第18話「束の間の非日常②」

「…………」


 そんな風に歩いていると、いつの間にか見知った風景の近くに来ていた。


 少しずつ歩みを進める。


 なぜか緊張はしなかったが、期待はしていた。

 

 あの家は今、どうなっているのか。


 私の殺害は、上手くいっただろうか。


 犯人は現場に帰って来るもの、という言葉があるけれど、成程その気持ちが分かった。帰りたくなる。気になるのだ。


 少なくとも17年間、あの場所は、私の帰る場所だった――そこは。


 果たして。


「…………あ」


 


 


 もう少し明瞭な表現をするのなら、私の家があったはずの場所は、


 何もなくなっていた。


 ぽっかりと――その場所だけ歯抜けになっていた。


「……マジか」


 驚いた。


 遺体とか、いや、もうしばらく経っているから、遺骨か? 


 死臭とか、どうなったんだろう。


 いや、いやいや、そんなことよりも、家そのものがなくなっているという事実に、驚きを隠せなかった。


 家が、なくなっている? 


 綱頼さんとか、昏黒くんとかの仕業、だろうか。


 咄嗟にスマホで情報を調べた、付近の家を入力したり、私の苗字を入れてみたりもしたけれど、ヒットするものはなかった。


 いや、しかし、私は何も言われていない。


 あの人たちなら、気付いたことがあったら話してくれるはずである。付き合いは短いけれど、それくらいは分かる。


 ならば――ならば?


 これは、どういうことだ。


 一体誰が、私の家を抹消したんだ。



 と。


 いつの間にか私の横に、人がいた。


 背の高い、枯れ枝のような男だった。


 黒いスーツに身を纏ったその男は、若干かすれた声で、それでも明瞭にこう続けた。


「犯人は現場に戻って来る、という言説があるが、それが証明されてしまったようだな。小娘」



「っ!」


 私は、距離を取り、頭の倫理観のスイッチを切った。


 既さんから頂戴した服を着用している私を、一発で見抜くとは、この男、只者ではない。


 ――殺すか?


 その選択肢が、当たり前のようによぎった。

 

 今の私には武器がない。


 どこまでいける、手刀だけの状態で。


「おいおい、落ち着けよ。俺はお前とり合うために、ここに戻って来た訳じゃねえんだ」


「……?」


「そうそう。お前と話し合いに来たんだよ。安心しろよ。この会話はどこにも傍受されていない。敵にも、味方にもな」


「っ」


 味方にも。 


 ということは、昏黒くんの助けは、期待できないということか。


「俺は三味しゃみ成皹なりひびと言ってな。まあ、やっていることは、皆川と同じようなことだ。知っているだろう? 皆川綱頼。お前のようなどうしようもなくなった人間を集めて――組織して、そしてきた


「……来る、大戦?」


 なんだ、それは。


 聞いたことがない。


「なんだ、綱頼あいつから何も聞いていないのか? まあ、良いか」

 

 男――三味はそう言って話を戻した。


「それで、殺人が起こったと言う風の噂を聞きつけてな。ここにやってきたら、お前の家が消えていたという訳だ」


「………あなたが、私の殺人を隠蔽してくれたんですか?」


「いやあ? これは隠蔽屋の仕事じゃねぇよ。奴らがもしやったのなら、陰も形もなく、なかったことになっているだけだから、これは俺達の領分じゃねえ。政府の介入があったんだろうよ」


「……政府? どういうことですか」


「ああ」


 少し残念そうな面持ちをして、三味はこちらを改めて向き直った。


 その表情は、苛立ちを加速させた。


「まあ、知らなくても仕方がないか。政府側が、俺達闇の斡旋業の正体に勘付き、そこに所属する人間を炙り出そうとしている――要は、を、全員抹殺するためにな」


「政府が? そんなことを」


 街頭演説していた、あの与党議員を思い出す。


 薄っぺらい言葉を並べて、人の心を掴もうとする、浅ましい人だった。


 あの人も、そこに関わっているのだろうか。


「お前、本当に何も知らないんだな」


 皮肉めいた嘆息を浮かべながら、三味は言った。


「お前の家族は、お前を逃がしたんだよ。


「っ……は」


 それは、どういう意味だろう。


 まずい、私の根底が、揺らぐ。


 悟られないように、汗を拭って私は続けた。


「何を言っているのか、全然、分からないんだけど」


「分からないなら、綱頼にでも聞いてみるが良いさ。まあ、あいつがそういう事情を、構成員に話すとは到底思えんが」


 ふん、と言って、三味はきびすを返した。


 私は手刀を構えながら、言った。


「…………あなた、一体何者なの?」


「背後から俺を殺すか? 止めておけ。お前が俺に勝つなど。せいぜい何も知らないまま、運命に翻弄されて――人を殺し続けるがいいさ」


「待って」


 追いかけようとしたけれど、足が竦んで動かなかった。


「お前、これからも生き続ける気か?」


 こいつに、何が、分かるのだろう。


「分かるぜ。お前みたいな天才は、何不自由なく、努力をひねり潰すんだ。そして誰かの陰で生き続けるんだろう」


 ずかずかと、私の中に入り込んで来る。


「そうやって生きていられるほど、この世界は甘くはねえよ。どんな理不尽な選択肢でも、いつかは選択しなければならねえ日が来る。それを理解しておくことだな」


「あなたに――」


 私は何とか、口を開いた。


「あなたに私の、何が分かるの?」


 初めて会った人に対する態度ではないけれど、しかしこの男もこちらに踏み込んできているので同罪だろう。


「さあな、そのうち、分かるんじゃねえの?」


 男は、それだけ述べて、去っていった。


 私はその場で、立ち尽くすしかなかった。ようやっと気づいた時には、かなり日は傾いていた。


 私の――家族が、何かに巻き込まれていた?


 政府? 闇の斡旋業? 三味成皹? 


 分からない、何一つ、分からなかった。


 男が去るのを、私は黙って、見ているしかなかった。  


 それでも一つ分かったことがある。


 それは。


 私のこの生活は、長くは続きそうにないということだった。




(続)

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