アトリとクイナ

「なあ、ゲン……聞きたい事が山ほどあるんだけど」


 灯りの方へ進みながら、ゲンに声を掛ける。


「まあ、そうだろうな。とりあえず何だ?」


 そう言って振り向いたゲンの顔を見て驚いた。


「ゲ、ゲン!? 若くなってる!? 77歳って嘘なのか?」


「ハハハ、言うの忘れてたな。今まで見てた顔は特殊メイクだ。この顔じゃ、60年後の俺って言っても信じて貰えないと思ってな」


 ゲンの顔は40代……いや、30代と言っても通りそうな見た目をしていた。


「ユヅルの時代から20年ほど後か……シンギュラリティー(技術的特異点)ってのが起こってな。それからというもの、ありとあらゆるものが恐ろしいスピードで進化していった。俺がこんなに若い身体でいられるのも、俺みたいな普通の人間がタイムリープ出来るのも、それのおかげって訳だ」


 シンギュラリティ……確か、AIが人間の知能を上回った時に起こる……? そんな話だったように思う。俺がアラフォーになる頃、そんな事が起きるのか……


「まあ、その手の話しは少しずつするとしよう。駆け足でいくぞ。付いてこい」


 そう言うと、ゲンは灯りの方へと駆けだした。木々の合間を縫い、スイスイと進んでいく。灯りの下へ近づくにつれ、太鼓以外の音も耳に入ってきた。


 カン……トン……シャン……♪


 カン……トン……シャン……♪


 これも和を思わせる、楽器の音色だった。時折、人が祈るような声も聞こえてくる。目的地は近いはずだ。


「よし、ここで止まれ」


 ゲンは、盛り上がった土手の前で足を止めた。


「この土手の向こうに、島民たちがいる。……あと、見えるか? 土手の天辺てっぺんに人が二人いるのが」


 ゲンが指さした方向に、逆光になった人影が二体見えた。


「……も、もしかして、木に縛られてる?」


「そうだ、彼女たちは生け贄だ。俺たちは、今からあの場所へ向かう」


「いっ、生け贄!? 女の子たちがっ!?」


 ゲンは俺に構わず、土手の天辺へと登り始めた。なんとか登ることが出来るほどの、そこそこの勾配。俺も暗闇の中、遅れないようゲンに続く。


 ドクン、ドクン、ドクン……


 心臓が激しく脈を打ち始めた。坂を登るのが辛い訳じゃない。生け贄なんかが行われている時代に飛び込んで、俺たちは無事でいられるのだろうか? そこにいる奴らに殺されたりしないのだろうか? 俺の心臓が、不安で張り裂けそうになる。


 そして、やっとの事で天辺まで登りきると、想像を絶する光景が広がっていた。


 何百人もの島民が、こちらに向けてこうべを垂れているのだ。きっと、生け贄の彼女たちに対して、何かの祈りを捧げているのだろう。


「ちょっ、長老!! 不審者が!!」


 その時、木に縛られていた一人が大声で言った。その一声で全員が顔を上げる。長老と思われる人物は立ち上がり、他の者たちも何事かとザワつき始めた。


 その直後、ゲンが一歩前に出た。


「聞けっ、島の者!!」


「ゲ、ゲンっ!?」


 ゲンは両手を広げ、隅々にまで響き渡る大声で言った。ザワついていた民衆が、一瞬で静かになる。


「我らはお前たちの望みを叶えるためにやってきた神の使いだ! お前たちが望むものを今から与えよう!!」


 ゲンがそう言った直後、暗雲が夜空を覆い尽くし、雷鳴が深い闇夜を切り裂いた。そして、一粒の雨が落ちてきたかと思うと、大粒の雨が瞬く間に大地を濡らした。




 突然降り出した雨に、島民たちは驚いて声が出ないのだろうか。


 誰も口をきかぬ中、雨音だけが激しく響く。そんな中、長老は老人とは思えぬ、よく通る大声で言った。


「か……神の使いが降臨なさった! 皆の者、神の使いが降臨なさったぞ!!」


 直後、島民たちはその場でこうべを垂れた。誰一人として、俺たちに頭を上げている者はいない。


 ああ……俺たちは本当に神の使いになった……


「た、助かった……」


 俺は思わず、その場にへたり込んだ。とりあえず、これで俺たちが島民から敵視される事は無いはずだ。ゲンはきっと、最初からこのシナリオを描いていたのだろう……


「長老! この少女たちを解放するが、構わんな!?」


 ゲンが長老に向かって言うと、俺たちを不審者と言った少女が即座に反発した。


「なりません、長老! 我らが生け贄になる事で、この方たちが現れてくださったのです。予定通り、我らを火炙りに!」


 年齢は俺くらいだろうか。ストレートで青い髪を持った彼女は、凜とした表情でそう言った。


「……バ、バカかアトリっ!! せっかく解放してくれるって言ってるのに、余計な事を言うな!」

 

 そう言ったのは、もう一人の少女だ。先ほどの彼女とは反対に、こちらはくせっ毛のある赤髪だった。


 こんな時にも関わらず、俺の頭はに支配された。

 


 二人とも、めちゃくちゃ美人じゃないか……



 あまりの可愛さに、一瞬で心を鷲づかみにされたほどだ。


 一万年前の世界に、こんなに綺麗な女性がいるとは……


「そっ、そうだよ。その子の言う通りだ、生け贄になんてならなくていい! 命は大事にしないといけない!」


 咄嗟に俺は、アトリという少女に言った。もちろん、このセリフに下心なんてものは一切無い。誰だって、人が死ぬところなんて見たくはない。


「いいね、アンタ! アタシの名前はクイナ! アンタたち、名前は何て呼んだらいい!?」


「クイナ!! 失礼にも程があります! 神の使いの方々に対して、なんて言葉遣いですか!!」


「ま、まあ、落ち着け二人とも。名前は、俺がゲンであっちはユヅルだ。……取りあえずは、二人の縄を解こう。ユヅル、お前はそっちの縄を解いてやれ」


 ゲンはそう言うと、クイナという赤髪の少女の縄を解き始めた。俺は青髪のアトリという少女の方へ向かう。彼女の縄に手を掛けようとすると、彼女はキッと俺を睨んだ。


「なりませんっ! そちらの方も、クイナの縄を解いてはいけません! 私たちの使命は生け贄となって、天に召される事です!!」


「……まっ、待て、アトリ!」


 その時、長老が割って入ってきた。気付かないうちに、土手の天辺まで登ってきていたようだ。


「そちらの方々の言う通りじゃ……神の使いの方々だぞ、聞き分けんか」


 長老に言われたからか、アトリも流石に下を向いた。


「だから言ったろ、アトリ! ありがとうユヅル、これでアタシもまだまだ生きられる!!」


 縄から解放されたクイナは、人目も憚らず俺に抱きついてきた。

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