がおかしくなってるのかもな」


 そう言うと、クイナは俺が掴んだ腕をそのまま離さなかった。また、足を滑らせるかもしれないからだろうか? 二人は腕を組んだまま、一緒に土手を下りきった。


「クイナ……そろそろユヅル様から離れなさい。困ったお顔をされているでしょう」


 先に土手を下りていた、アトリが言った。


 困ったお顔か……


 中3の秋に、当時付き合っていた彼女と手を繋いだのが、俺の女性経験の全てだ。正直、女子と腕を組んだ事なんて無い。俺は今、どんな顔をしているのだろうか……


「そうだぞ、クイナ。お前たちが軽々しく名を呼んだり、触れたり出来る方々じゃない。離れなさい」


「フンッ、分かったよ……」


 クイナは不満げにそう言い、俺の腕から離れた。


 この二人は、どのようにして生け贄に選ばれたのだろうか。アトリはともかく、クイナの方は、力尽くで縛られたのかもしれない。



***



 俺たちは屋根だけが付いた、村の大きな集会所に通されていた。


 壁の無い質素な作りではあるが、堅牢な作りであることは素人目にも分かる。木製の屋根は雨に打たれ、バリバリと大きな音を立てている。


「……なあ、ゲン。1万年前って思ったより進んでたんだな。皆、それなりの服を着ているし、照明なんかもある」


 俺はゲンに聞いた。長老たちは宴の準備があるのか、今ここに居るのは俺たちだけだ。


「世界的には新石器時代、日本だと縄文時代とされる時期だ。それを聞いたら想像出来るだろうが、ドーバ島は飛び抜けて進化した文明を持っていた。進化した理由は、海流が船をいざなう場所にドーバ島があったという事だ。結果、勇敢な猛者どもが、自ずとこの島に集まってきたって訳だ。もちろん勇敢なだけでなく、立派な船を作る技術や知識を持ち合わせた奴らがな」


 なるほど、そんな理由があった訳だ……


「……って言うか、こんな大昔に航海なんて出来たんだ」


「ハハハ。日本だって、3万8000年前に航海してきた人間が始まりだからな。ドーバ島も、同じ時期くらいに流れ着いた人間がここの始祖になっている。この時代の人間を侮ったらいかんぞ」


「……そ、そういえば雨は? 雨はどうやって降らせたの?」


「タイムマシンから降ろした、機械があっただろ? 民間用の天気制御装置だ。未来なら、使う度に使用許可が必要だが、この時代なら関係無い。まあ、あれをリモート操作したってわけだな。あのくらいのサイズでも、この島くらいの大きさなら天気を管理出来る。俺の右腕に付けてるこのリストバンドで——、お。宴が始まりそうだぞ」


 そう言った、ゲンの視線の先を追う。


 大きな皿を両手に抱えた、若い男女が続々と入ってきた。



***



 俺とゲンは上座に招かれ、近くには長老や長老に次ぐものたちが席を占めた。宴が始まったのだ。


「長いこと長老をやっておりますが、このような不思議な現象、初めて目の当たりにしました……恵みの雨を頂いただけでなく、大事な村の娘二人を死なせずに済みましたこと。どのような言葉で、お礼を伝えればいいのやら……」


 長老はそう言うと、深々と頭を下げた。周りの者も、長老にならって頭を下げる。


「長老、頭を上げてください。俺たちは神の使いであって、神では無い。ほんの少しの力を持っているが、あなたたちとそこまで変わりは無い。もし、俺たちが願いを言っていいのなら、少しの間この島にいる事を許して欲しい」


 ゲンがそう言うと、島民たちは驚きの声を上げた。きっと、ゲンの願いが余りにも些細な事だったからだろう。


「——な、なんて、お方たちだ。この島にいてくださるなんて、我々とて願ってもないこと……皆の衆! ゲン様、ユヅル様が、この島にいてくださるぞ!」


 島民たちは再び歓声を上げた。


「さあさあ、ゲン様、ユヅル様。我ら自慢の料理でございます。お口に合えば、こんなに嬉しい事はありません。さあどうぞ、存分にお召し上がりください」


 俺たちの前には、食べきれない程の料理が並べられていた。丸焼きにされた肉にスープ、パンのようなものもある。かなりの水不足だったはずなのに、見たことが無いフルーツまであった。


「ゲン……あのさ……」


 俺が声を掛けると、ゲンは「分かってる」と言って俺の肩を叩いた。


「長老……あなたたちの気持ちは、俺たちに充分伝わった。だから、失礼を承知で言わせて欲しい。出してくれている料理、皆で食べてくれないか? 特に、後ろに隠れている子供たち。あの子たちにも分けてあげて欲しい」


 ゲンも気付いていた。幼い子供たちが、人垣の隙間からこちらを見ている事を。そして、その視線は俺たちではなく、豪華な料理に向けられている事も。きっと水不足だった理由もあり、満足な食事を取れていないのかもしれない。


 その時、人集りの中から同時に二人が立ち上がった。アトリとクイナだ。


「わっ、私は!」


「先に言うのはアタシだ! アタシは要らな——」


「要りません、子供たちに分け与えてください! ゲン様、ユヅル様!」


「おい! アタシが先に言うって言っただろ!」


「こっ、こら、お前たちケンカをするな! ワシもそう思っていた所だ。ありがとう……アトリ。ありがとう……クイナ」


 長老はそう言うと、奥にいた子供たちを上座に招き入れた。

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