第55話 この街の司祭様

「まさか」という思いに囚われて、まるで動けないでいる私の前で、司祭様がどこか神妙な表情になられた。

 ひとまずは、他の方々を落ち着かせた上で、奥へとご案内いただくことに。


 通されたのは、ちょっと小ぢんまりとした執務室だった。促されて席に着いて向かい合い……言葉に困る。人違いだったら、とも思う。


――けど、そう切って捨てるには、あの時の事は鮮烈に焼き付いていて。


 いたたまれない沈黙に背を押される感じもあって、私は思わず声をかけた。


「あ、あのっ! 前に一度、お会いしたことが?」


 でも、お返事はなかった。まさか、「私」を見間違えるはずもないし、あの時の記億にないなんてことも……こちらにお勤めの方々を見るに、そこまでの傷害にはならなかったようだし。

 本当は会ったことがないのなら、そのようにお答えになるはず。

 答えはなく、なぜか沈鬱な表情で口を閉ざされていることが、問いに対する肯定のように思えた。


 それから私は……お返事をいただけなかった理由について、ひとつ思い当たった。

 作戦の実働的な部分に関わらなかったとはいえ、まさか現職の司祭が、お尋ね者をかばいに行っただなんて。


「わ、私の思い過ごしかもしれませんが……仮に以前、お会いしたことがあったとしても、そのことは決して公言いたしませんので」


 もっとも、こうしてお会いして――何もされなかった・・・・・・・・のなら、それ自体が司祭様の立場をまずくするのかもしれない。

 考え始めたら、ここへやってきたことへの後悔が一気にやってきた。

 いきなりここまで来ておいて、失礼千万ながら「おいとました方が?」と尋ねるも、司祭様はゆっくりと首を横に振られたのだけど。


「顔は、見られないようにと気を付けたつもりでしたが……覚えておいででしたか」


「……おひとりだけでしたから。その、私なんかのために、血を流されたのは……」


 気づけば沈む声。続けて「大事は至りませんでしたか?」と問いかけると、困ったような笑みを浮かべられた。

「私などより、ご自身の方がよほど」って。


 事実、出血はさほどでもなく、特に気になる変化もなかったそうで。

 むしろ、こちらの教会に勤める方や、通われる信徒の方に向けた言い訳に難儀したのだとか。

 そうした「笑い話」の後、少し間を置かれ、あの日の事について触れられた。


「いかに相手がお尋ね者であっても……住民を焚きつける、あのようなやり方を認めてしまうわけにはいきませんでした。日頃、何度となく唱えている教えが、空疎なものになってしまう……いえ、我々が空疎なものにしてしまう、と。」


 それから、どことなく自嘲気味なお顔で続けられた。


「とはいえ、組織人として声を上げるでもなく……できたのは一個人としての、気休めのようなものでしたが」


「そんなことはありません!」


 気づけば私は、大声を発していた。ハッとして、外に聞かれないように気を付けながらも、言葉を続けていく。


「あの場で勇気ある方が動かれたからこそ、私は大いに励まされ、この街に留まることができたと思います。それが、ご迷惑だとも思いますが……あの時、周囲で見ているだけの方々にしても、司祭様のあのお姿を目にしたからこそ、多くが『踏みとどまる』ことを選べたのではないでしょうか」


 決して気休めなんかじゃない、本心からの言葉を私は口にした。

 だけど、司祭様が向けてくださった微笑みには、やはり物憂げな感じが漂っていて。お立場を考えれば、心情は察して余りあった。


 ただ、顔を出しに来たというだけでは終われない。ご心痛を増やしてしまう恐れを覚悟の上、私は生唾を呑み込み、乾いた口から本題を切り出していく。


「先に市庁舎へお話に伺い、私に対する手配書の背景について、大筋を知ることができました。こちらにも教皇府の人物が訪れたとも伺っています」


 言葉の切れ目、神妙な面持ちでの首肯を受け、私はどうにか平静を保って話を続けていく。


「事態の収束に向け、私と例の人物が接触するという方向で、リダストーン市に調整していただいているところです。こちらにまで飛び火するということはないと思いますが……何か懸念点や、ご情報がありましたら、お伺いしたく存じます」


