第51話 山場を前に、閑話
宣言から3日後の早朝。私はひとりで街の外へ向かった。
さすがに、こういう時間に若い女性ひとりで外へ出るとなると、街の入口では結構不安に思われる。見張りの衛兵の方は、私の顔を見るなり呼び止めてこられた。
私の立場が立場だけに、単独行動は余計に気になるのだと思う。
事情が事情だけに本当のことは言えなくて、私は「ちょっとした散歩に」とはぐらかしておいた。
すぐに戻る旨を付け足すと、困ったような笑みを浮かべられるも、とりあえず通行の許可が。
やや後ろめたいものを感じつつ、街道を歩いて目的の場所へ。
街から少し離れた、ちょっと木深い森の中、歩を進めつつ人の気配を探る。
周囲に誰もいないことだけを確認し、私は深呼吸をした。早朝の澄み渡る空気が心地よくて、「この先のこと」を思うと、良い気分転換になる。
一息ついてから、私は地面に視線を落とした。梢から落ちる枝葉の影の中に、
この人影に、私は意識を集中させた。体をぼんやりとした魔力の光が包み込み、その光が次第に影へと移って、その輪郭を縁取っていく。
……もしかすると、今頃は朝食の時間かも? だとしたら、お邪魔しちゃったかな……
なんて思いながら少しすると、影に変化があった。光る輪郭線に囲まれた影が、より一層黒味を増し、投影された地面の形が失われていく。漆黒の影の中、陰影のさざ波が生じ――
この《
その姿には、真顔で何度か
「お召しにあずかり、ここに……」
青白い顔をした美男子が、恭しい所作で私にひざまずいて頭を垂れる。いつぞや、私が打ち倒した悪魔たちの一柱、シェダレージア。
その彼が、今はピッチフォークを片手に、オーバーオール姿でいる。
いま、彼らがどこで厄介になっているかを踏まえれば、「さもありなん」といったところではあるのだけど……
こういう姿をするものだとは、今の今までまったく考えてなくて、ちょっと面食らってしまった。
呼び出したはいいものの、何か言いつけるでもない私に、彼が顔を上げてくる。その端正な顔には、どことなく不安の色が見て取れた。
「……ご主君?」
「ああ、いえ。あなたがそういった格好をしてくるものだとは……」
よく見ると、彼ら悪魔にとって、今の服はちょうどいいのかもしれない。オーバーオールは背中の羽と干渉しないから。
肌着も、いい感じにスリットが入っていて、羽は窮屈そうな感じがしない。
こういった一工夫について、尋ねてみると、やっぱりあの集落の方が手を加えてくださったみたい。
「馴染んでいるようで何よりです」
とは言うものの、今の彼の格好は……なんて言えばいいのかな。やっぱり違和感はあって、似合っていると言うより、どこか微笑ましい、ちょっとしたアンバランスさがある。
でも、威圧的な格好よりはずっと親しみが持てて、あの集落の皆さんにとっても好ましくはあると思う。
実際、彼ら悪魔にとって慣れないことが尽きない新生活の中、かつての
「至らぬところ尽きぬ身ではございますが……旅を続けられるご主君の、いらぬ重荷にならぬよう、今後も鋭意務めさせていただく所存です」
と、なんとも丁寧に今後の所信表明が。
もしかすると、彼らが心配になって、こうやって呼び出したと思われたのかもしれない。
実のところ、そういう気持ちも
「お仕事中、申し訳ありません。少し、顔を見たくなったものですから」
「……何か問題でも?」
「ええ、まぁ……そうですね。ちょっとしたトラブルが」
そうした難局の山場に差し掛かった今、「そういえば……」と、ふと気になって呼び出した。ただそれだけのことだった。
「うまくいけばいいのですが……」
軽くため息の出る私に、シェダレージアは至極真面目な顔で何やら考え込み、やがてどこか遠慮がちに声をかけてきた。
「いま見舞われておられる苦境というのは……私共よりも厄介なのでしょうか?」
「えっ? いえ、どういったものでしょうね……あなた方の事例に比べると、色々込み入った事情があって、面倒というか……」
早い話、人間社会というか、組織、あるいは組織間のパワーバランスとか……そういう「面倒くさいモノ」が相手の厄介さがあるんだけど、彼ら悪魔にわかる話かどうか。
これ以上の説明に頭を悩ましていると、彼の方もなんだか渋面になった。
「私共を、あのように容易く打ち負かしたご主君が、あの地を離れて早々に苦境に陥っておられるとは……」
「まぁ、それは……そもそも、あなた方と出会う前から、いろいろとありましたもので」
結局のところ、火種は私自身の中にある、ただそれだけのことなのかもしれない。
そんな諦念に、力ない笑みを浮かべると、彼の方から思いがけない提案があった。
「恐れ多くも……私共にも何かしらお力添えできることがあれば、ご遠慮なく」
いえ、さすがにそれは……なんだかんだ、あの街の中でも、私に協力的な方が増えてきたところだし。
「あなた方は、そちらの生活を優先してください。こちらはこちらで、どうにかしますから」
私の言葉に、シェダレージアは少し間を置いてから、何やら安堵したようなため息を漏らした。
「私共にもプライドというものは……恥ずかしながら、まだ残っておりますゆえ。私共を打ち負かしたご主君には、この先何があろうとも、勝ち続けていただきたく……」
「ああ、そう……」
彼らが私の下についているのも、結局は私を勝者と認めてのこと。不甲斐ない敗北を喫したなら、鎖が切れてしまいかも……?
「おちおち負けていられませんね」と苦笑いすると、「お言いつけいただけましたなら、その時はすぐにでも逃げ道を」と、なんか慇懃無礼に会釈された。
口ではそう言ってても、そうなることは望んでいない、ただ発破をかけてきているだけに聞こえる。
なんとなく程度の気持ちで呼び出したのだけど、思っていた以上のものがあった。その感謝を胸に、私は笑顔で告げた。
「これから用事がありますから、このあたりで。お仕事、がんばってくださいね。皆さんにもよろしくお伝えください」
「かしこまりました」
呼び出した直後と比べ、いつの間にか柔らかな表情になっていた彼が、深々と頭を下げる。
それから少しすると、彼の体が、足元の影へと沈んでいく。たちまちひとりの存在がそこから消えてなくなり、私の影は元通りに。
――こういう移動法を使えるの、便利で羨ましく思ったりして。
とはいえ、いずれ去っていく身だとしても、まずはこちらでやるべきことをやらないと。
一人きりになった森の中、来たときよりも足取り軽やかに、私は街への帰途についた。
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