第33話 電光石火

 ガラスを蹴破って飛び込んだ私の目に、すべての物事が、まるで泥の中にいるようにゆったりと動いていく。

 辺りに飛び散る、きらめく破片も、この体から流れる紅い飛沫も。

 見るまでもなく負傷しているのだけど、放っておいてもどうせ治癒する。それに、前腕部の裂傷であれば、むしろ好都合だった。


 こんな状況でも思考が巡る私と違い、連中は完全に虚を突かれていた。

 それでも、一際ひときわ大柄で「エラそう」な男だけは、雑然としたテーブルから、身を離そうという動きがあるのだけど。


 ひとまず私は、この体が向かう先にいる手勢の一人に狙い定めた。

 握りしめた紐が、割れたガラスの断面に引っかかる。私の体の進行方向に、わずかに上向きの力を与えた後、耐えかねて引きちぎられていく。

 この紐が完全に分断されるのを待たず、私は自ら命綱を手放した。進路はまっすぐ標的へ。

 殺さないよう、男本人ではなく、イスの背もたれ狙って右足で飛ひ蹴りを食らわせる。イスに衝撃を食わせた上で、イスが倒れ込む動きに合わせ、男の胸部に左足を置いて――

 イスの着地と同時に軽く踏みつけつつ、方向転換も兼ねて捻るように圧迫。

 うめき声をあげる男を尻目に、私はその場でクルリと回転。負傷した左腕を軽く上げながら、すぐさま他の連中に向き直る。


 他の連中は少しずつ反応しているところ。中でも距離が近い男は、腰の剣に手をかけるところだった。

 抜かせたら、この人数では手加減は少し難しい。

 そこで私は、血がしたたる左手を動かした。人差し指と中指を軽く弾くと、指先に伝っていた血が、2つの弾となって飛翔する。

 2つの紅い弾は、目を見開いて私に剣を抜こうとしていた男の両目に着弾した。瞬間、強く目をつむった――はず。


 実際には、ひとりの相手にばかり、かかずらっていられない状況にある。私の様子をうかがいつつ、壁際へ後ずさる男がひとり。

 それに、偉そうな、きっと親玉と思われる大男は、騒動の中心から少し間を取っていて――

 瞬間、殺気を感じ、私は体をそらした。眼の前の空間をナイフが飛んでいき、壁に突き刺さる。狙いとタイミングは、技量を感じさせるものだった。

 避けた直後、舌打ち音がこちらにまで聞こえてきたけど、私にとっても煩わしいことに、位置関係から言って後回しにせざるを得ない。


 別の敵に目を向けると、親玉よりは近いところにいる者が、次の脅威になりそうだった。壁際へ急いで駆けていき、立てかけてある弓に手を伸ばすところ。

 次はあの男から黙らせないと。あの慌てぶりでは、狙いに期待・・なんてできない。

 私一人を精密に狙ってくれるなら――


 死角から次の投げナイフが飛んできて、私は体をそらして回避した。


 そう、こんな感じで、狙いが良ければどうとでもなる。

 だけど、粗雑な狙いであれば、「間違い」が起きかねない。せっかく、捕虜にだって血を流させなかったのに。


 案の定、弓を手にした男が放った一矢は、きちんと狙っているとは言い難いものだった。

 誰にも当たらない矢をかわし、さきほど目に血を当てた男は、足払いで転がしておく。

 そして私は、この男が抜きかけていた剣を奪い取った。倒れ込んで音を立てる男の横で、続いて金属音が響き渡る。

 親玉からの投げナイフを、私がちょうど剣で受けたところだった。

 すぐ後に舌打ち音が続き、わずかな足音で間合いを開けるように動いていく。私が手下の相手をしている内に、有利な位置取りをしつつ、死角から攻撃しようっていうんでしょう。


 親玉とは別に、私から離れるように動いていた男に一瞥いちべつを向けると、部屋の外へ行こうとしているところだった。これは捨て置いていい。

 皆さんにも手柄が必要だと思うし。


 改めて、次に討つべき相手が決まり、私は壁際の弓使いへと歩を進めた。剣を構え、次に備える。

 先程の狙いの乱雑さからもわかるように、男は慌てふためいて次をつがえた。すぐさま放った矢は、お互いの距離が近づいたこともあってか、こちらへまともに飛んでくる。

 この矢を最小限の動きで矢を受け流しつつ、今度はこちらから剣を投げつける。その狙いは敵弓兵――

 ではなくて、壁。


 避けようと動く、男が手にした弓の弦が、壁に突き刺さった刃に引っかかる。強く引っ張れば、弓が使い物にならなくなる。男の注意は自身の得物に注がれ……


 私はその辺のイスを蹴り飛ばした。私から注意がそれた男の顔面に直撃し、その場で昏倒。手にした弓が引っかかって、壁に刺さっていた剣が抜け落ち、軽く音を立てる。

 一方、私の背後では殺気があって、軽く身を反らすと、私がいたところをナイフが飛んでいった。

 また別方面では、ドアが開く音と、続いて悲痛な声。ひとり片付けていただけたところだった。


 残るは親玉――

 と、両目に血を食らわせてやった男が、まだ足払い程度で済んでいる。まだ転んでいるうちに追撃しないと。

 状況を見渡す私に、居間の暗がりからまたも投げナイフ。私はこれをしゃがんでかわし、そのまま間近なテーブルの下へ潜った。親玉の方からは、鼻で笑うような音が響く。


 もっとも、私は別に隠れたかったわけではなくて。

 私はテーブルの足をつかみ、倒れているけどまだ元気そうなひとりへと、テーブルの天面を叩きつけた。床とテーブルの板挟みになり、間から弱弱しいうめき声が聞こえる。あとは……


 ああ、しぶといなぁ。部屋への突入を敢行した際、飛び蹴りを食らわせた男が、仰向けから身を起こそうとしている。

 私は自前の剣を抜き放ち、男の近くの壁へと投げつけた。突き刺さる刃は、男の首筋と若干の間隙を隔て、その刀身と音が震える。

 すんでのところで止まった断頭台の刃に、男は目を見開いた。


「じっとしてなさい」


 と、声をかけ、最後に残っている大男へと向き直る。

 と、そこへまたも投げナイフ。今度はほぼ正対できている私は、ナイフの軌道に手を軽く差し出した。吸い込まれるように、人差し指と中指の間へ、冷たい刃が滑り込む。

 かすかに息を呑む声を耳にした後、私はわざとらしく、腰の鞘に手を当てた。さっき剣を投げつけて、自前の武器がないところだった。


「どうも、気を遣っていただいて」

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