 何かしら追加の情報があれば、確かに助けになるとは思う。

 だけど、私が本当に欲しいのは――例の人物への接触に対する、ご同意、あるいはお許しなのかもしれない。


 問いかけて、しばらくの間は……お互いに何一つ、言葉が出てこなかった。風が吹きつけ揺れる窓の音に、何か急かされるような思いをいだいてしまう。

 いたたまれない思いが胸に沸いてくる。


 やがて、司祭様が心底申し訳なさそうなお顔で、口を開かれた。

 曰く、「意味のある情報かどうか」と、とても謙虚に教えてくださったのは、例の人物についてのざっくりした情報だった。

 薄い色の金髪を、男性にしては少し長めに伸ばした若者だった、と。


「市庁舎へ向かわれた際も、同様の情報を得ているとは思いますが……」


「はい。同一人物が動いている、その確証を得られました」


 実のところ、向こう側の要員規模は少数だとは、前々から考えてる。となれば、主たる指揮者が単一の人物というのは、ごく当たり前の推理ではあるのだけど……

 司祭様のお立場で、お尋ね者の私なんかに情報を下さったことには、感謝しかない。「ありがとうございます」と頭を下げ、私は今後の展望について話していった。


「例の人物との交渉次第ですが……先方にとって必要なのは、私の身柄だけだと考えています。最終的に、このリダストーン市を巻き込む必要がなくなれば、事態収束の手綱は市に返還されるものと思いますし、交渉においてはそれを目指す所存です」


「……ご自身は、どうなっても構わないとお考えでしょうか」


「それは……ああいう『やり口』で攻めようという聖職者には、少しくらい言いたいこともありますけど」


 少し言葉を崩すと、こういう気持ちにはご共感いただけたみたいで、少し力なく笑われた。

 やっぱり、司祭様も気に入らないのだと思う。


 でも、それはそれとして、気になったこともある。


「私」のことをご存じだったなら、今も教皇府に籍を置かれている方を差し置いてまで、私に親切にしてくださる理由なんて……


「司祭様は、『私』の事は、かねてよりご存じではなかったのですか?」


 ちょっと脈絡のない問いかけは、司祭様にとって意外だったようで、真顔でのお返事が来るには少し間があった。


「いえ……一連の出来事の前には、お名前すら知りませんでしたが……それが何か?」


「い、いえっ、何でもないです」


 不思議そうに尋ねてこられる司祭様を前にして、急に恥ずかしさを覚えた。

 教皇府では、「出来損ないの聖女見習い」の事なんて広く知れ渡っていたものだけど――

 聖教会の中枢を離れれば、そうじゃない。あえて外にまで広めることもない。


……よくよく考えなくったって、教会にしてみれば、私の存在なんていい恥だろうし。

 いまこうして、上塗りしちゃってもいる。


 そういう道理に今更気づいたこと。

「もしかして、ご存じじゃないのでは」なんて、知ってるのが当たり前みたいに、無意識的に考え込んでいたこと。

 考えの至らなさと、過剰に至った自意識で、顔から火が出そうだった。


 このままだと、話の流れから、私の過去について触れざるを得なくなりそうだし……

 そうなれば、司祭様のご心労がまた増えてしまう気がする。


 私自身、振れたくない話題という逃げの気持ちも大きくて、変に思われているのは重々承知の上、私はここでおいとまさせていただこうかと考えた。


「その、こちらの皆様方には……司祭様の説法で考えを改め、教皇府の方へ出頭に向かったとでも、お伝えいただければ」


 別れ際、差し出がましくも提示した口実に、司祭様は何やら思うところおありのご様子ではあったのだけど……

 とりあえず、「そういうことで」となった。


「お時間作っていただき、本当にありがとうございました」


 せめてご挨拶だけはと、浮足立っていた気持ちを鎮めて頭を下げる。

 顔をあげると、慈悲深い眼差まなざしを向けられていた。

「このようなことを申し上げるべきかはわかりませんが」と、逡巡しゅんじゅんの後、言葉が向けられる。


「『事』がお済みになられましたなら、こうしてもう一度、お話したいものです」


「……はい!」


 私は努めて、柔和な笑みでお返事を返した。


 司祭様も、本当はお気づきなのではないかと思う。

 果たせない約束ではないかって。

 私だって、さすがに、それぐらいの覚悟はある。


 だけど……きっと、あえて・・・口になされたお言葉を、無意味なものにはしたくない。

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