嵐の後の日々②


「あの~……ごめんなさい。イチャイチャしてるところ悪いんですけど、そろそろうちも入って良いですか?」


 ──と、聞こえてきた声は、恐らく今このタイミングで、最も聞いてはならないと言うか、個人的にかなり聞きたくない声だった。

 まあ、要するに、我が担当アイドル第二号……ちょうど今しがた話題にしていた、高校生アイドルだった。


 青色の髪がチャームポイントな、新進気鋭の新人である。

 最近は色々あったものの、一晩二晩で驚異的な回復を見せ、今ではすっかりいつも通りというか、何なら前よりもアクティブになったんじゃないかと、主に俺の中で噂な、紫藤荏碆エヴァである。


 相変わらず、書くのも読むのも大変そうな名前だ。

 何年生になれば習うのか、教えて欲しいくらいだぜ──と、空で書けるようになる為に、練習したことをちょっとだけ思い出す俺だった。


 要するに、ちゃんと現実逃避していたら、パンッ! と目の前で手を叩かれた。


「っっっくりしたー……いきなり何んするんだ、斑雪……」

「蒼くんがぼぉっとしてるから、起こしてあげようと思ったんだよ。言わばこれは……優しさ?」

「本当に優しさだった? しかもちょっと疑問形だし、そこはかとなく、悪意を感じたんだけど……」


 どうなんだよ? という目を向ければ、てへっと小さく笑いながら、ウィンクで星を飛ばす斑雪だった。

 可愛いけど腹立つとき、人はどうすれば良いのか分からなくなるんだ、という知見を得た瞬間である。


「いやっ、だから隙あらばイチャつくのはやめてくれませんか!? うちっ、うちがいるってば!? ちょっとマネさん? れんかさん!? 見えてますか!? お~~いっ」

「……? 何だか声が聞こえる気がするな。俺、霊感にでも目覚めたのかなあ……」

「くっ、うぅぅ~! マーネさ~んっ!」

「うお声でっか……」


 耳元で囁くどころか、かなりの絶叫をしたエヴァを前に、仕方ないかとため息を吐く。

 現実は現実だ。受け入れるほかないだろう。


「まあ、何だ。そういうことだから、秘密にしてくれないか?」

「せ、説明を全力で端折ろうとしている……いや、まあ、ほとんど予想できてたって言うか、この前の距離感で、何となく察してはいましたけど……」


 れんかさんはいつにもまして好き好きアピール隠さないし、マネさんも拒絶まではしないんですから、見ての通りって感じではありますよね。と中々鋭いことを呟くエヴァであった。

 いやはや本当に、これで「弱味を握った!」とか思うような女の子じゃなくて良かったなと、心底から思うばかりである。


「れんかさん、泣かせたらうち、怒りますからね。絶ッ対に許しませんから」

「圧が強いな……ていうかそれ、香耶さんにも言われたし……」


 斑雪の周りの女性はこんなんばっかりか、とため息が出そうになる。

 まるで過保護な姉と、過保護な妹である──というのは冗談だとしても、俺への攻撃性が高いことを除きさえすれば、良い関係だなとは思った。


「言われなくても、分かってるよ……分かってる、つもりだ。というか、分かったつもりって言った方が、良いんだろうけれど」

「ふぅん……? まあ、その辺は良く分かりませんけど、ゴタゴタしてたのが済んだなら良かったです──言われてもみれば、顔色もちょっと良くなりましたね、マネさん」

「? そうか? ていうか、顔色これまで悪かったのかよ……」

「まあ、蒼くんは基本的に、良くはないよねぇ」


 今明かされる衝撃の事実って感じだった。

 不健康ではないんだけどなあ……大きな怪我や病気もない、至って健康的な人生を歩んできている俺である。


「蒼くんは寝不足さんだからなあ、それも仕方ないけれど──精神的にも、ちょっとは楽になれたんだし、これからそっちも改善しようね?」

「……努力するよう、善処はする」

「うわっ、出た。マネさんのその、絶対にやらないやつ! うちがオススメした漫画とかも、そう言って絶対読みませんよねっ」

「まあ落ち着けよ、アプリはちゃんと入れただろ……」


 ただその後、特に開いていないだけである。ついでにタイトルも忘れてしまったのだから、これはもう、俺にはどうしようもないだろう。

 そうだよね? と同意を求めたかったが、味方はいなさそうなので、グッと飲み込むことにした。


 何だか勢いのまま、雑談に入ってしまったが、聞かなければならないことがあった。

 それも、結構ちゃんと大事なことを。


「で、何でまた、平日だってのに事務所に来てるんだ、エヴァ。学校はどうした、サボりか? だとしたら、お兄さん絶対に許しませんからねッ」

「マネさんはいつからうちのお兄ちゃんになったんですか……サボりじゃなくって、記念日ですっ。忘れちゃいましたか? 開校記念日!」

「あー……そういえば、そうだっけ……?」


 基本的に学業を優先してもらっているため、エヴァが平日昼間っから仕事をすることは、そこまで多くない。

 今日も元々、そういう予定で大分前から予定を組んでいたので、すっかり抜けていた。


 ははぁ、開校記念日ねぇ。

 実に懐かしい響きである。


「つっても、それで事務所に朝から来るって……相当な暇人って言うか、友達がいなさすぎて泣けてくるな……」

「……ふんっ!」

「痛い痛い! 分かった、分かったから。俺が悪かったから蹴るのはやめろ!」

「ふふっ、こうして見ると、蒼くんとエヴァちゃんこそ、兄妹みたいだよね。仲良しさんだ」

「こんな暴力的な妹、俺はいらないが……」

「うちだってこんな目の死んでるお兄ちゃんはいりませんけど……」


 ということだった。互いに拒否した形になるので、どう足掻いても兄妹にはなれない俺たちである。


「ていうか、こう言っては何ですけど、マネさんは弟気質ですよね。大人大人とは言いますけど、子供っぽいところ満載ですし……」

「お前までそういうこと言うのかよ……」

「お前までって……他にも言われてるんですか?」

「……まあな。何なら最近はむしろ、ガキだガキだと言われてることの方が、多いような気さえするな」


 といっても、直接言われている訳ではなく、迂遠に伝えられているだけなのだが──いや、いいや。俺がそう、受け取っている節があった。

 それこそ香耶さんなんて、典型的なそれである。


 冷静に思い返してもみれば、仕事以外で俺に関わる時の香耶さんが俺を見る目って、かなり年下のガキを見てる時のそれなんだよな……。

 まだ本当に幼い頃の、うーちゃんからの眼差しを思い出す。


 あの、何の対象にも見られてない時の目な。


「ふふん、それならうち、マネさんのお姉ちゃんにならなってあげても良いですよ?」

「寝言は寝て言えクソガキ、お前の中学の卒アル、ネットに流すぞ」

「ふー……何ですか? 土下座でもすれば良い感じですか!?」

「!!? あ、蒼くんから最悪の影響を受けてるー!? えっ、エヴァちゃん!? 何言ってるか分かってるの!?」


 シームレスに床に膝を付けたエヴァを見て、まだ動きがぎこちないな……とか思っていたら、鋭く斑雪に頭を叩かれる。これに関しては120%俺が悪かった。

 俺を信頼してエヴァを任せてくれている、親御さんに申し訳ない限りである。


 土下座はそう簡単に切って良いカードじゃないもんな。

 対交渉時のファイナルウェポンである。


「うちにとって、マネさんは最も身近な大人の一人ですからね……こうしてうちも大人になっていってるって訳です」

「絶対なってはいけない大人の方向に進もうとしてるから、今すぐやめようね? ね? エヴァちゃん? 聞いてるかな?」

「いやあの斑雪さん? そこまで全力で否定されると、流石に俺も悲しくなってくるんだけど……」

「蒼くんは黙ってて」

「はい……」


 はい……。

 これ以上は何も口に出せない俺だった。斑雪の目、怖すぎである。


「あんな大きくなっただけの子供、大人として見ちゃいけないんだから……」

「その子供に惚れたのは誰だよ……」


 黙っていろと言われて、素直に返事をした傍から口を挟んでしまう俺だった。

 脊髄反射だけで喋っていると言われても、本当に文句が言えない限りである。


 再度睨まれたことによって、そっと目を伏せれば、続くようにガチャリと音が鳴った。

 扉が開いき、入ってきた女性のウェーブのかかった金髪が、ふわりと靡いた。


「おや~? 皆さん朝から勢揃いですね~。おはようございます~」

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