第5話「邂逅一番」

 はあ。

 

 疲れた。

 

 さて、これからどうするか。

 

 罪を犯した以上、警察が遺体を発見するのも時間の問題である。

 

 だったらいっそ、山の中で遭難して死んでしまおうか。

 

 この夜道である。確かこの山は、そこそこ険しい山だった記憶がある。足でも滑らせれば、簡単に死ぬことができる。

 

 もう、良いか、それで。

 

 生きたら生きたで、山の中でしばらく暮らしていけるだけのサバイバル能力は私にはない。その内餓死するか、それこそ遭難できるだろう。

 

 休んだら色々と面倒になってきたので、重い腰を起こした。

 

 ところで。


「ねえ――」


 と。


 闇の中からそんな声が聞こえた。


 私は吃驚した。


「わひゃあ」


 と、ベンチからひっくり返って、頭をぶつけた。


「だ、誰」


 それは、闇が人の形を作っているように見えた。獣道の入り口付近なので、街燈は少ない。それがきちんと人の像を結ぶまで、少々の時間を必要とした。


「ぼくの名前なんてどうでも良いんだよ」


 と、影はそう言って、私の隣に座った。やっとこさ目が慣れてきたので、見ると、それは男子だった。


「…………」


 私よりも年下だろうか。小柄で、背筋の真っ直ぐな、暗闇に紛れるには少々性格の良さそうな男子である(闇に性格は関係ないか)。


 少年は、私が立ち直るのを待たず、言った。



「お姉さん、人、殺したでしょ?」

 


 それは唐突であったけれど、現実であった。


 何を返答すれば良いか、迷った。


「……え? 人を殺した? 誰が、私が?」


 とぼけることにした。


「そう。人殺し。しかも、家族を殺している」


 この少年、理解わかっている。


「そんなことする訳ないじゃん。何言ってるの。私はどこにでもいる普通の女子高校生だよ。そんな殺人鬼みたいなことしないよ」


「いや。殺人鬼ではなくとも、殺人犯ではあるんじゃない?」


 大正解である。


 ただし私は反論する。


「証拠でもあるの?」

 

「ぼく、あなたの家に入って確認しているからさ。突き刺したよね、包丁を」


「…………」


 ご丁寧に凶器まで把握されている。


「上手く殺したよね。挿し口からの出血が少ないように殺している。父親と、母親と、あとは妹かな」


「……詳しいね」


 徐々に言える言葉が少なくなっていくけれど、せめてもの抵抗はしておきたかった。


「どうしてそこまで知っているの?」


「うん。お姉さんがあの家から出てきた時から、ぼくはお姉さんを尾行していたんだ。家の中をちょっと検分したから、追いつくのに時間が掛かったけれど。お姉さん、足早いんだね」


「尾行……ねえ」


 このご時世、そんなことをする者がいまだいるとは思えなかった。


 中学時代は、吹奏楽部だったけれど、駅伝の助っ人に言っていたことが、どうやら奏功したようだった。


「気付かなかった? お姉さんがあの家から逃げている間、誰ともすれ違わなかったこと」


「……」


 確かにその通りだった。


 人通りの少ない道を意図的に選んで通って来たとはいえ、途中誰とも出会わないというのは、少々おかしい現象ではあった。赤信号で止まった時も、車も一切来なかった。そこまで夜が更けているという訳でもないだろうに。今まで気が付かなかった自分が、少々恥ずかしかった。


「ぼくがちょっとした細工をしたんだ。結界、みたいなものかな。お姉さんの周りに人が通らないようにした」


 細工、結界。


 分からない用語が続いて、私はやっとこさ、自分の疑問を口にした。


「……君、何?」


「普通は最初に聞くんだけどね?」


 少年はあきれたように言った。


 目が慣れてきたので、少年の全貌が明らかになった。男子にしては少々長めの髪の毛を後ろで結び、真っ黒の髪の毛に、動きやすそうなジャージ姿であった。


 声色は変声期を終えた男子の声だが、顔立ちはどこか中性的であった。


 不思議な雰囲気の少年である。


 まるで、今日初めて会った訳ではないような感覚がある。


 いや、実際、彼と会うのは初めてだろう。少なくとも私の記憶の上では、彼の顔は初めて見たし、幼少期に生き別れになった双子の弟ということはない。


 ただ、まるで毎日鏡で見ているかのような、初見ではない安心感とでも言うのだろうか。この少年はそういう何か雰囲気めいたものをかもし出していた。


「ぼくは、君と似たような生き物だよ」


「……ふうん。つまり、君も親を殺したってこと」


「まあ、そんなところ」


 はぐらかされた。


「それより、お姉さん、どうするの? これから」


「これから――えっと、これからね」


 そう言われて、言葉を噛み締めた。


 私が考えないようにしていたことだった。

 

 これから――これから先。

 

 未来の話は、いつだって嫌いである。

 

 どうせ失敗することが分かっているから。


「さあ、どうもこうも、私、人殺したんだし、裁かれるべきじゃないかな?」


「それは捕まってからの話、でしょ。お姉さんはまだ捕まっていない」


「それはそうだけれど」


 ただ、時間の問題であるという気もする。


 日本の警察は優秀である。刃物も家に置いてきたし――指紋もしっかりついている。そこを調べられればおしまいである。証拠は沢山残してきたつもりだ。意図的ではなく、半ば諦めるような感じで家から出てきたのだ。


