第22話「空き地の決戦②」
「零」
一瞬。
最速中の最速の、絞殺。
当然、私の動きなど間に合う訳もなく、昏黒くんの手が、私の首を掴み――そして最小限の力でもって、
「っ…………!」
否!
私の首が捻じ切られる前に、彼の白い綺麗な手から、血が
何が起こったのか理解できず、思わず昏黒くんは手を離した。離さざるを得なかった。ぼろぼろになった彼の指は、いくつか千切れているものがあった。
昏黒くんが動揺した表情を、初めて見たような気がした。
そう。
昏黒高暮の絞首のやり方は、いつだって凄まじく、最小限で、美しい。
人間の急所の一つである首を絞めることによって、相手を確実に死に至らしめる。
しかし私には、その対策の仕方が分かる。
何故なら、相手が確実に首を狙ってくると分かっているからだ。
だからこそ、あらかじめ首のあたりに、細かく薄く切っておいた鋭利な刃物を貼り付けて配置しておけば、何もせずとも昏黒高暮の攻撃を阻止することができ、加えてその防御を、攻撃に転じることができる。
「っ! くそっ!」
これでも、数か月の付き合いである――彼の殺害方法は見て学んでいる。
私は、殺し方を学習している。
彼は絞殺に
執拗に。対象の首を絞めることによって殺していた。
少なくともここ数か月、一緒に仕事をして――首以外の場所を捻じ切ったことはない。
友情の勝利、であった。
「信じてたよ。君が首を狙ってくるって」
「っ! は、純っ!」
「ありがとう、昏黒くん」
それは昏黒くん程早い動きではなかった。
しかし動揺し、接近を許した昏黒くんの心臓に刃物を突き刺すには、充分過ぎる程の隙が、そこにはあった。
向こうから近付いてきてくれるなんて。
「がっ」
突き刺された勢いで、昏黒くんは吹っ飛び、無様に草原に転がる。
心臓を突き刺した。
確実に、死ぬだろう。
私は、転がっていった昏黒くんを追いかけた。
「……あ、あはは、まさか。まさかこのぼくが、弟子に負けるなんて……ね」
「君の弟子になった覚えはないよ。昏黒くん」
私は言った。
この状況で出る言葉にしては、私の声は暖かかったように思う。
「ど……どうして、君は、死にたいんじゃ……なかったの」
「死にたかったのは、事実。だけど、ちょっとそうもいかない事情ができてね」
皆川さんには聞こえないように、私は昏黒くんに近付いた。
「私を使って、誰かが何かを企んでいるみたいなの」
「……だったら、君は……」
「そう。そっちの方が強大そうだから、そっちに身を委ねてみようと思ったの。あなたといるより、そっちの方が、私に選択肢が回ってこないでしょ? 楽そうだから、楽な道を歩もうって、思ったの」
そう。
あの男の言葉を、全て信用したわけではない。
ただ、三味成皹、そしてその他政府などという強大な奴らの
それは死ぬよりも楽だと、思ったのである。
だからこそ、昏黒くんを裏切って、殺すことに決めた。
「あはは、狂って、やがる……」
「狂ってる? そうかもね。でも、私は生きたよ。私は、生きちゃったよ。これは、私が生きていて良いって、ことだよね。私が正しいって、ことだよね」
「…………そうだね」
昏黒くんの顔色が、どんどん悪くなり、声も小さくなっていった。
「……純」
「何」
最後の言葉、だろうか。
私は耳を傾けて、聞いた。
「……一緒に食べたご飯、美味しかったよ。一緒に過ごした時間、楽しかったよ。一緒に殺した仕事、楽しかったよ」
「…………」
私は。
私はその言葉に、何も答えることはできなかった。
「……最後に、これだけは、伝えておくよ」
そう言って、昏黒くんは、私の服の
「ぼくは君のことを、出会う前から、知っていた」
「! どういう」
返答はなかった。
既に昏黒くんは、冷たくなっていた。
それが昏黒高暮の、最後の言葉になった。
死体は、ものである。
「…………」
「…………」
「…………」
「心停止を確認しました」
皆川さんの静かな声が聞こえた。
最後の言葉、それが、これから先の何かの、手がかりになる。
「……ねえ、皆川さん。これで仕事? 任務? は終わりだよね」
「ええ、そうでございます」
そう言って、皆川さんは、車へと誘導した。
「一つ、お聞きしたいのですが、
「いいですけど、皆川さん」
「どうしてあなたは、昏黒様に勝つことができたのでしょうか」
「……さあ、分からない。彼を油断させて、首だけを狙わせたのは私だし、彼が私の才能を、殺人だって勘違いしていてくれたから」
「そう、そこなのです」
皆川さんはパンと手を叩いて言った。
「あなたの才能が、殺人だということは、ご家庭の件の調査や、普段の暗殺の手腕からも理解していました。しかし今回の一件は、それだけでは片付きません。戦闘能力に関しては、昏黒高暮が頭一つ抜けていた。にも拘わらず、あなたは彼を殺すことができた。それは、なぜなのですか」
「ああ。うん、そこからが間違い」
私は小さく言った。
「例えば、能力とか、素養とか、才能とか、そういう言葉があったとして――そうだな、この場合は才能って言った方が良いかな。私の才能は、人殺しじゃない」
「と、申しますと」
皆川さんも分かっていない様子であった。
「刃物に愛されているということなの」
「…………」
「どんな刃物も、私を貫くことはできない。全身に纏っていても、私の刃物が私を貫くことはない。投擲すれば目標のものを貫くことができ、最大限の実力を発揮することができる。そういう才能を、生まれつき私は有していた。まあ、家族の一件がなければ、私は知らなかったんだけどね」
「……そこにあらかじめ、
流石に皆川さんも、驚いたようであった。
「だからこそ、あなたは誰からも勘付かれることなく、ご家族を殺害することができたのですね。狂気的な犯行ではなく、凶器そのものが、あなたの本質であった、と」
「……で、どうするの? そんな私を、これからも採用し続ける?」
「勿論でございます」
と、皆川さんはそう言った。
「これからも、どうぞうちの斡旋所をご
「はいはい」
それだけを言って、皆川さんは先に帰っていった。
平地には、私と彼の死体が残った。
気分が悪かったので、歩いて帰ることにした。
雨が降りそうな天気である。
傘を持ってくればよかったと、私は思った。
(続)
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