第3話 いずれ至る裁きの刃
行き倒れを助けられた私は、この集落の苦境を耳にしてしまったということもあって、ご負担をかけるわけにはと、すぐにでも立ち去ることにした。
――そう、私は立ち去ることにしたんだけど。
「せめて一晩くらい……私たち、全然気にしませんし、ね?」
私にベッドを提供してくださったお姉さん、メリッサさんが、引き止めるように声をかけてくださった。
メリッサさんばかりでなく、集落の他の方々も、お気持ちは同じようで。自分たちの苦境を理由に、行き倒れの人間をさっさと追い出すというのは、さすがに心が痛むのだと。
「それに……追い出された経緯とか、そういうのも……いや、別にいいんだけど、ね?」
興味アリアリなのは、ハッキリ見て取れる。主に若い方々から、そういう視線を寄せられている。私が何かの追放者だってのは、すっかりウワサが広まったみたい。
でも、これはさすがに、言っちゃっていいものかどうか迷う。一宿一飯のお礼となれば、言わずに済ませるのも悪い気はするのだけど。
ともあれ、集落の方々のご厚意と高潔さもあって、私は一晩、温かい寝床を使わせていただく運びになった。
だけど――
日が沈み、夕焼けの茜の向こうに、紫の星海が広がり始めた頃。
早めに夕食を取った私は、メリッサさんに声をかけた。
「すみません、ちょっと……眠気が」
「はは、健康的でいいんじゃない?」
「ごめんなさい。色々とお話させていただく流れでしたが……」
お世話になる対価に、積もる話を――というところだったけど、メリッサさんは全然気にしていなくて。「それは、また明日ね」とにこやかだった。
「また明後日でもいいけど」とも。どこまで本気なのかはわからないけど、とても優しい方だとは思う。
だからちょっと……というか、かなり胸が痛い。
お借りしたお部屋に戻り、窓を開け、私は周囲の様子をうかがった。
思った通りで、こちらの集落は、日が沈めば人が出歩くことはない。
一応の見張りはいらっしゃるのだけど、内向きに警戒するのではなくって、外の異変を察知するのがお仕事の様子。
だから、私なら見つからずに、コソッと抜け出せる。
「出来損ない」なりに、そういう訓練は受けてきたから。
細心の注意を払ってタイミングをはかり、意を決して窓から身を乗り出す。目星をつけていた屋根から屋根へ飛び移り、物音を立てることなく、少しずつ高度を落としていく。
地に足付け、私は集落の外へ、誰にも見られることなく駆け出した。
こちらの方々の窮状を聞いた以上、何かしなきゃって、そう思う。
天上の神も、それを望まれるはず。
行き倒れたところを助けられ、ぬくぬくと一晩過ごして終わりだなんて……知らんぷりして後にするなんて。
それを自分に許すようなら、いよいよもって、私は教えにあるまじき異端でしかない。
村を出てすぐは、背丈が低い草が茂っていた。少し進めばそれもなくなり、地肌が露出して寒々しい荒野に。かつては河床だったのか、地に刻まれた独特の起伏が現れ、岩がちになっていく。
漆黒の竜とやらがいる場所は、集落の方々から聞いている。「間違っても」近づいてはならない場所ということで、教えていただいているから。
そういう名目で教えていただいておいて、こちらから近づくことについては、申し訳なく思うところではあるのだけど……
この地に君臨する竜とやらについて、実のところ、それが自称――あるいは
集落の方々から耳にした話は、私にとっては、それなりに
人を
だからこそ、人々にとって許容できる程度の供物をせしめ、互いを永らえさせる。
やっていることは、悪徳税吏の汚職とあんまり変わらない。違いといえば、横暴の根本にあるのが、権威か武威かの違いで。
今回の「自称」竜閣下も、そういう手合なんじゃないかと思う。
