第57話 異端

 この場の目的は交渉だと――今にして思えば無邪気にも――私は思い込んでいた。

 でも実際は、最初からそうならないと決まり切っていたようなものだった。先方にしてみれば断罪の場。


 そして戦場。


 気づけば胸元を握ってしまう。ただ浅い息を繰り返すばかりで、言葉を返せずにいる私に、彼は続けた。

 曰く、私に弁解の余地なんて認められない。ただ、裁きを受け入れるのが当然だ、と。


 生きるか死ぬかの場に置かれている、そういう自覚はもちろんある。

 だけど、思考がまとまらない。

 感情がかき乱される。

 どうにかなってしまいそうになる。


 そんな私へ、処刑人が見下した目を向けてきた。

 きっと、こうなる・・・・ことは事前に周知があったはずだけど、それでも強張こわばって身構える部下の人たちに、彼は片腕を伸ばして声をかけた。


「諸君は離れて様子を見よ。奴は異端者だ。何をされるか、わかったものではないからな」


 口調には冷淡なあざけりの調子もあったのだけど、釣られて笑うものはいなくて、言った瞬間は本人だけが楽しそうだった。ついてくる部下がいなくて、すぐに真面目くさる。

 そうした滑稽さに、釣られて、笑ってやる・・・・・・・・・・余裕なんて、いまの私にはなかった。


 彼の発した指示そのものは的確――あるいは助け、だったのかもしれない。

 指揮者の様子を伺いながらではあるのだけど、部下が少しずつ距離を取って、遠巻きに包囲する構えに。

 向こうにとっては、場が整いつつある。


 でも私は、まだ状況に追いついていなかった。

 きっと、思っていたのとはかなり・・・違っていたから、というのが率直なところなのだと思う。


 赤赤とした、熱さえ感じそうな光を放つ真紅の薙刀グレイヴ。名もなき神器を携えた処刑人は、両手で構え直して得物の切っ先を私に向けてきた。やや怪訝けげんそうな表情で口を開く。


