第7話「希望の夜」

「じゃあ、どうしましょう」


「さあ、どうしたものでございましょう。何かご要望などがあれば、極力それに適うものを見つけようとは思いますが……」


 ご要望ね。


 それは、私には難しい話であった。


 例えば「何か食べたいものある?」と聞かれて「何でも良いよ」と答える家庭の風景があったとする。心温まる、料理のワンシーンである。しかしなかなかどうして、私は日常生活においてそういう選択を迫られたことがない。


 中学受験に失敗するまでは――いやした後も、私は親の言う通りに、妹の後を追いかけるように生きてきた。


 何かを自分で選択したことが、ほとんどないのだ。


 だから、大学には行きたいと思っていたけれど、具体的にどこの大学に入りたいという願望を持ったことはないし――理由も妹はエスカレーターで行くことが決定しているからだし、将来の夢なども、夢を抱きそれを発言するたびに芽を摘み取られてきたのである。何かを自分で選択など、したことがない。


 だから、綱頼さんの言葉に、固まってしまった。


 コミュ障、である。


「あ、え、えーと」


 えーと、ではない。


 考えろ。

 

 私は何になりたい? 

 

 というか今更、何になれる。

 

 人を殺した者でもなれるもの。


 犯罪者。


 問題としては大正解だが、人生としては不正解である。


 ここは職業斡旋所、なのだと言っていた。ならば――ならば私は、私は?


 そもそも私は、何かになりたいと思ったことがあるのか。

 

 いや、違う。


 それこそ、どんな選択肢ルートを選んだとしても、それを失敗だと思い込むだろう。


 私はに作られてしまっている。 


 両親によって。


 だから――この問答には答えがないのだ。なりたい自分像はなんですか。いつだっ

 てその答えは、空白であった。


「そうだ」


 と、流石に沈黙に耐えかねたのか――それとも何かを思いついたのか、昏黒くんが口を開いた。


「ぼくの仕事を手伝ってもらう、というのはどうかな――綱頼さん」


「昏黒くんの仕事を、ですか」


 皆川さんは少々迷うというか、不思議な表情になった。


「確かに君はうちのお得意様ですが、その分料金を割り増しにはできませんよ」


「分かっているよ。その代わり、仕事の階級グレードを1つ2つ上げてもらって構わない、その分の給与を、ぼくら二人で山分けしたって、問題はない訳だろう?」


「しかし――」


 と、皆川さんはちらりと私を見た。


 やはり不思議な表情だった。


 心配……? 


 会ったばかりの皆川さんが? 私を。

 

 なんだろう。私に何か付いているのか。


「大丈夫だよ。ぼくが言うのだから問題はない。彼女は人殺しだからね。それも家族を殺している。きっとぼくの役に立ってくれると思うよ」


「昏黒くんがそう言うのでしたら――分かりました。お二人で二人一組ツーマンセルということで考えて、お探ししてよろしいのですね」


「ああ、それで構わない」


 何だか私が会話に入れていないので、昏黒くんを小突(こづ)いた。


「ねえねえ昏黒くん、大丈夫なの? その、私の仕事って」


「ああ。うん、大丈夫だよ。何も問題はない」


「それなら良いんだけど。何か怖いことさせられないわよね? 私、技術とか資格とか持ってないし」


「あ、うん、大丈夫大丈夫」


「それ、大丈夫じゃない時の反応だよね。っていうか私への対応ぞんざいになってきてない?」


「来てない来てない」


「ほら、そういうとこ」


 まあ、元々私の人生だから、間違いしかないのだろうが――戻ってこれない不可逆の間違いには、極力避けたいものではあった。


「承知しました、では――こちらなど如何いかがでしょう」


 そう言われて提示されたのは、分厚い書類の束であった。


「えっと?」


「大人というものは、長くややこしい文章を好みます故、初めて見る方は気後れするでしょう。純様、一番上から二番目の所に、仕事内容の記載がございます」


「ああ、ご丁寧にありがとうございます」


 それを見て、認識した。


 、暗殺であった。


 「…………」


 まあ、そうなるか。私の人生だもんな。


 上手くいくわけがない、そう簡単に良い職業に就けるとは思っていなかったけれど、まさか暗殺業に加担することになるとは。


 私でも聞いたことのある企業の取締役であったので、吃驚してしまった。


「純は最初は見ているだけで良いよ。少しずつ慣れていったら、殺害に手を貸して」


「うん……分かった」


 呆気にとられるかたわら、私はなぜか、そう反応してしまっていた。


 やはり麻薬や煙草と同じか。一度始めたら、抜け出せない、殺人にもそういった中毒性がある、ということだろうか。


 この辺りで拒絶しておけば良い、すぐさま逃げ出せば良い。と思った方も多くいらっしゃるだろうが、残念ながら私にはそれはできない。


 それだけはできない。


 何故なら既に私の人生レールは、彼らによって舗装ほそうされ敷設されてしまっているからである。


 ずっと選択する権利がなかった私が、今更何かを選ぼうなどと思うことそれ自体が間違いだったのである。

 

