第3話「始まりは終わり」

 常に私の人生レールの先には、妹がいた。

 

 多分内心では見下されていたのだろうと思う。


 妹は優しい性格をしていた。しかし私が父や母から暴言や暴力を受ける所を、助けてくれることはなかった。

 

 優しいだけで、その優しさを私に向けてくれるわけではなかった。


 ただ、私よりも良い学校に通っているからか(教育上よろしくないという名目だろう)妹がいる時は、父や母は私に暴行を働かなかったのは、僥倖ぎょうこうと言えた。

 

 ただ――私の道には、誰がいるのだろうか。


 思えば今こそ、初めてなのではないか。


 誰かの先を走らない、自分で決めているということは。


 いや、ひょっとしたら、これも誰かの意志なのかもしれない。

 敬虔けいけんな教徒だったら、それこそ神の意志などと言うのだろうが、残念ながら私は宗教には詳しくはない。


 私の意志は、私のものだ。


 息が上がってきたので、電柱に身体を預けて、休憩した。


 いきなり止まると心臓に悪いから、徐々に速度を落とした――これも、体育の授業で習ったことである。


 あれだけ嫌いだった体育が、今の所一番役に立っている。

 

 これはどういうことだろう。


 いや、案外世の中、そんなものなのかもしれない。


 役に立つと思って買ったものが役に立たず、役に立たないと思って残念に思ったものが、意外な所で役に立つ。

 人間もそういうものなのかもしれない。

 優秀――役に立つと持てはやされた妹は、肝心な所で私を助けてはくれなかったし。

 役立たずと邪見にされた私は、役に立った。

 

 役に――立った、と言えるのか。

 

 ――私は役に、立てただろうか。

 

 ――正しい選択を、しただろうか。


 息を整えながら、私は考える。


 何か行動を起こそうとするたびに、必ず両親からの否定が入った。


 だから私の選択は、常に間違っているものだと信じて疑わなくなった。


 きっとこれも、間違いなのだろう――どうせ間違いだ、ハイ失敗する、おしまいつまらない下らない。


 常日頃、そう思って生きていた。


 だから大概の失敗には動揺しなくなった。


 人はそれを「強さ」だと言うけれど、そんなことはない。


 はなから自分が正しいなどと思っていない、自分を信用していないのだ。

だから失敗も怖くない。初めから上手くいかないと思っているから。


 逆に成功は全て、他人のお蔭である。

 

 そういう己への信心を、私は家でバラバラに分解させられている。


 今日も、いつも通りの日、であったはず、だったのだが。


 今度は何を、どこを間違えてしまったのだろう――と、走りだしながら私は思い返す。


 多くのことを間違え過ぎて、どこが失敗だったのか分からない。


 今日は、家に帰って、宿題を終わらせ、食卓に着いてご飯を食べ終え、食器を洗っていると、急に父親から殴られた。

 

 そして次に蹴られた。


 あらあらと母親はいつものように「邪魔ね」という表情をして、倒れ込む私を見ていた。


 そう、これが我が家の日常風景である。


 何を間違えたのか、何か間違えてしまったのか、どうして機嫌を損ねてしまったのか――そう考えて考えて考えても分からなかったので、そうだ、私は両親に訊ねたのだ。何か私が間違えましたか、と。


 そして――今に至る。


 いや。


 いやいや。


 記憶が繋がっていない。まだ興奮状態を抑えられていないのかもしれない。一旦立ち止まって、考え直した。


 確かに今日は、何も間違えなかったはず――だと思いたい。


 何でも失敗するのは仕方ないにしても、同じ失敗を繰り返すことは極力したくはないのである。特に両親のように痛みを伴った罰をしてくる場合には、である。特に何もせず、食事を取っただけ、のはずであった。


 なのに、急に殴られたのだ。

 

 痛かったけれど、もうその痛みはほとんど感じなくなっていた。


 いやあ、痛かった。

 

 どうして急に殴ってきたのだろう。

 

 吃驚びっくりしてしまった。


 ただ、殴られる理由を考えれば考える程に、私は思い当たる節が多すぎて辟易へきえきしてしまった。


 まず、「存在していること」、「生きていること」、「良い成績を取れていないこと」、「妹に申し訳が立たないこと」、「親の言った志望校に合格できなかったこと」、「テストで満点を取れなかったこと」、「容姿が醜く、それを治す努力を一切していないこと」、「親を尊敬していない(と思われている)こと」、等々、挙げ始めたらきりがない。

 

 家庭内暴力をする親を尊敬しろという方がどうかしているけれど、あの家は、私が殴られることによって何とか成立していると思うのだ。


 理性的で乱暴な父と、文学的で無関心な母、そして優秀な妹、そこに私の差し挟む余地などなく、そこに私という異分子が入っているから、あんな風にごちゃついているのではないか――と、そう思ったこともあった。何なら今も、そう思っている。

