第8話「邂逅三番」

 次の日のことである。


 私は早速、隣の部屋に行った。


「ふうん、お前、新入りか」


 朴訥で独特な口調の喋り方の女性だった。


 寝起きっぽく目をこすり、着物のようなものを来ている――にもかかわらず姿勢は整っているという、不思議な女の人であった。


「え――えっと、そうです。私は――」


「あ、いい。名前は、言わなくて。人の名前を覚えるのが苦手なんだ」


 だったら余計に聞くべきではと思ったが、この人にはこの人の規範があるのだろう。

「私はすで郷土きょうどだ」


 それでも自分の名は名乗るのか。


「はあ、既さん」


「そうだ。既だ。よろしく新入り」


 何だか、通訳機と喋っているような感覚であった。


「えと、私、昨日から昏黒くんの所で住まわせてもらっている者でして」


「うん」


「別にそういう関係ではないんですが」


「うん」


「それでですね、昏黒くんから、女性用の服なら隣の部屋の人に借りろ、と言われてまして、ここに来た次第でして」


「……うん?」


「ええと、ですからですね」


 通訳機というより、壊れたレコードのようであった。


「服を、貸していただけませんか? 私、今着ているの意外、持っていなくって」


「……ああ、そういうことか。服ね。ちょっと待っていろ」


 そう言って、部屋の扉を閉めて、三分程した後で、既さんは戻って来た。


 手には、ランニングウェアのようなものが上下握られていた。


「これでどうだ」


「あ――動きやすそうですね」


 見たままをコメントした。


「うん」


 うんって。


 もう少し会話を繋げる努力をしてほしい。


 まあ、この人にしてみれば、私は異分子みたいなものだもんな。


「サイズが合わなかったり、もし気に食わなかったら返しに来てくれ。それ以外の場合は、新入りにやる」


「く――くれる、ってことですか。そんな、申し訳ないです」


「なぜだ? 困っているのだろう」


 どこか噛み合わない。


「いい。服は余る程持っているからな、それともいらないか」


「えっと――じゃあ、お借りします。いつか、御返ししますので!」


 流石に私にも、借りパクするのは申し訳ない程度の倫理観はあった。


「うん、じゃ、それで良いや」


 それで良いのだそうだ。


 何だか適当な人である。


 部屋に戻り、着替えた。


 その最中昏黒くんはリビングの方にいてくれた。


 意外と紳士なところがある。まあ、私もれた女子なので、別に年下の男子に着替えを見られて恥ずかしがるなんて言う初心うぶな一面はないのだけれど。


 服は、驚く程にぴったりだった。


「…………えー、怖」


 あの人、見ただけで私の体格を把握したのか。下着とかにも上手くフィットするようになっていて、逆に怖かった。


「郷土さんから服、もらえた?」


 リビングの扉の向こうから、昏黒くんが問うてきた。


「うん……っていうか滅茶苦茶丁度良いんだけど。何、あの人――既さんって服屋でもやっているの?」


「うーん、何ていうのかな。難しいんだけど、仕立てたり、組み立てたり、繋げたりが得意なんだよね」 


 要領を得ない回答だった。


 まあ、昏黒くんや皆川さんの住むようなアパートだから、住人も変な人なのだろう。


「さて――着替え終わった?」


「うん、終わったけれど」


「じゃ、行こうか」


「うん――うん?」


 もう行くのだろうか。


 やきもきする私を余所よそに、昏黒くんは先に進んだ。


「それで、私たちがやる仕事って、暗殺、だよね」


「そうだよ」


「その殺しの対象の人って、何か悪いことをしたの? 例えば、人を利用したとか」


「さあ」


 昏黒くんは平然と言った。


 さあって。


「何も悪いことしてないのに、殺されるの?」


「まあ、そうだね。指名されるってことは、何らかの悪行を犯した可能性はあるのだろうけれど、それはぼくらには関係ないことだよ」


「関係ない……かあ」


 まあ、そういう考え方もあるか。


 殺す相手のことを一所懸命に考えても仕方ない。


「同業者によっては、相手のことを調べ尽くしてから殺しをする人もいるけれど、ぼくはそれはしないからなあ」


「そうなんだ」


 この件に関しては、下手に尋ねても仕方がないような気がしてやめてあ。


「取締役ってことは、そこそこ重役ってことだよね。つまりその人を殺すってなると、相当の労力を必要とするんじゃないかな」


「まあ、普通は大丈夫だよ。裏と繋がりのある人なら綱頼さんが初めに教えてくれるし、今回はそれはなかったから――ただ殺すだけで大丈夫」


「なるほど」


 先程から私、相槌しか打っていない。


 ただ殺すだけ――ね。


 それが一番大変なんだが――きっと昏黒くんなら簡単にやってのけてしまうのだろう。初回は私も見学と行っていたし、勉強させてもらおう。


「それで、これからどこに向かうの?」


「ん。取り敢えず、その企業本社まで行ってみようかな」


「分かった。えと、場所は」


 スマホで本社を調べると、都内の一等地にあるらしかった。


 私でも名前の知っている企業なのだから、それはそうか。


「何で行くの?」


「電車かな」


「……電車代とかってお借りしても良い?」


「え」


 年下男子に電車賃をたかる女子高生の図、であった。




(続)

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