 レールの上を歩くしかない――肯定するしかない。

 

 それが最悪だと分かっていても、間違いだと分かっていても、そうせざるを得ない。


 そういう人生を歩んできた。


 だから悪いのは――そう、私じゃない。あの親だ。

 

 そう思って、私は責任を回避した。

 

 放棄とも言う。


「では、お二人とも、こちらに受領のサインをお願いします」


 そう言われて、ボールペンを出された。何だか久方ぶりに、そういう日常みたいな文房具を見たような気がした。


 それでこの陽気な斡旋者の頭蓋を突き刺したら、どうなるだろう――とも。いや、尖度が足りないな。これでは脳幹まで貫通はできない。


 ん。


 私は今、何を考えていた? 


 いやいや、気のせいだろう。


 そう思って、私はサインをした。ちらりと隣を見ると、私よりも丁寧な字で、「昏黒高暮たかくれ」と記載されていた。昏黒は苗字だったのか――と思ったら、その用紙は回収されていた。


「ありがとうございます。それでは、仕事の終了まで、こちらで預からせていただきます」


「あの――」

 

 と、私は一応挙手をした。


「はい、純様、どうかなさいましたか?」


 皆川さんは、眼をぎょろりとして反応した。少し怖かった。


「その――もしその仕事の最中に死んだ場合って、どうなるんですか?」


「ああ、その場合は、身元不明死として扱われます。今書いていただきましたサインも、生命の保証はできかねるというものでして。勿論、お読みになりましたよね?」


 スマホのアプリの同意書などは読み飛ばすタイプである。


「ああ、はいはい、読みましたとも」


 とそう言った。


「では――行ってらっしゃい」


 と、まるで某テーマパークの職員のようなことを言って、皆川さんは私達へと挨拶をした。まあ控えめに「用はないからもう出て行け」と言われたようなものである。


 外に出て――「こっち」と昏黒くんが言うので、付いていくと。そのアパートの2階(斡旋所は1階にある)に、どうやら昏黒くんの部屋があるようだった。


「しばらくはここで寝泊まりすることになるから。ごめん、狭い部屋だけど、一応布団は二つあるんだ。よろしくね」


「あー……うん、よろしく」


 決して。


 決して断じて、年下の男子との急な同衾どうきん生活に心が躍っているという訳では毛頭ない。

 

 私にそういう属性はないのだ。


 雑念をぶんぶんと振り払って、私は彼の部屋の中へと入った。

 

 部屋は綺麗だった。何なら私の部屋より綺麗である。女子としての沽券こけんに関わると思ったけれど、この部屋、元々ものが少ないのだ。


「じゃ、今日は眠いからぼく、先に寝てるね」


「え、お風呂は?」


「ああ、勝手に使って良いよ、ぼく、先に入っちゃったから。お湯はそこのスイッチを押せばつく。服は――そうだな、隣の部屋の人に借りてって」


「と、隣の部屋の人って――」


「おやすみなさいー、純」


 むにゃむにゃと言って、そのまま寝てしまった。


 正直私も眠気のかなり限界だったけれど(こんな夜分に普通に開いている斡旋所って一体何なのだと言う話である)、流石にあれだけ走った後だ、シャワーくらいは浴びておきたい。


 そう思って、スイッチを入れて、服を脱いだ。


 部屋はキッチンとリビングを仕切る横に開くタイプの扉があり、風呂はキッチン側に付いていた。お風呂を沸かすのが面倒くさかったので、そのままシャワーを浴びた。


 このシャワーで昏黒くんがいつも身体や髪を洗っていると興奮――いやいや、だからその類の属性は持っていないと言っている。


 風呂から上がると、キッチンの側にドライヤーが用意されていた。昏黒くんが出してくれたのだろう。髪の毛を乾かして――小さく「今日はありがとう」と言い、その日は寝た。


 こうして、殺人犯の一日が終わった。


 そして、始まる。

 

 新しい朝が。



(続)

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