そういう奴が相手なら、私なら――どうにかできるかもしれない。
一人になってさらに進み、少しすると、耳にしていた場所に着いた。両側は切り立った岸壁があって、間はちょっとした広間のようになっている。
そして、広間の大半を専有し鎮座する、夜闇よりもなお暗い漆黒。
月明かりさえ飲みこむ、巨大なその存在が、夜の静寂に声を響かせた。
「震えもせずにひとりで来るとは、見上げた心意気よのう」
続けて巨竜が、「人を所望した覚えはないがな」とあざけり笑う。
今まで、供物として人を求めたことがない、それは確認している。
でも、人を殺めることについて、何ら抵抗感を覚えてはいない。いずれ、集落との関係が立ち行かなくなれば――
何を最後の供物とするかは自明に思えた。
やっぱり、私が止めて、終わらせないと。
「悪いことは言いませんから、手を引きなさい」
意を決して言葉を放ち、少し震えている自分に気づく。
こういうこと、自分ひとりだけで執行するのは初めてだから。
私はともかくとして、大勢の命を勝手に背負ってしまっている、その事実が私にのしかかる。
この私の震えを、強大な敵は、目ざとくも見逃さなかったようで。
「抑え込んでも
その蜜を、新鮮なうちに味わい飲み干さんとして、漆黒の巨体が音もなく
その先端、すべてを飲み込む漆黒の口が槌となって、私へ振り下ろされる。
巨体に見合わない動きは、私のすべてを完全に包み込み、あたり一面から色が消失した。
やっぱり、思った通り。
コレは竜じゃないし、私は、まだ食べられてはいない。
周囲を覆う漆黒。その闇の向こうから、徐々に迫る魔力の気配。量感を伴う黒い闇がこちらへと押し寄せてきて――
闇に押しつぶされんとする、まさにその瞬間、私の全身に白い火花が散った。私が身にまとい体に溢れる、「授かりものの力」が、相容れない力と激しく相克する。
――蜜とかなんとか、バカみたいって、少し笑っちゃう。
黒一色の世界は、瞬く間に白い閃光が塗りつぶされた。
かと思えば、私は闇から吐き出されていた。眼の前に色ある世界が舞い戻り、今度は地面が勢いよく迫る。
というか、私が地面に勢いよく飛ばされてる。
こんな状況でも正確に働く心身が、当たり前に状況へ対処していく。地面に向けて腕を伸ばし、接地の瞬間、腕を曲げて力の方向をねじ折り、ヒラリ。
身を翻し、私は
闇に
一方、食べてはいけないものを口にしてしまった愚か者は、今もなお口に残る残滓に苦しみ、身悶えていた。天に掲げた長首が、夜空を背にしてのたうっている。
「き、貴様! 聖職者か!?」
聖職者という言葉には、実際には二通りの意味がある。
ひとつは、ユナリエ聖教会に身を置き、組織人としての身分ある者。
もうひとつは、儀式によって聖別され、天上世界より力を授かった者。
私は――少なくとも眼前の敵にとっては、今でも聖職者だった。
たとえ教会社会から排斥されようと、やらなきゃいけない務めはあると今も思う。
目の前の敵を倒す。
だけど……破門された身分でありながら、天上より授かった力を、自分の意志一つで振るう。誰かに許しを得たわけでもない、ただの私闘に、力を用いてしまう。
この専横への畏れが、私への縛めとなっている。今でもそれを感じる。
そして、私はそれを振り切った。右手を天に掲げ、腹の底から言い放つ。
「我が声天に至らば、我が手に来たれ天の白刃! 無尽に連ねし紅き大河の最果てに、今!我らがこの無銘を刻まん!」
幾度となく口にした聖句が、私に与えられた力を呼び覚ます。五体に力が駆け巡り、右手に集う魔力が、見る間に形を成していく。
そして、いつもそうしてきたように、私は授かりものの神器を構えた。
純白の光を放つハルバードを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます