第4話 地に落つ客星

 名もなき神器、純白のハルバードを携える私に、それまで苦悶していた竜が天高くから言葉を投げかけてくる。


「……いちいち喰わせてから戦いの構えを見せるとは、浅ましくもだまし討とうと考えてのことか?」


 別に、騙そうとか、そういうのは考えてなかった。

 ただ、授かった力を勝手に使うことに、迷いがあったというわけで……

 それに、騙してるというのなら、それは向こうも同じことだった。


「浅ましいのはまさしくお前の方でしょう? いやしくも竜を名乗る存在が、捧げられる供物程度で満ち足りるものですか!」


 訓練や実戦で、私はそうした「本物の竜」と戦ったことがある。

 彼らはそもそも、供物を自ら求めたりはしない。挑み来る強者を討ち滅ぼし、そして糧にする。

 人の世の理法に相容れずとも、種としての誇りを感じさせるだけの立派な敵だった。

 コイツは違う。


「ならば、哀れにも挑み来る小物、足しにもなるまいが食らってくれようぞ!」


「たまらず吐き出したくせに!」


「ぬかせ!」


 未だに尊大な存在を気取る敵だけど……

 そのように装っていられる状況じゃないというのは、理解が及んだみたい。神器を構える私の周囲で、状況が動いていく。

 漆黒の巨体は、見る間に姿を失っていった。夜闇をも飲み込むような漆黒が、あたりの岩場に侵食し、事物が黒一色の中に溶け込んでいく。


 輪郭も、凹凸も、陰影も、色彩も――この地には何もない。

 夜闇との境界の下に、ただ漆黒の海だけが広がっている。


 でも、この場への支配力は、私の手にも存在している。穏やかな月明かりに取って代わって、私が手にした神器の白光が辺りを満たしていく。

 光と闇が触れ合うそこかしこで、パチパチと小さな魔力の火花が散る。

 互いの力せめぎ合うこの場は、もう餌場や祭壇などではなく、ただの戦場になった。


 自分の意志ひとつで神器を振るう、とんでもない僭越せんえつを犯している自覚に心臓が脈打ち、緊張が体を縛り付ける。全身がジワっと、イヤな感じに汗ばむ感覚もある。

 けど、この汗の原因は私の内面だけが原因じゃなくって。

 手にした神器は地上の白日となって、辺りを覆わんとしていた影を少しずつ焼いている。

 使い手の私でさえ熱を感じ取れるのだから、敵にはどれほどの圧になっていることだろう。


 先程まで竜を装っていた敵――影使いは、今やこの戦場全体にまで力を行き渡らせている。敵が姿を潜め、その裏で次の動きを狙っている。

 一方で私は、神器から放つ光熱の力で、包囲する影の勢力を焼いて立ち向かう。

 ただささやかに火花の音だけを重奏する戦場だけど、水面下では、敵をすり潰そうという力の押し合いになっている。


 私たち聖職者にとって、闇とか影とかとの戦いは、よく火と水に例えられる。これは、どっちがどうこうというわけじゃなくて……

 お互い力をぶつけ合って、最後にどっちが残っているか。そういうシンプルな形式の戦いへと展開することが多いっていうこと。


 緊迫した静寂の中、互いにぶつけ合った力が蒸発して果てていく。顔を一筋の汗が流れて垂れた。

 私は、別にこのままでもよかった。いまだに、この意思で力を奮うことに抵抗感というか、畏れ多さはあるのだけど……

 そうした資格という点を除けば、まだまだ全然続けられる。だけど、敵の方は――

 借り物の姿を捨ててなお、影に身を潜めるこの敵は、力すり減らし合うだけのにらみ合いに、業を煮やしたみたいだった。


「ハッ、ハハハッ! 名乗ったはいいが、怖気づいてまともに動けんのだろう、小娘!」


「笑い方は若々しいですね、下郎!」


「そうやって口しか動かせんのだろうが!」


「あ、あなたなんかに怯えてるわけじゃないっ!」


 大上段からの、偉そうな挑発に、私はムッとなった。「このまま」に耐え兼ねて、そっちが先に口走ったんでしょうに!

 こうして、意地の張り合いなるも、結局はあまり長続きせず。またも互いの器をうかがい合った後、戦いは次の段階へ移行した。


 つまり、普通の殺し合いへ。


 辺り一面の岩場へと影が侵食したこの地は、色々な意味で相手の領地だった。辺りを囲む岩肌は、今となっては凹凸がない、一様な漆黒と化している。

 この遠近感のない黒一色の中、ごくわずかに魔力の揺らぎ、事物が動く兆しがあって――

 夜闇を駆けていく漆黒の投石が、私の眼前をかすめて通っていく。


 避けなければ、側頭部を打ち抜かれて、普通の人なら絶命していたと思う。

 でも、聖女ならどうということはない。私程度の聖女でも、さすがにまあ、当たっても何とかなると思う。

 世に響く聖女の威名を思えば、たとえ見習い未満であろうと、この程度の手合には負けられない。


 先程の攻撃は、相手にしてみればきっと必殺の、少なくとも必中のつもりで繰り出したものだったと思う。

 でも、攻撃が不発に終わっても、影の主は声の一つも漏らさない。

 さっきは挑発なんてしてきたけど、この敵も戦いの心得はわかってる。気づかれもしないはずの攻撃を外したからって、避けられた事実を相手に伝える意味はない。

 外れたのはまぐれ・・・で、相手はそれに気づいてさえいないかもしれないんだから。


 少し間を置いて、再び漆黒の投石が襲い掛かってきた。後頭部を狙いすました一撃、ギリギリでよけて髪が踊る。

 かと思えば今度は正面、心臓を狙う一撃は体の向きを変えてそらし、間髪入れず次から次へと。

 見えないはずの攻撃だけど、感じ取ることはできる。「出来損ない」の私でも、これぐらいのことはできて――


 だから私は、今まで・・・永らえることができている。

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