 

 きっと私が生きていることが間違いなのだ。


 ――いつもならそう思って耐えられていたのに。


 ――どうして今日は、反発してしまったのだろう。


 生まれてくる人生レールを間違えた女――なんて、今時流行はやりもしないか。


 そう。


 私は反発したのだ。


 それまで親への反抗期は、なかったように思う。


 今、私は高二だから、少々遅すぎたくらいだろう。


 ただ、反発した。


 だって痛かったのだ。


 急に殴ったり蹴ったりされて、吃驚しない方がおかしい。


 いや、今までは吃驚もせず、何も言わなかった私も悪いのだけれど。


 それだけだったのに、両親の狼狽ろうばいっぷりと言ったらなかった。


 とても動揺していた。


 ――どうしたの、じゅん

 

 ――今日のお前はおかしいぞ。


 そんなことを言われた。


 どうしたのって、いや、この状況を作りだしたのはあなたたちだろう。私は何を間違えたのか聞いているだけなのに、それさえも否定するのか。


 次に生かして殴られないようにしたいだけなのだ、痛いのは厭なのだと何度も言ったけれど、両親には通じなかった。


 その内口論になり、二階から妹が下りてきた。


 これは珍しいことだった。


 両親がいつも私を糾弾している間は、妹は自室にこもって絶対に出て来ない。

 私を助けてはくれない。


 まあ、助けてくれなどと頼んだことはないし、面倒事に巻き込まれるのは御免だろう。きっとそれが妹にとっての『正しい選択』なのだ。


 ――どうしたの、お姉ちゃん。

 

 しかし妹が心配したのは(それが心配だったのかどうかは定かではないけれど)両親の様子ではなく、私であった。反抗し反発した私がそれほど珍しかったらしい。


 そして――そして、現在に至る。

 

 いや、いやいや。

 

 まだ何か重要なことが欠落している。

 

 記憶喪失なんてそれこそもう流行の外側である。


 一時期何かと記憶喪失するヒロインを登場させる小説が流行ったけれど、実生活でそんな都合よく、一点の記憶だけが抜け落ちるみたいなことはほとんど無いのだそうだ。


 大概はまばらに消えているか、全部抜け落ちているか、直前だけ途切れているか――の三点らしい。


 なんて、最近読んだ小説にそう書いてあった。


 そういえば母は、私が小説を読むことを酷く嫌がっていた。

 

 理由は分からない。いや、嘘だ。分かる。そんなものを読まずに勉強しなさいと言いたかったのだろう。私が中学受験に失敗するまでは、教育熱心だった。失敗して以降は、もう私とはほとんど口を利かなくなった。失敗作に興味はないらしい。

本当、そう考えると大人というものは、都合の良い生き物である。


 私だって――産んでくれと頼んだわけではないのに、勝手に生まれて、勝手に名前を付けられて、勝手に家族にさせられて、勝手に殴られて、勝手に蹴られて、勝手に罵られて――親の道化も良いところであった。


 道化と聞くと、太宰だざいおさむの『人間失格にんげんしっかく』なんかを思い出す。中学校の時、唯一表彰されたのが、『人間失格』を読んだ感想文を書いた時だった。褒めて欲しくて持っていった表彰状を、両親は破って捨てたっけ、懐かしい記憶である。


 記憶――ああ、そうだ、記憶だ。


 私は記憶を取り戻されければならない。可及的速やかに。


 そう、私が家とは逆方向に進んでいるのには、理由がある。


 少し話が前後してしまって申し訳ない。


 先程の「お姉ちゃんいつもと様子が違う事件」についての話である。


 暴力騒ぎに妹も混じり、リビングは色々とごちゃついていたように思う。父が私を蹴飛ばした時の衝撃で机が揺れ、置いてあった焼き魚が私の顔面目掛けて落下してきた。目に刺さりはしなかったけれど、そういう問題ではなかった。


 妹は、私が殴られて蹴られているのを、じっと見ていた。


 そしてその後、リビングを出て、部屋へと戻った。


 は? である。


 妹は、家族内の暴力沙汰には唯一関わっていない存在であった。そして今回初めてそれを目にして、言葉を失ったのか、何を思ったのかは分からない。いつだって正しい妹は、今日もまた、正しい選択をしたというだけの話だ。言葉の通じない相手には関わらない。正しい。いつも正しいのだ。


 あの優しい妹にも見捨てられた――とか、そういうことに衝撃は覚えなかった。

 

 ただ。

 

 彼女のその行動があまりにも普通過ぎて。


 私は初めて、「」と思った。


 親に敷かれた人生レールの比喩で言うなら、脱線事故である。

 

 そして線を脱した列車は、その勢いのまま、私の脳髄の芯となる部分へと直撃し、全てをめちゃくちゃにした。


 文字通り、全てを。


 そして気付いたら。


 


 




(続)

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