「でも、すぐに警察が見つけて、私は捕まるよ。だって、人を殺したんだから」


「じゃあ、捕まらなければ良いんだよね」


「?」


 話が噛み合わない。


「どういうこと」


「だから、捕まらなければ、裁かれることもない。見つからなければ、殺しが露見することもない。殺しは殺しでも、事件にはならない。そういうことだろう」


「……ううんと、事件にならなければ、裁かれることはないってこと?」


「そう。それで、これからの話なんだけど――お姉さん、行くところあるの?」


 話を意図的に逸らされた。


 またこれからの話である。


 皆どうして、これから先の話ばかりするのだろう。受験、大学、就職、良い大学で、良い職場で、それで幸せになれると、誰か決めたのだ? 


 それにもう私には、そういう普通の未来は望めない。

 

 否、初めから望めなかった。

 

 高校を卒業したら働け、大学に行かせる金は遣らないと言われていた。


 働くって。


 簡単に言ってくれる。


 偏差値は決して低い高校ではなかった。ただ――親の眼鏡に適った所ではなかったというだけである。


 どちらを選んだ所で八方閉塞ふさがりだったことは確かである。


 だから、せめて間違えないように、妹の模造品コピーとして、そこに存在するしかなかった。


 しかし、模倣先の妹は、死んでしまった。


 私が殺した。


 だから、自分で選ばなくてはいけない。


 自分の道を。


 ある意味では、やっと家の呪縛から解放されたという捉え方もできるけれど、その結果として殺人犯になったのでは、もうどうしようもない。道は既に、犯罪者の経路コースへと続いているのだ。


「ない」


 少しだけ考えて、そう言った。


 犯罪者の私をかくまってくれる所など、早々ない。何より、祖父母も親戚も妹を溺愛している。私なんて所詮妹の付属品、欠陥品でしかなかったのだ。


 それを自覚しているから――言い切ることができた。


 私に、行く場所などない、と。


「そう。ないんだ」


 少年は平然と言った。


 少しは動揺とか感傷とかしてくれても良いのではないか。


 どうやら感情の起伏がとぼしい少年であるらしい。


「じゃあさ、ぼくと一緒に来ない?」


 それは、提案であった。


 え、と返答した。


「行く場所もないし、アテもないんでしょ」


 確かにそうだけれど。


「そのままじゃ、飢え死にか野垂れ死ぬか、警察に捕まって極刑だよ」


「そりゃそうだね」


「それでも良いの? お姉さんは」


「うーん」


 少し考えた。野垂れ死に、は正直嫌だ。


 餓死も、さっきは別に良いとか言ったけれど、苦しそうである。


 かといって徘徊ウロチョロして、その辺の悪い大人に捕まって犯されるのも嫌だし、そうなると警察に捕まって刑罰を受けることが一番良いように思えてきた。


 改めて考えると、嫌なことって結構多い。


 何でも受け入れるつもりでいたけれど、いざ生きると考えると、面倒である。


 しかし――いや、しかしそれって結局、裁かれるということなのだよな。


 自分の罪を認める。

 

 私は人を殺した。


 悪いことをした。


 ごめんなさい――はい、謝った。


 だから、これで反省したということで――裁かれるのは。

 

「嫌だなあ」


 と、私は言った。


 自分の意志をそのまま口にしたことなど、初めてだった。


「そう。じゃ、ぼくと一緒に来ようよ。お姉さんみたいなどうしようもなくなった人に、仕事を紹介してくれる人を、知っているんだ」


「そんな人、いるの?」


 聞くからに怪しい。


 それに今、さり気なく非難ディスられたか?

「いるよ。闇側の斡旋あっせん業者さ。まあ、風変りだけれど、悪い人って訳じゃないから、お姉さんになら良い仕事を見つけてくれると思うよ」


「仕事……ねえ」


 一足飛びに話が飛んだ。


 昨日まで女子高校生だった私が、仕事。


 急な話である。


 しかも闇側のって、簡単に言ってくれている。


「どうしたの? 来ないの?」


 と、少年は言った。


「…………」


 あっさりと、私は、諦めた。


 何を? 、である。


 少年がそう選択することを望んでいるなら――そういう選択肢を示してくれるのなら、乗っかろうと思ったのである。どうせこれから先のことなんて考えていない。だったら、今、この瞬間の自分を救うことを考えよう。


 生きるためにはお金が必要、そのためには仕事が必要。オーケー、その斡旋業者とやらに行こうじゃないか。


 絡みつく倫理観と情状酌量の余地を振り切って、私は少年の後に着いて行った。


「そういえば、君、名前何て呼べば良い?」


「ぼくは昏黒こんこくだよ。お姉さんは?」


 それが苗字なのか名前なのかは、分からなかった。


 私は本名を言おうとしたが、殺したあの人たちと同じ苗字を名乗りたくなかったので、


「純」


とだけ言った。


「分かった、純」


 呼び捨てなのかよと思った。




(続)

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