「いつまでそうしているつもりだ? 今更ながらに気づかされた罪の重さに、もはや得意の妄言も出てこないか」


 絶望、みたいなものはあった。私の根底を揺り動かすものが。

 だけどそれは、私自身や、私のこれからに向けたものなんかじゃない。


――向こうはきっと、思いもしていない。


 揺れる心の中で、何もかも諦めさせるような失意と、はち切れそうな怒りがとぐろを巻く。

 どうにかなりそうだった。


 緊迫感に満ちるにらみ合い。「懺悔」の猶予は時間切れのようで、不意に向こうが動き出した。一気に距離を詰め、長柄の得物を片手で突き出してくる。

 胸元を狙ったその一突きを、私はどうにかかわして身構えた。心はともかく、体と思考は反射的に動く。

 一方で、向こうの動きは悠々としたものだった。仕掛けた後に隙が多い攻撃を繰り出してきたのは、私からの反撃がないことを見抜いているからだと思う。

 そういう、余裕ある所作を部下に見せつけるのが、向こうの流儀なのかもしれないけど。


「償うでもなく、ただ永らえようとするばかり。追われるだけの身とは、なんとも見苦しいものだな」


 別に、この程度のやり取りは、どうってことはない。

 だけど、さっきからずっと胸を押さえ、私は荒い呼吸を繰り返していた。


 薄々感づいていて、認めたくないけど、でも、確かめなきゃいけないことがある。

 今一度、胸元を強く握りしめ、私は問いかけた。


「先ほどから、私の事を異端者と……言葉の綾ではなく、本当に?」


「そんなはずは、とでも言いたいのか?」


 それから、処刑人は、侮蔑に満ちた冷たい面差しを、少し不敵に歪めた。


「せめてもの情けだ。その首がつながっている内は、問答に応じてやろう!」


 言葉と同時に踏み込み、真紅の薙刀で鋭く薙ぎ払ってくる。合わせて後ろへ下がる私の目の前を、紅い穂先が光の弧を描く。


「本当に、異端認定が下ったのですか!?」


「俎上だ! それで十分だろう!」


 激した声を発し合う中、タ闊を刃のきらめきが縦横に切り裂いていく。

 胸の奥で強い鼓動が打ち付け、玉の汗が宙に浮かんでは、踊る切っ先に散っていく。


 異端を定める「密室」のことは、私も良くは知らない。

 審議にかけられる時点で、きっと手遅れだっていうのは、何となく認識している。

 そういう対象に、いまの私がなっている。


――だけど、私にとって本当に重要なのは、そんなこと・・・・・じゃなかった。


「確定もしていないのに動き出している、あなた方は一体何者なのですか!?」


「見てわからないか!」


 突きから薙ぎへ、見せつけるような滑らかな連携に続いて、威圧的な大上段からの振り下ろし。

 少し隙の大きなその一撃は、過分に示威的なものだった。紅い穂先が大地を切りつけ、黒い傷跡を刻み込んだ。


 本当は、わかってる。

 でも、認めたくない。

 認められない。


 体の戦慄わななきを感じながら、私は問いかけた。


「あなたが、『異端狩り』だとでもいうのですか」


 この短い言葉が、これまで優位を取っていた敵の癇に触れた。「気に入らないな」と冷たく言い放った後、私に突きの嵐が襲い掛かる。


「異端の分際で、『認められぬ』とでも言いたげだなッ!」


――ああ、そうなんだ。


 絶望が峠を越した。目の前がずっと澄明になる。

 適切な間合いで放たれたはずの突きの乱舞は、けれど私をしかと捕えることなく、ただ右の頬を浅く斬りつけるだけだった。

 痛みは、感じなかった。


「初戦果」を手に、どこか得意げそうな男に向け、私は重ねて問いかけていく。


「――『異端狩り』が、無辜むこの民をあおり立て、その手に武器を取らせたのですか?」


「……何を言っている? たかが石ころを武器などと」


「黙りなさい!」


 聞き捨てならない言葉だった。

 ああいう形で戦わせることを意図していたくせに、その罪の自覚もないなんて。


 突然声を荒らげた私に、「異端狩り」を自称する・・・・男は、苛立ちもあらわに攻撃を再開した。


「異端の徒が、思い上がるなッ! 身勝手に振る舞うばかりか、裁かれ方にも注文を付けようなどとは!」


「……あなたは、その異端の徒にも劣る」


 心の底からの憤りが発した短い言葉に、敵の感情が呼応した。無造作に放たれた―――だけど、これまでで一番いい突きが、私に迫る。


 その切っ先を、私は左手で受け止めた。手のひらを貫かれる激痛が、腕を伝って駆け上がり、真紅の穂先に鮮血が散る。

 でも、この程度は慣れっこ・・・・だった。

 手のひらを貫かれたまま、私は逃がさないよう、穂先を握りしめる。


 これまで良い気になって攻撃を仕掛けてきた敵の、余裕が初めて消え失せた。「狂人め」と吐き捨てる言葉が精いっぱいの強がりで。

 敵は神器を一度解いた。真紅の薙刀が宙に溶け込み、瞬く間に「次」を構え直す。


 一方、貫かれた私の手のひらは光を帯び――負傷の痕跡は、流れ出た血だけ。

「便利な体だな」と、敵が嘲り笑う。


「……私たち・・・『異端狩り』は、力なき人々のために、邪悪と戦ってきたのではないのですか?」


「……厚かましいな。追い出された異端の分際で、私たちなどと――」


 本当は「わかってる」くせに、苛立ち装いながらも逃げる。敵の言葉を、私は遮った。


「いやしくも現職の『異端狩り』が、たかが『異端』ごときの揚げ足に、したり顔で噛みつき、その実すがりつく……」


 これに言葉を返せず、押し黙る敵に、私は続けた。


「あなたに恥はないのですか?」


 こんなことを、教皇府の人間に問うのは――

 かつて、私もそうだった「異端狩り」に問うのは、本当に心が苦しかった。

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